第21話 スティックシュガー連続投入事件

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第21話 スティックシュガー連続投入事件

「……本木さん。僕が何の為に、この書店に雇われたのか……。真の理由にはもう、お気付きですよね?」  酷く濃く淹れたインスタントコーヒーのカップを両手で包み込むように持ち、栗栖が問うた。  暦は一口飲んでその苦さに顔を顰め、フレッシュを三つとスティックシュガーを二本、立て続けに投入してかき混ぜる。もう一口飲んで味を確かめ、口の中で転がすようにしながら栗栖の言葉を脳内にて反芻した。 「……いや、全然わからないんだけど……?」 「えー? あんなに色々とヒントがあったのに、まだわかってないの? 本木君ってば、鈍過ぎィ!」 「ギャル口調で人を馬鹿にしないでください。いつもの三割増しでイラッとします」 「えぇー? この程度でイラッとするなんて、本木君てば、心狭すぎィ!」  暦は、無言のまま松山の頭を軽く叩いた。雇い主に手を上げた事に因る減給や解雇は心配していない。元々、これ以上減れば県の最低賃金を下回りかねない時給である上に、チーフ級のスタッフ一人に辞められたら困る事になるほどの人手不足だ。……何とも情けない強みである。 「……本木さん。さっき、僕が邪悪なるモノ達の残滓に取り込まれていた時の様子を見て……どう思いました?」 「どう、って……」  叩かれた頭を大袈裟に庇っている松山から視線を外し、暦は栗栖からの不意の問いに頭を巡らせた。  最初は、たしか呆然。何故このような事になったのかという言葉だけが脳裏に浮かび、思考が飛んだ。  次は、動揺。いきなり弱った栗栖の声を聞き、軽くパニック状態になった。  そして、心配と、焦り。栗栖はこのまま衰弱してどうにかなってしまうのではないかと、どうにかできないのかと。身が細る思いをしたし、焦燥感も抱いた。  最後に、ほんの少しの安堵。あのような状態であったというのに、あんなに弱っていても栗栖は栗栖だった。  それらを掻い摘んで伝えると、栗栖は少しだけ恥ずかしそうに頬を染めた。首を引っ込めている様子が、ちょっと可愛い。これで栗栖が女子だったら、ときめいたかもしれない。 「あの通り……邪悪なるモノを調伏すると発生する残滓は、まず僕を狙って集まってきます」 「そう言えば、あの場には俺や店長もいたのに、まっすぐ天津君に向かって行ったよね? それって、あれが裏天津家が生み出した邪悪なるモノだから? 真っ先に、敵対している表天津家を襲うようになっているとか……」 「いえ、そんな複雑なプログラミングは、奴らにはできません」  プログラミングって。邪悪なるモノはロボットか何かか。 「僕に向かってきた理由は、単純にただ一つ。あの場で、僕が一番霊力が高かったから、です」 「霊力が高ければ高いほど、残滓の声が聞こえるみたいだからね。ほら、本木君も最近慣れてきたのか、残滓の事が見えたり声が聞こえるようになったでしょ? つまり、霊力が高くなってきたって事」 「こんなに嬉しくないスキルアップは生まれて初めてですよ」 「まぁ、そう言わずに」  機嫌を取るつもりなのか、苦笑しながら栗栖が暦のカップにスティックシュガーを一本追加した。スプーンでかき混ぜてみれば、じゃりじゃりと音がする。完全に溶解してくれるだろうか。 「結局のところ、彼らは誰かに愚痴を吐きたいだけですからね。一番聞いてくれそうな人……つまり、霊力の高い人間に集るんですよ。もしあの場に、僕よりも霊力が高い人間――例えば安倍晴明翁がいたら、天津家と全く関係が無くても、彼らは迷い無く翁に集っていたと思います」  だから、何故そこで伝説の大陰陽師の名前を出す。