第19話 残滓

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第19話 残滓

「何で……」  呆然と呟く暦の横で、松山が唸るようにため息を吐いている。 「アレはさぁ、天津君曰く、術じゃ調伏できないものなんだって」 「調伏できない……?」  栗栖のいた場所でモゴモゴと蠢く黒い残滓の塊を見詰めながら、暦はその言葉を反芻した。「うん」と頷く松山の声は、どこか悔しそうだ。 「あれはあくまで、邪悪なるモノを構成してた……何て言うのかな? 妬みとか、恨みとか絶望みたいな感情というか……そう、負の感情? それそのものらしいよ」 「負の感情……」  その単語は、前にも出てきた。西園の時だったか。 「人間で言うと、邪悪なるモノそのものは肉体で、あの残滓は魂みたいな物なんだってさ。体を武器で傷付ける事はできるけど、魂を傷付ける事はできないでしょ? それと同じような感じで、天津君の術で邪悪なるモノそのものを調伏する事はできても、あの残滓を消し去る事はできないんだって」 「だから?」  だから飲み込まれそうになったあの時、調伏しようとしなかったのだ。やったところで、効果は無いから。 「邪悪なるモノという肉体を失った負の感情は、その行き場の無い絶望感だとか恨みだとかをぶつける相手を引き続き探し続けるんだ。今この場にいる人間なら、天津君と僕と、本木君がその対象だね」  栗栖が逃げれば、きっと残滓は暦か松山に向かってきていた。だから、栗栖は逃げる事もしなかったのだ。暦や松山があれに飲み込まれれば、きっとタダでは済まないと判断して。 「……あれに飲み込まれると……どうなるのか聞いてますか……?」  松山は、「いいや」と首を振った。 「訊いたんだけどね。教えてくれなかったよ。天津君、結構そういう裏事情とかバラしちゃうの好きっぽかったのに、だんまりを決め込むって事は……相当やばい事になるんだろうな、とは思ったけど……」 「今までの……バックヤードに現れてた邪悪なるモノの残滓は……?」  多分、という低い声が暦の耳朶を打つ。 「僕達には見えてなかったけど……毎回残滓は、天津君を飲み込んでいたんだろうね。けど、今まではそれほど規模が大きくなかったから、飲み込まれても天津君一人で何とかなってた。けど、今回は……」  数が多過ぎる。暦達を取り囲んでマイムマイムを踊れるほどの数だ。残滓の量も、これまでとは比べ物にならないだろう。 「……助けないと……!」  頭を過ぎった言葉が、自然に口を突いて出る。それに、松山は深く頷いた。 「そうだね。悪いけど本木君、頑張って……」 「はい……!」  頷いてから、暦は「ん?」と顔を顰めた。顰めた顔のまま、松山の方へと視線を移す。 「……止めないんですか?」 「え? 止めて欲しいの? 自発的に助けたいと思った、本木君の意思を尊重したつもりだったんだけど?」  止められても多分行けるとは思うが、そこは心情的に一度くらい止めて欲しい。そして、疑問点はそれだけではない。 「……一応、お聞きしますが……店長は行かないんですか?」  突入どころか、近寄ろうとする気配すら無い。 「だって、ほら。本木君もアレに取り込まれた場合、僕が何とかしなきゃでしょ? 二人同時にどうにかなっちゃったら、まずいじゃない」 「……因みに、俺までどうにかなった場合、どうするつもりでいますか?」  松山は、頭を掻きながら「んー……」と軽く唸った。 「とりあえず、結界を出るかな? ほら、結局外に出るための符を貰ってないから、出れば結界解けるじゃない? そうすれば、二川さんや村田君、西園さんにも協力してもらえるよ?」  主に、お客さん達を誤魔化す方向で……と松山は言う。誤魔化すだけなら、結界を張ったままでも良いのではないのか。 「って言うか、天津君がどうにかできなかった物を、僕が一人でどうこうできるとは思わないし。だったら、外部の援けが必要でしょ? 外部の人に援けて貰いたかったら、結界を解かないと。……で、結界を解くなら、外部からの援けを待ってる間、誤魔化す人が必要だよね?」  松山が言う外部の援けとは、どうやら店のスタッフではないらしい。 「外部からの援けって……どこに援けを求めるつもりなんですか?」  問えば松山は、「何を言っているんだ」と言うような、暦を馬鹿にし切った顔をした。こんな時だが、殴りたくなる笑顔だ。 「どこって、天津家に決まってるじゃない。専門家の集団なわけだし」 「天津家って……どうやって連絡するつもりなんですか?」 「履歴書に緊急連絡先が書いてあるからねぇ。普通に叔父さんって人の名前と電話番号が書いてあったよ?」  そう言えば、雇用主と従業員の関係だった。どの道、バックヤードに行くために結界を出る必要はありそうだ。 「……と言うか、それだったら俺が救助を試みて失敗するのを待ってないで、今すぐ履歴書見て連絡すれば良いじゃないですか。何で傍観を決め込んでるんですか!?」  暦にとっては、己の命がかかっていると言ってもおかしくない。安全に済む方法があるのなら、それを実行して欲しい。 「……多分、いきなり天津家に援けを求めるのは、天津君が望まないだろうからね」 「……は?」  松山の顔が、真面目に引き締まった。うごうごと蠢く、邪悪なるモノの残滓、その塊を見詰めている。……いや、見詰めているのは、その中にいるであろう栗栖か。 「これはね……天津君にとって、多分試練なんだよ。だから、そうそう簡単に、天津家に援けを求めたらいけないと思うんだ」 「試練って……?」  松山は答えず、にっこりと笑った。そして。 「自分で確かめておいで」  そう言うや否や、暦をよりにもよって邪悪なるモノの残滓の中に蹴り込んだ。 「ちょっ……うわぁっ!?」  思わず叫んだ口の中に、残滓がもやりと侵入してくる。埃のような風味と、ガサガサとした乾いた触感が口中に拡がり、気持ちが悪い。視界が一気に暗くなる。  そして、暦は栗栖と同様に、邪悪なるモノの残滓に取り込まれた。
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