第18話 養殖の邪悪なるモノ

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第18話 養殖の邪悪なるモノ

 松山が、不機嫌そうに腕を組んでいる。棚の上部にある本を取り出すための脚立が店内には置いてあるのだが、それの天板に座ったまま栗庵を睨み付け、はぁ、と深い溜め息を吐く。 「面白がって見てたけど、ちょっとやり過ぎだよね。ここは健全な本屋だよ? SMクラブじゃないんだからさ。そういう事やりたいなら、外でやってくれない? 裏天津君と本木君」 「俺はやりたくて踏まれてたわけじゃありません!」  やっと、大きな声が出せた。その様子に、松山は満足そうに頷いて見せる。 「うん。とりあえずツッコミができる程度には無事みたいだね。まぁ、あとで一応病院には行ってもらうけど」  そう言うと、松山は脚立から立ち上がり、仁王立ちして栗庵と対峙する。ただし、間に栗栖を挟んだままだ。 「君達のどっちが正義か悪かなんて、この際どうでも良いよ。この店は僕の店であって、つまりこの店の中では僕が最上の正義だから」  その理論もどうなのだろうか。 「……って言うか、裏天津君? 君さ、さっきから純度百パーセントの悪役になってるんだけど、気付いてる? 全身黒づくめとか敬語とか、あと人質を踏み付けたりとか、ゲームの安っぽい中ボスみたいなんだけど」  松山は本当に、相手の火に油を注ぐのが上手い。背中がまた、ジリジリ痛くなってきたな、と暦は感じる。どうやら踵をぐりぐりと圧し付けているらしい。 「うわー、ますます安っぽい中ボスっぽーい」  馬鹿にしきった表情で、松山はどんどん煽る。背中の痛みが強くなり、暦は悲鳴をあげた。 「ねぇ、そろそろうちの本木君がMに目覚めそうなんだけどさぁ」 「……めざめませんよ、何言ってんですかぁ……」  痛みと呆れと情けなさで、声が一部平板になっているのが己でもわかる。その訴えを、松山はするりと聞き流した。 「裏天津家の正義って何? Mを増やす事?」  ぶちっという、何かが切れる音がした。次いで、暦の背中に今までで一番の痛みが走る。 「……何という店ですか。よくもまぁ、この私をここまで馬鹿にしてくれますねぇ……!」  いえ、この店長が馬鹿にするのはあなただけに限った話ではありません。基本的にお客以外全員を馬鹿にして生きてます、この人。……いや、お客も陰で馬鹿にしてるか。 「良いでしょう。そこまで言うのであれば、この本木さんは解放してあげます。勿論、ここで私が何もせずに大人しく帰るとは思っていませんよねぇ、表天津家?」 「……何をするつもりですか?」  構えた体勢を崩さないまま、栗栖が低い声で問う。栗庵の口が、口裂け女もかくやとばかりに大きく割れた。口角が人体の限界に挑んでいるかの如くに上り切っている。 「こうするのですよ!」  叫び、栗庵は両手を広げ、暦を前方へと強く蹴り出した。床を転がる暦の頭上で、ぶあぁぁっという嫌な音と気配が拡がる。 「本木さん! 大丈夫ですか!?」  駆け寄った栗栖に助け起こされ、暦は顔を上げた。そして、目を見開く。  一面の邪悪なるモノ。上を見ても、右を見ても左を見て、もう一度右を見ても、どこもかしこも邪悪なるモノ。  もうそういう表現しか暦の頭には出てこない。それほどまでに、目に入る範囲が邪悪なるモノで埋まっている。  首を巡らせてみるが、どこに隠れたのか、栗庵は姿が見えなくなっている。そう言えば、暦が人質に取られる直前もどこかに姿を消していた。 「隠形を使って、姿を隠したんでしょうね。陰に隠れてコソコソと暗躍する……昔から裏天津家が好む手段です」 「……と言うか、何これ? 何が起こったの? あの人、結局何がやりたいわけ!?」 「一言で言うなら……何も考えていません」  ……うん、そんな事だろうとは思った。 