過去に先祖と何かあったのか。それとも、祟られるか否かギリギリの発言をして楽しむチキンレースでもやっているのか。どっちだ。どっちにしろ、失礼な話だ。 「いえ、知名度の高い者に迎合しない、むしろ好敵手と思って機会があらば挑戦状を叩き付けよ、が表天津家の裏家訓なものですから」  心を読まれた……と言うか、予測された。表なのか裏なのか紛らわしい。そもそも、裏の家訓ってのは何なんだ。表もあるのか。そして一方的に挑戦状を叩き付けられる有名人にはいい迷惑な裏家訓だ。 「……安倍晴明って、挑戦状を叩き付けようとする術師がいたら先回りしてやりこめる人じゃなかったっけ……?」 「今昔物語だね。……と言うか、本木君? ツッコミに気を取られて、本来の話を忘れてるよ?」  松山に指摘されてしまった。暦は誤魔化すように咳払いをし、栗栖に元々の話の続きを促す。栗栖は、苦笑して頷いた。 「まぁ……とにかく、邪悪なるモノを調伏すると、毎回あの愚痴攻撃に晒される羽目になるんです。子どもの頃は、言われている意味がわからなくて簡単に受け流せたんですけどね」  成長し、学び、語彙が増えるにつれて辛く感じるようになってきたのだという。 「こういう時、共に戦う相棒がいるとかなり楽だと、祖父から聞いていたんです。さっき本木さんがしてくれたように、愚痴を聞かされる辛さを分かち合ってくれて、気を紛らわせる話をその場でしてくれる相棒……」 「ひょっとして……天津君がこの店に雇われたのは、そのため?」  栗栖は、頷いた。 「気配から、この店で裏天津家の息がかかった者……いえ、操られた犠牲者が何かやったらしい事に気付いた、という事は話しましたよね? 幸い、この店は町の書店としては規模が大きい方で、スタッフの数も人手不足と言いながらもそこそこ多い。裏天津家の次の動きを警戒しながら相棒となれる人物を探すのには打って付けだと思ったんです」 「僕としても、本当に彼が陰陽師で、うちの店で万引きGメンをしてくれるなら面白いしありがたいと思ったんだよね。ほら、今の世の中、呪術で何かやっても法律には引っ掛からないから。防犯カメラに映った犯人の顔写真を晒したら社会的に疑問視されたりするけど、呪っても問題にならないし、そもそも、誰もその事実に気付かない。他の店よりも大胆な万引き対策をして、万引き犯に痛い目見せてやれるでしょ?」 「なるほど……」  二人の説明に、まだところどころ非現実的で理解しがたい気持ちはあるが、それでも一応納得して、暦は頷いた。 「それで、見付かったの? 天津君の相棒になれる人」  そこで、栗栖と松山が顔を見合わせた。双方とも手で口を覆って顔を近付け、ヒソヒソと何事かを言い合い始めた。 「ちょっと、聞きました、松山の奥様?」 「えぇ、ばっちりと聞きましてよ、天津の奥様。鈍いわ、本木さんってば、鈍過ぎるわ!」  なんで奥さん達の井戸端会議風なのか。なんで己が吊るし上げを喰らう形になっているのか。憮然としたまま、暦はカップを口に運んだ。溶解しきれなかった砂糖が口に流れ込んでくる。じゃりじゃりと甘い。 「あのさぁ、本木君……」  自身のカップに新たなコーヒーを作りながら、松山がため息を吐いた。スティックシュガーとフレッシュを入れてかき混ぜたスプーンを軽く振って雫を落とし、そのまま暦に突き付けてくる。 「今まで、何を聞いてたの? 今日だけの事じゃなくて、天津君が入ってきてからの事を全部思い返して、よく考えてみてよ? どう考えても、天津君の相棒に向いてるのは、君でしょ?」 「……は?」  ぽかん、という効果音が似合いそうな顔で、暦は呆けた。そこで、栗栖と松山はまたひそひそとし始める。 「あらいやだ。本木さんてば、本当に気付いていなかったみたいよ」 「やぁねぇ。