グリザイユの狩り場

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 悩んでいたら、また眠くなってきた。カタツムリがつつかれて殻に引っ込むようなものだ。辛さから逃れて、現実から遠ざかる。路地裏で身に着けた術だった。眠るか、ひたすらぼうっとする。景色も音も、思い出も明日も締め出して、何も考えない。一番安楽に、早く時間を過ごせる方法。名前しか知らなかった伯父が探し当ててくれるより先に、それはすっかり癖になってしまっていた。    そんな場合ではないと抗ってなお、頭にかかる眠気の霧に、カタンという音が割って入った。我に返って顔を上げる。従兄が筆を手にしていた。ようやく描く気になったらしい。灰色の、変てこで不気味な空の続きを。    ……いや、本当に、空には灰以外の色があっただろうか。  伯父を亡くしてからあまり外へ出ていないので、自信がなくなってきた。色彩豊かだったのは、もしかしたら夢の中の空だけだったかもしれない。  オリエンは邪魔にならないよう、静かに立ち上がった。従兄はまた考え込んでいるようで、振り返らない。少年を見るものは、片隅の彫像に留まった鳥――小さなフクロウの剥製だけだった。その作り物ながら賢そうな金色の目は、憧れを込めて「ぼうっと」眺めるのにぴったりで、オリエンの大のお気に入りだ。一方通行とは心得つつ、フクロウに好意の眼差しを向けてから、その前を通り過ぎて窓へと忍び寄った。  気泡の入った厚い窓ガラスは緑がかっていて、空の色など確認しようがない。少しだけ開けてみようと、オリエンは窓枠に置かれた植木鉢の横へ、上半身を引き上げる。が、掛け金に手が届かない。頬をガラスにくっつけ、伸び上がって――ああ駄目だ、と気づいた。ここは五階だ。こんなガラスに縋りつくような姿勢で鍵を開けて、勢いでバランスを崩したら落ちてしまう。そうしたら伯父のように。    伯父のように――生きているはずだった未来の時間を、失う?  それは……それは、合間に悩み苦しみながら、眠ったりぼうっとしたりを繰り返さなくても、あっという間に時間を使いきれる、ということか。    背骨をくすぐるような、深い震えが走った。灰色の絵に感じたような恐怖とは違う。贈り物の箱を開けるのに似た――喜びと、期待感だ。掛け金を外して窓を開けたら、その先には。   「――フクロウが好きなんじゃなかったのか」    オリエンは驚き、手と足を同時に滑らせて絨毯へ落ちた。窓枠の角に肘をひどく打ち付けたが、痛みは混乱の向こうにあって、遠い。  従兄が椅子の向きを変えて、こちらを見ていた。緑の目と真っ直ぐ向かい合うのは初めてだ。何かしている途中で声をかけられたこともなかった。しかもフクロウだ。どうして好きと知っているのだろう。どうして今、その話をするのだろう。  問いかけに答え忘れていると、ため息をつかれた。そっとではなく、はっきりと。   「身を投げるなら夕方にしろ」    オリエンは真意を測りかねた。  何をしようとしたのか知った上での言葉にしては皮肉っぽくなく、何も気づいていないにしては、瞬きもしない様子はあまりにも、真摯(しんし)だった。
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