「敢えて言うなら、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、といったところでしょうか。……いや、質より量、かもしれませんね。とにかく邪悪なるモノを大量に召喚して僕と戦わせて、あわよくば斃せたら……ぐらいは考えたかもしれません。僕がいなくなれば、表天津家の力が半減しますから」 「因みに……あんまり訊きたくないんだけど、もし天津君に何かあった場合……表天津家はどうなるわけ? でもって、表天津家がどうかなった場合って……?」  油断無く邪悪なるモノ達を睨み付けながら、栗栖は「そうですね……」と呟いた。 「叔父や従弟がいますし、幼いながら弟もいますから……表天津家消滅という事にはならないと思います。ただ、僕がいなくなると、戦力的にかなり弱体化してしまうのは否めません。表天津家に昔から仕えている使用人や、住み着いている妖達はかなり頼もしいのですが……それでもやはり、裏天津家の愚かさを真正面から叩きのめすのは、表天津家の血を引く者でないと体裁が整いません」 「体裁って」 「そして、表天津家に何かあった場合どうなるか、は、先ほど話した通りです。裏天津家は自分達が正義の味方になるために、敢えて治安を悪化させようとする……奴らを叩き潰す表天津家がいなくなったら、この町……いえ、この国の治安は一気に悪化します!」 「……そうだったね……」 「そして、裏天津家に問題処理能力はありません! 治安を悪化させるだけ悪化させて、結局解決できずに雲隠れするのがオチです!」 「最悪じゃないか!」  思わず叫ぶと、後で松山が脚立に座り直しながら「そうだねぇ……」と同意した。 「まぁ、ここはひとつ、折角裏天津君がお膳立てしてくれた場を利用して、こっちが正義の味方にならせてもらおうか。……というわけで、天津君、この馬鹿みたいにたくさんいる邪悪なるモノ達を一匹残らずやっておしまいなさい!」  なんだか、こちらまで悪役っぽくなってしまった。……が、そろそろ付き合い切れない。それでなくても、目の前には大量の邪悪なるモノ。普通に考えたら絶体絶命の状態だ。こんな風にのんびりとボケとツッコミのやり取りをしていられる方がおかしい。  何でこんなにのんびりしていられるんだよ、という思いを込めて、暦は栗栖に視線を遣った。先ほど「どういう時に暦がどんなツッコミをするのか読めるようになってきた」と言っただけあって、すぐに「あぁ……」と頷いてくる。 「漫画や特撮ドラマで、よく敵がベラベラと長口舌を披露した挙句、正義の味方に反撃のチャンスや回復の隙を与えてしまって、正義が勝つ……って展開があるじゃないですか。それと同じようなものですよ。大量の邪悪なるモノ達が中々攻撃を仕掛けてこずにジリジリする……そんな状況でプレッシャーを与えるつもりが、僕達がのんびりと話して精神的余裕を取り戻す隙を与えてしまっているんです。今時、誰でも一度は見た事があるお約束展開なのに、それでも同じ轍を踏んでしまう……裏天津家らしいうっかりミスです」 「うっかりミスって」  そんなに可愛らしい言い方ができるものだろうか。色々な意味で。 「まぁ、とにかくやりましょう! 表天津家当主として恥じぬ行いをするためにも、店長命令を遂行するためにも!」  松山の命令は栗栖にとって有効なのか。あんなふざけた命令であっても。  暦が複雑な思いで考えていると、栗栖は「それに……」と言葉を足した。 「裏天津家の作り出した養殖の邪悪なるモノなんて放っておいたら、どんな予想外で斜め上な愚行を犯すかわかったものじゃありません!」 「……養殖?」  また、場にそぐわぬ言葉が出てきた。ここは本屋だ。海じゃない。 「そう言えば、面接した時に言ってたかもしれないなぁ」  祝詞を唱え出してようやく戦闘態勢に入った栗栖に代わり、松山が呟いた。 