西園さんの事にも気付いていないみたいだし、鈍過ぎるにも程があるわぁ。伝染して、私達まで鈍くなったりしたらどうしましょ!」  とりあえずイラッとしたので、暦は二人のカップにスティックシュガーを五本ずつ足した。二人が「うわぁぁぁぁっ!?」と悲鳴をあげている様子を眺めながら、テーブルの上に設置された〝休憩時のおやつ代金カンパボックス〟、通称キューカンボックスに財布から三百円を投じる。砂糖の無駄遣いは、これで勘弁してもらおう、と思いながら椅子に座り直した。 「……で? 天津君の相棒に向いてるのが俺っていうのは、どういう事なんですか?」 「あー、うん。そもそも、最初に天津君に本木君を推薦したのは僕なんだけどね?」  カップの底でじゃりじゃりと音を立てながらかき混ぜていた松山が、諦めたようにスプーンを流し台に放り込んだ。 「突然万引きGメンを雇う気は無いかと電話をしてきた上に、会って五分で自分は陰陽師だとカミングアウトしてきた、肝が据わってて図太い特殊能力者。どういう深い事情かはわからないけど、こういう子の相棒になるなら、本木君みたいに地味だけど真面目にそつなく仕事をこなして、後輩の面倒見も良くついでにツッコミ鋭い人物が良いんだろうなー、って思ったからさ」  褒められているのか貶されているのかわからない。暦はとりあえずキューカンボックスに更に百円を投じ、松山のカップに無言でフレッシュを二つ注ぎ足した。 「……食べ物や飲み物で遊んだら駄目だよ、本木君?」 「最終的に全部胃に収まれば、遊んだ事にはならないです」 「僕を糖尿病にでもする気?」 「糖尿病を恐れるなら、毎日のコーラを控えたらどうですか?」 「何か本木君……発言が二川さんっぽくなってきてない……?」  ブツブツと愚痴る松山を無視し、暦は栗栖に視線を移した。 「それで……天津君は、その店長の推薦だけで俺を選んだの? ……そうじゃないよね? 君が働き始めてから、一ヶ月以上経ってるんだし。……と言うか、天津君も大学生なんだから、店以外でも色んな人に会うでしょ? 学校の友達とかで、相棒になれそうな人はいなかったの?」 「そうですね……相棒となる人物を見付けるために、小学校高学年ぐらいから転校を繰り返して、全国を転々としてきましたが……流石に、そんなに都合良く相棒となれる人物を見付ける事はできませんでした」  陰陽師だと言っても信じてくれなかった者、まず陰陽師という言葉が通じなかった者、そもそも幽霊の存在を頑なに信じていなかった者。話を信じてくれても、怖がってそれ以上深く関わろうとしなかった者。栗栖を虚言癖のある変人扱いした者……そんな人間が多かったのだと言う。  言われてみれば、それもそうだ。陰陽師という存在は、歴史や民俗学及びそれを題材にした物語に興味が無ければ、その言葉すら知らない者だっている。  幽霊を信じない者だっている。暦だって、栗栖と働いて邪悪なるモノが見えるようになるまではその存在を信じていなかった。そして、存在を信じたとしても、深く関わる前に距離を置こうと考えるのが、まぁ一般的だろう。暦のように問答無用で巻き込まれてしまう場合もあるだろうが。 「じゃあ、これまではずっと一人で……?」 「……いえ」  少しだけ躊躇う様子を見せてから、栗栖は首を横に振った。少しだけ、懐かしそうな顔をしている。 「一人だけ、いました。僕の話を信じてくれて、相棒になろうとしてくれた人が……」  過去形だ。それに気付いた瞬間、暦はまずい事を訊いてしまったと後悔したが、もう遅い。ここで話を止めても不自然なので、そのまま続きを促した。 「彼……土宮と出会ったのは、高校三年生の時です。