グリザイユの狩り場

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 首を傾げて空席を眺めていると、不意に部屋の扉が開いた。  足音も立てずに戻ってきた従兄は、膝掛けを抱えていた。硬直しているオリエンに、ちらと視線を送ってくる。それが逸らされる瞬間――薄く開いた唇から、小さなため息が漏れた。  決してあからさまではなかった。オリエンは悔やんだ。何か言葉を期待して、口元を注視したりしなければ、気づかないで済んだのに。    従兄と暮らし始めて二週間。まだ会話らしい会話をしたことがない。この家に引き取られてから、一つ屋根の下にいたのは伯父だけだった。彼の一人息子であるリテラートは、隣町の学校の寄宿舎暮らし。家族が増えることを了承する手紙は届いたが、実際会うのは冬の休暇になるだろうと、伯父から聞いていた。リテラートは出不精で、一日二日の休みにはまず顔を見せない。でも彼の趣味のためには、寄宿舎の部屋は手狭だから、長い休暇になれば絵を描きに帰ってくると。    大学講師の伯父の言葉は、分かりやすくて不足がなかった。それでいて、たまに大切なことだけをすっぽり抜かす。だからオリエンにも相槌を打つ以外のことが――質問のために話しかけることができた。  そしてコインの一枚も持たない手前、靴がきつくなったと言い出せずにいれば、「私は大学では人気者で、それなりに聴講料が入るんだ」とか、似合わない自慢話をしてくれる、伯父はそんな人だった。    息子と甥の仲だって、容易く取り持ったことだろう。大学の降誕祭の飾りつけ中、窓から転落したりしなければ。教会で、自分の亡骸越しに初対面させるなんて、伯父らしくないにもほどがある。冬期休暇の少し前だった。リテラートは葬儀のあと、町に戻らずに休暇を迎えて、今に至る。  彼が一度も涙を見せないのは、自分という邪魔者がいるからだと思えてならず、オリエンは仲良くなる望みも持てなくなっていた。      従兄は再び絵の前に座っている。持ってきた膝掛けを、なぜか椅子の背になどかけて。寒かったのではないのだろうか。金髪を筆先みたいに一つに結わえた、微動だにしない後ろ姿からは、何も読み取れない。前から見ても同じだろう。表情の変化に乏しすぎる。天井から突然クモが落ちてきたって、眉も動かさないのだ。ふっと息をつくだけ。オリエンに対する態度も同じだった。好きか嫌いかはっきりしない。  でも自分に関していえば、嫌われている可能性の方が高いと、オリエンは思う。伯母はずっと前に亡くなったそうだから、リテラートも今や独り。学生の彼に、居候(いそうろう)を養う余裕はないはずだ。    出ていくべきだ。強盗に両親を殺され、屋敷を焼かれたあの日には、心構えもなく外へ飛び出すしかなかった。それに比べて、今回は恵まれている。失う経験は積んだし、覚悟するための時間が与えられているのだから。カラスやネコやネズミにも、前よりは善戦できるだろう……。
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