「いくら正義の味方が活躍する場をお膳立てしたくっても、そうそう簡単に狙った場所に悪霊が現れてくれるわけじゃないからねぇ。だから裏天津家は、普段からその辺で弱っちい雑霊を捕まえては壺とかに封印して、邪悪なるモノを作り出して。いつでも邪悪なるモノを好きなだけ召喚できるようにしているそうだよ。……あ、邪悪なるモノの作り方、聞きたい?」 「聞きたくないです」  即答すると、松山は「えー、そう?」と嬉しそうな顔をした。 「蠱毒っていうのは知ってる? 虫とか小動物なんかを集めて、一箇所に閉じ込めて食い合いや殺し合いをさせたり、地面に埋めた飢えた犬を惨い目に遭わせたりとかして作り出す呪術の一種なんだけど……」 「俺、聞きたくないって言いましたよね? ……話したいんですか?」 「うん。それでね、流石に昨今は犬猫を殺したりしたらすぐにどこかから漏れて、動画サイトに載せられたりした挙句警察に通報されちゃうから、哺乳類は使わないんだってさ。虫を使うんだよ。壺に何十匹、何百匹もの虫を閉じ込めて、食い合いをさせる。最後に残った一匹には、殺された虫達の恨みつらみが溜まっていて、それだけでも強力な呪具になっているから、それを雑霊を封印しておいた壺に放り込んで、何日か醸す」 「醸すんですか」  凄まじくどうでも良い事なのだが、ツッコミを入れずにはいられない。酒か。 「そうそう。……で、仕上げに何やらむにゃむにゃと呪文を唱えたら、裏天津家の言う事をよく聞く邪悪なるモノの出来上がり!」  因みに、完成品がこちら! と言って実物を出してこなかった分だけ、まだ救いがある。松山ならやりかねない。……いや、完成品は既に目の前にあって、今まさに栗栖がそれと戦っているのか。 「松山店長、本木さん! 戯れは、その辺りで! ちょっと……本格的にまずくなってきました!」  栗栖の声に、暦はハッと我に返った。気付けば、邪悪なるモノ達に囲まれている。……うん、敵の目の前でダラダラ喋っていたら、普通はこうなるよな……と、少しホッとしてしまっているのが、そこはかとなく情けない。  囲んでいる邪悪なるモノ達を刺激しないように、暦と松山は栗栖の傍へそろりそろりと移動した。背中合わせになり、三人が三方を睨む形となる。 「いやぁ、滾るね、この状況。学生の時から憧れてたんだよなぁ」 「変なものに憧れないでください。滾りませんから、この状況!」 「うっそ! 男の子なのに!? わくわくもしない!?」 「しませんて」 「天津君は!?」 「相手がもっと強そうで真面目そうであれば気分も高揚したでしょうけど……相手が裏天津家が養殖した邪悪なるモノだと考えますと……」  相手次第ではわくわくするのか。……と言うか、いくら相手が馬鹿でどうしようもないとはいえ、そういう油断はしない方が良いのではないだろうか。 「だって、あれ見てくださいよ!」  栗栖が少し苛立たしげな声で言うので、暦は意識を他の二人から邪悪なるモノ達へと戻してみる。目の前では、邪悪なるモノ達が楽しげにマイムマイムを踊っていた。 「……何でマイムマイム……」  問題はそこじゃない。……が、そのような言葉しか出てこない。最早呆れて、まともな言葉が出てこないというか、諦めたというか。とにかく、こちらが馬鹿にされている事だけはわかった。 「……今だけは、二川さんと西園さんに登場して欲しいです。……怖いですけど」  たしかに、白けた視線と勢いのあるツッコミで、一気に蹴散らしてくれそうではある。しかし、勢いに乗って味方であるはずの暦達にまで被害が及びそうだ。 「……と言うかさぁ、西園さんはいなくても、本木君はいるんだし。本木君がツッコミで蹴散らせば良いじゃない」 「無茶言わないでください。