転校生で浮いていた僕にも気さくに話しかけてくる彼は、漫画やアニメが好きで、ゲームや特撮も好きな……高校生であるにも関わらず、将来の夢は正義の味方の司令官か、異世界に召喚されし勇者だと声を大にして堂々と宣言するような人物でした」 「……店長の親戚ですか?」  思わず、漫画が大好きで正義の味方は男の夢などと口走る事がある上司に顔を向けた。松山は、面白そうに首を振っている。 「いいや? そんな名前は初めて聞いたよ?」  二人の顔は全然似ていない、と断ってから、栗栖は続きを口にした。 「凄い人間でしたよ、土宮は。いつ異星人が地球に攻めてきて、司令官に任命されても良いように法律でも数学でも機械工学でも医学でも何でも片っ端から学んで……いつ異世界に召喚されても良いように、剣道、柔道、弓道に空手、水泳、手が出せる範囲のあらゆる武道と身を守る術を身に付け、ついでにどんな食材でどんな環境でも美味しい物を食べられるようにと、料理を極めていました。人は彼を、変人にして超人、足して二で割って、超変人……と呼んでいました」 「つまり……能力値の高い変人って事?」 「はい」  栗栖は否定する事無く、あっさりと頷いた。よっぽどだ。 「僕と彼は何度か示し合わせて、共に夜、悪霊退治に出向いたりもしました。ですが……」  栗栖の顔が曇る。どうやら、その悪霊退治の時に……。 「……何か、あったの?」 「いえ……何もありませんでした」 「……は?」  思わず、耳を疑った。見れば、松山も怪訝な顔をしている。 「何も無かったって……どういう事?」 「本当に、何も起こらなかったんです。どうやら、彼の悪霊退治に参加したい、悪霊を調伏するヒーローになりたい、というポジティブな気持ちが強過ぎたらしくて……僕が一緒だったにも関わらず、遂に一晩中、悪霊は一体も姿を現さなかったんです……!」  暦と松山は、顔を見合わせた。二人揃って、生ぬるい笑みしか出てこない。 「それは……良かったんじゃないの? 悪霊が出ないなら、それにこした事はないでしょ?」 「良くないですよ! 出ないと言ったって、悪霊が消滅したわけじゃないんです。僕と土宮がその場を去ってしまえば、また出てきて悪さをするんですよ!?」 「……じゃあ、その土宮君を連れていかなければ……?」 「出ました。一人で調伏しましたよ、勿論。その後も何度か彼を連れて悪霊退治に出向きましたが、結果はいつも同じでした。彼が一緒だと、尽く! 霊が! 邪悪なるモノも! 出ないんですよ!」  興奮した心を落ち着けようとしたのか、栗栖はカップに残っていたインスタントコーヒーを一気に口に流し込んだ。先ほど暦に投入されたスティックシュガー五本分が甘過ぎたのか、「うごぉぉぉぉ……」と呻き出す。少しだけ悶絶してから、ため息を吐いた。 「事情を知る一部のクラスメイトから、彼は陰でこう呼ばれていましたよ……。生きた万能結界、と……」 「さっきの変人にして超人……もそうだけど、愉快な呼び名を付ける楽しい高校だねぇ」  松山すら呆れている。そして、「けどさ」と首を傾げた。 「だったらいっそ、その土宮君を裏天津家に何とかして潜入させちゃえば良かったんじゃないの? きっと、生きた万能結界の効能で、養殖邪悪なるモノが全然育たなかったと思うよ?」 「その手がありましたか……!」  栗栖は目を見開き、本気で驚愕している。知人を敵地に放り込む気か。 「……いえ、けどやっぱり駄目です。相手は裏天津家ですし、土宮の事ですから……きっとそつなく良い仕事をして、裏天津家の愚行を本人は知らない間に阻止してくれるでしょう。ですが……土宮がいなくなったら? それまで抑えられていた分、良くない何かが一気に起こる可能性だってありますし、長らくの平和で表天津家が腑抜けてしまう可能性だってゼロじゃないです」  一度言葉を切って、大きく呼吸を吸って。