3日目

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3日目

 あなたの家はスベテモの実の成る森のなかにある。家は、巨人の薬指か肥えた芋虫に似たかたちをして、少し捩れている。あなたは今日も仕事を終えた。あなたは今日も生き物たちと「さようなら」という言葉を交換し終えた。あなたは今日も歩いている。青色の土があなたの足の裏のにおいを嗅ぎながら、わずかにへこむ。そのたびに青い土は粘りを増し、目の覚めるような青をいっそう鮮やかにしながら、あなたが歩を進めるたびにあなたの足を引き留めようとする。あなたは地団駄を踏むような足取りで歩き、そしてスベテモの実の赤さに目を奪われて立ち止まる。スベテモの実は土をすべて蒼ざめさせているから、とてつもなく異様に赤かった。その実の香りはいつも夕暮れ時に飽和してはあなたを酩酊させる。あなたはしだいに平衡感覚を失ってゆき、やがてスベテモの木々の黄色があまりに単純な黄色をしているのが可笑しくなる。 「なぁんでこんな色なのぉ」  あなたがなさけない声をあげると、森がクスクスとさざめく。さざめきはあなたの呼吸器まで這入り、あなたもまたクスクスと肩を揺らす。あなたの目の前を、フトコロモルト蝶がひらりと横切る。淡い紫の翅は、頽れゆく夕顔の花びらのようだった。あなたはフトコロモルト蝶を蝶のなかでも殊の外美しいと感じていた。あなたはその蝶の舞うのを追って、青い土と黄色い木々をよろめいた。蝶はスベテモの実から実へ、つるりとした果肉にとまってはその蜜を啜り上げて飛び回る。あなたはそぅっとその翅をつまもうとする。そうすると、指の先を霞めて蝶は羽ばたいてしまう。しだいにあなたの手は枝に届かなくなる。あなたはつま先立ちしようとして、失敗する。土は笑い過ぎると砂になってしまうことを、あなたはこのときにならないといつも思い出さない。あなたが溺れてゆく鮮やかな青の上を、フトコロモルト蝶が飛翔する。スベテモの実の蜜で繊細な赤い脈をひろげる翅がやはり美しくて、あなたは感動のあまりに失神する。午後四時。あなたはいつも通りに、羽化する蛹のように帰宅を果たしている。いけない、ノモノパルボがもっと要る、とあなたは思う。あなたの血管にはもう、ノモノパルビースは微塵も残っていない。
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