……と言うか、よくよく考えたら本職の陰陽師が調伏できないものを、なんで俺や西園さん達が蹴散らせるんですか」 「ひょっとしたら、隠された才能があるかもしれないよ? それがツッコミを介して発動するの」 「僕、陰陽師を名乗ってはいますけど、本職の陰陽師ではないですよ? 本職の陰陽師とも言える朝廷陰陽師の職は、明治時代に廃止されていますから」  そういう問題ではない。だが、そう言う前に栗栖は全意識を邪悪なるモノ達に向けてしまった。暦が何を言っても、耳には入らなさそうだ。 「店長……どうします?」  こそりと、暦は松山に問い掛けた。すると、松山は不思議そうな顔をして首を傾げている。 「どうするって?」 「いえ……俺達、何とかして結界から出た方が良いんじゃないですか? そうすれば、天津君は俺達の存在を気にせず戦う事ができて、割と早く片が付くんじゃ……」 「……本当に、そう思う?」  松山が、いつになく真剣な眼差しで、暦の目を真っ直ぐに見詰めた。暦がたじろいでいると、松山は「あのね」と次の言葉を口にする。 「まず、外に出るためにはさっき天津君が二川さん達に渡した符を、僕達も貰わないと。あれを持っていないまま外に出ると、結界が破れちゃうんでしょ? お客さんが危ない目に遭うよ?」 「あ」  そう言えば、そういう話だった。 「仮に、隙を突いて天津君から僕達も符を貰ったとしようか。けど、本当に出ちゃって良いの? 今までの経験から言って、この結界、出る事はできても、もう一度入り直す事はできないよ?」 「……と、言いますと?」  何故だろうか。背筋が一瞬、冷やっとした。 「結界の中で何が起ころうと、結界の外にいる人は気付かない。事が終わると、まるで、何事も無かったかのように入って来るよね? そこから考えられるのは、結界が張られている間、結界の内と外では全く違う時間軸が発生しているという事。簡単に言っちゃうと、結界の外は時間が止まっちゃってるような状態になってるって事だね」  どういう仕組みなのかはわからないけど、と松山は両手を上げて見せる。そして、すぐに下ろした。 「一度結界を出たら、次の瞬間にはもう全てが終わってる状態になるって事。天津君が勝てば良いけど……もし万が一にも負けたりしたら、僕達は〝何故天津君は負けてしまったのか〟もわからず、ノーヒントでその後の対応をしなきゃいけなくなる。もし結界に残っていれば、西園さんの時みたいにフォローができたかもしれないのにね」 「けど、それだったら何で二川さんと村田君は……」  結界の外の時間が止まっているのであれば、二人を外に出す必要は無かっただろう。西園への応援は必要無いし、二人がいれば何だかんだで心強かったはずだ。 「そりゃ、関係無い人がここにいたら、危ないしね」 「……俺も関係無い筈ですよ?」  慌てて強めに言うと、松山は「どうだろうねぇ……」と首を傾げた。 「一つ言えるのは、二川さんと村田君、それに西園さんは〝選ばれなかった〟って事。選ばれなかった以上、天津君から見れば無関係だからね。危ない目に遭わないよう逃がしたかったんでしょ。本木君は、まだわからないね。ひょっとしたら、選ばれるかもしれない。でもって、僕はいわゆる司令官ポジションだから。司令官が尻尾を巻いて逃げるわけにもいかないよねぇ」  いつの間に司令官に就任したのだろうか。……いや、それよりも気になる事は。 「……どういう意味ですか? 選ばれるとか、選ばれないとか……」 「……いずれ、わかるよ。選ばれなきゃわからないままかもしれないけどね」  そう言う松山の顔は、何故か勝ち誇っている。その笑顔に不快感を表す前に、ドンッという衝撃音が聞こえた。  ハッとして振り返れば、立ち位置は先ほどから変わらぬまま、栗栖が真剣な表情で祝詞を唱え、時に九字を切り、真言を叫んでいる。  一部の邪悪なるモノが、雄叫びをあげた。……いや、雄叫びと言うよりは断末魔か。精神を揺さぶるような声を発しながら、力尽きた邪悪なるモノは辺りに霧散していく。 