栗栖は、真剣な顔をした。 「それに、やっぱり裏天津家の事は表天津家が責任を持って何とかしませんと。裏天津家は、表天津家が直接、完膚なきまでに叩きのめすべし。これが表天津家の表家訓ですから」  家訓、表もあった。……と言うか、裏の家訓の方がまだまともに思えるのは気のせいだろうか。 「そんなこんなで、支えてくれる相棒はあまりポジティブ過ぎても駄目なんだな、という事を学びました。そして、相棒の解消をどう土宮に切りだそうかと迷っているうちに……」  暦は、ハッと息を呑んだ。ずっとふざけた話が続いていたが、やはり何か事件があったのではないだろうか。 「……何が、あったの?」 「卒業式の日を迎えて、進学先が違った僕と土宮は自然と会う事が無くなりました」  暦は、ガクリと肩を落とした。 「……それで、その土宮君とはその後は……?」 「あ、先週同窓会で会いました。相変わらずでしたよ」  最近も最近である。 「そう……良かったね……?」 「しかし、本当に困りましたよ。大学に進んだら、集団行動を取る機会がめっきり減ってしまって。クラスという大きなグループが無いので、人脈作りが難しいんですよね。高校までですら、土宮以外に相棒になってくれそうな人物に出会えなかったので……正直なところ、焦っていたんです。その時に、この店の方角から裏天津家の盛大な活動の気配が感じられて……」 「そして物語は冒頭へ、って奴だね」  たしかに、暦や松山にとってみればあの大量万引き事件はこの一連の騒ぎの冒頭部分だ。 「今の今まで、その相棒が見付からなかった理由は、半分はわかったよ。……けどさ、天津家の中にはいなかったの? 相棒になれそうな人」 「叔父に従弟に弟に、使用人に妖にと、いっぱいいますけど。けど、できれば戦力は分散させておきたいじゃないですか」 「あ、そう……」  飲み終わったカップを、栗栖はシンクに置いた。松山も悶絶しながら激甘コーヒーを飲み終え、カップを置いている。 「松山店長には、先ほどの理由から本木さんを薦められていました。ですが、薦められただけで即座に相棒にするわけにはいきません」  それは、そうだ。最悪、自分の命がかかるかもしれない役割を、初対面の人間の推薦だけで決めるのはリスクが大き過ぎる。 「ですから、そのまま万引きGメンとして雇われて、スタッフの皆さんと交流を深める事にしたんです。深めて、相棒になれそうな人はいないか、見極めるつもりで……」  そして、最初の万引き……あの齊藤正義少年がやらかした、事件が起きた。 「あの時の……初めて僕の式神を見た時の本木さんの反応と齊藤少年への対応を見て、半ば確信しました。未知の体験に動揺するもすぐに平静を取り戻す順応力、愚かな仇敵を目の当たりにしても取り乱さない冷静さ。そして、自分よりも大きな相手を易々と引きずっていくあの腕力……この人が僕の相棒になってくれたら、頼もしいんじゃないかって……」 「俺……そんなに順応してた……?」 「普通はさぁ、あんな真っ黒ででっかい式神見たら、冷静に万引き犯捕獲なんてやってられないよね。あ、本木君にはあの時、黒いオーラの塊みたいに見えたんだっけ? まぁ、どっちにしろ並大抵じゃない順応力だよね。因みに、村田君は、初めてアレを見た時に硬直して万引き犯を取り逃がし掛けたよ。二川さんは、ふーんって感じだったけど」  思い出し笑いだろうか。松山が、ふふっ、と笑った。今までの中で、一番イラッとする笑い方だ。 「……初めて邪悪なるモノが出た時、店長もかなり順応してましたよね?」 「そりゃあ、話をある程度聞いてたし。それに、僕はこの店の店長だからね。君達二人を含めた、あの濃い面々の司令官だよ? あれぐらいで動揺なんてしていられないよ」 「……天津君、店長の方が相棒に向いてるんじゃないの? 