「やった!」  少しでも敵が減る事は望ましい。明るい声を出した暦に、松山は首を振った。 「いや……そんなに単純に喜べる事でもないよ?」 「は……?」  暦が怪訝な顔をしている間にも、栗栖は着実に邪悪なるモノ達を減らしていく。材料に使った雑霊の質が良くなかったのだろうか。西園の時よりは、楽に調伏しているように見える。  数に苦戦しながらも次々に調伏し続けている姿を見ていると、流石に「己に何かあったら表天津家は戦力的に弱体化する」と言い切っただけの事はある、と思わざるを得ない。 「何か、問題があるんですか? 順調に調伏しているように見えますけど……」 「順調は順調だね。ただ、その後が問題だ」  意味深な言い方に、暦は眉を顰めた。そうしている間に、栗栖は全ての邪悪なるモノ達を調伏し切ってしまう。肩で息をしてはいるが、攻撃を受けた様子は一切無い。 「……全部、倒したみたいですけど。何が問題なんですか? 見たところ、特に何かが起こる様子は……」  無い。そう言おうとした時だ。  ぞくりと、暦の背筋が一気に冷えた。まるで、氷の剣で脊髄を貫かれたかのような……。 「……本木君も感じた?」  松山の顔が、相変わらず険しい。それに、いつになく顔色が悪い。寒そうに両腕を組んでいる。 「……店長?」  不安気に暦が呼べば、松山は右手を解いて、栗栖の向こうを指差して見せる。 「……見なよ。……いや、見える? かな……?」 「え……」  言われるがままに松山が指差す方を見て。そして暦は息を呑んだ。  先ほどまで、邪悪なるモノ達がマイムマイムを踊っていた場所。栗栖によって全て調伏されたために、今は元々の様子を取り戻していた筈のそこに、黒い煤のような物がぶわぶわと湧いている。それも、大量に。邪悪なるモノが発生する直前にも見られる物だが、いつものそれよりも更に小さく、細かいように思える。 「天津君が言ってたんだけどね。元々霊とか見えなかった人でも、霊的能力の高い人とか霊的現象とかに接する時間が長いと、次第に霊感が高まっていったりする事があるんだってさ。僕も本木君も……いや、この店のスタッフ全員が、この一ヶ月ちょっとの間、天津君と一緒に働いてたからねぇ」  そう言えば、初めてこの店のバックヤードに邪悪なるモノが発生した時、栗栖は言っていた。 「式神である黒の丞が店内に出現した事が呼び水になって、この店は一種の霊的スポットに変化しつつあるんだと思います」  式神を一回使っただけで、店が霊的スポットに変わった。なら、その霊的スポットで一ヶ月以上、霊的能力があり陰陽師として活動している栗栖と共に働き、あまつさえ何度も邪悪なるモノの調伏現場に立ち会っているスタッフ達は……。 「いつの間にか、全員が霊感持ちに……?」 「そう。だから、今までは見えなかったものが見えるようになっているんだろうね。初めて邪悪なるモノが出た時には、ああいった悪霊が見える程度に。そして今では、調伏した後の残滓とか、怨念めいた物までが見えるぐらいまで……」 「ざんし……?」 「そう、残滓。残り滓。あくまで邪悪なるモノが消滅した後に、微かに残ってる物だから今まではよく見えなかったけど。でも、今は見えるでしょ? 何かいっぱい、黒い物が拡がってるのがさ」  煤のような物は、次第に寄り集まっていく。知らなかった。調伏した後に、このような物が出現していたとは……。  寄り集まり大きくなった邪悪なるモノの残滓は、ぶわっと音を立てたかと思うと、栗栖に向かって真っすぐに飛んでくる。暦は、思わず「逃げろ!」と叫んだ。  だが、栗栖は逃げない。調伏しようとする様子も見せない。何も言わないままに向かってくる残滓を睨み付け、何もしないまま、それに飲み込まれた。
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