一緒にいても邪悪なるモノが出る事は証明済みだよ?」  松山を指差して言うと、栗栖は困ったように苦笑した。 「松山店長は、順応力とポジティブな性格は大いに向いているんですが……。いかんせん、相手を煽って邪悪なるモノを強大化させる危険性も孕んだもろ刃の剣なものですから……」 「ほらぁ、こういう事だからさぁ」  妙に納得した。とりあえず、松山はその全力で殴りたくなる笑顔をやめてくれないだろうか。 「その後も、本木さんはよく僕の期待を超える行動を見せてくれました。邪悪なるモノを生み出してしまった西園さんを鎮めるために自ら危地に飛び込んだり、裏天津家に人質に取られMに調教されかかっているにも関わらず自分よりもお客の安全を優先した指示を出したり……」 「されてない。誓って調教されかけたりなんかしてないから」  即座に否定したが、説明する事に陶酔している様子の栗栖にどこまでこの言葉が届いているのだろうか……。 「そして、あの時……邪悪なるモノの残滓に……闇に呑み込まれ、心も体も折れそうになっていた僕を、本木さんは助けに来てくれました」  正確には、松山によって蹴り込まれたのだが。それは言っておいた方が良いだろうか。 「残滓への対応も、お見事でした。残滓達に言いたい事を言わせてスッキリさせつつ、僕が必要以上にダメージを受けないよう、言葉をかけ続けてくれて……。人が亡くなった時に、お通夜ってやるじゃないですか。一晩、みんなで故人の思い出話を語るわけですが、ああして語る事で故人に敬意を払い、語る事で遺された者の精神的負担を少しでも軽くできるんです。本木さんの対応は、まさにお通夜でした。完璧です……!」  お通夜のよう、という言葉を褒め言葉として聞く日が来るとは思わなかった。栗栖は、感極まったという顔をしている。 「ここで働くようになって、一ヶ月と少し……半ばの確信は、完全な確信に変わりました。今のところ、本木さん以上に、僕の相棒に相応しい人はいません!」  胸を張って言われても、そこでどう言葉を返せば良いものやら。下手な返し方をしたら、今度は栗栖が邪悪なるモノを生み出したりしてしまうのではないかと、少し身構えてしまう。 「まぁ、そんなわけなんだよ。……それで、天津君? 次はいよいよ、裏天津家との最終決戦に臨むつもりなんだっけ?」 「はい!」  スポーツの大会で次は三回戦だっけ? と訊くぐらいの軽さで、松山と栗栖は言葉を交わしている。松山が、くるりと暦の方に向き直った。 「公式のデビュー戦が最終決戦とか、中々無い事だよ、本木君。頑張ってね! あ、それと念のために病院は行っておきなよ。蹴られたんだから。今日はもうあがって良いからさ」  そう言うと、松山はさっさとバックヤードから出て行ってしまった。「帰る前に洗い物よろしく!」という言葉を残して。  栗栖も、すっかり体調も精神も元に戻ったらしい顔をして、バックヤードを出て行こうとする。 「じゃあ、本木さん。申し訳ないですけど、洗い物お願いします。あと、最終決戦の時が来たら頑張りましょうね!」 「ちょっと、何? 二人してさっきから、最終決戦って!? レベル一の町の住人Aをいきなりラスボス戦に出すようなものじゃないの、それ!?」  ゲームを例えにして叫ぶが、栗栖はにこやかな顔のままバックヤードを出て行ってしまった。残された暦は、呆然とした顔でぽつりと呟く。 「……と言うか。俺、相棒になるなんて、結局一言も承諾してないんだけど……!?」  勿論、誰も聞いていない。邪悪なるモノの元になりそうな、雑霊や悪霊の類すら、暦の呟きを聞く事は無かった。
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