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第23話 弟子志願
頭を打っていた事、時間が既に深夜であった事もあって、栗栖はそのまま一晩入院となった。更に大事を取って、翌日は松山による店長命令で休み。結局、今後について話し合えたのは、事件が起きてから二日経ってからの事となった。
「……で、頭はもう大丈夫なの?」
「本木さん……その言い方だと、まるで僕が頭のおかしい人みたいじゃないですか……」
「あ、ごめん。頭打ってたから、つい」
バックヤードの休憩室で、ペットボトルの緑茶を飲みながら軽い会話を交わす。蓋を閉め、栗栖は小さく息を吐いた。
「御覧の通り、体はもう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
額にはまだ絆創膏を貼っているが、顔色も良いし呂律も回っている。目にも生気がある。どうやら、本人の申告を信じても良さそうだ。
「それで……僕が病院に運ばれた後はどうなったんですか?」
「特にこれといって目新しい事は無かったよ。警察が現場検証をして、店に残ってたスタッフ全員が事情聴取を受けて。……あ、俺はちょっと厳しく質問されちゃったかな。正当防衛とは言え、万引き犯に力技で対応しちゃったわけだし」
「そう言えば。本木さんって、見た目によらず力がありますよね」
見た目によらず、というのは余計だ。
「まぁ、普段からここで本を運んだり、力仕事してるしね。それに、力技って言っても、ほとんど相手が殴りかかってくる勢いを利用していたし」
「さらっと相手の暴力を受け流す事もできるなんて……僕、やっぱり本木さんを相棒に選んで良かったですよ」
「その話、まだ続いてたんだ? と言うか、俺が相棒なのってもう確定なんだ?」
栗栖が、「そうですけど、それが何か?」と言いたげな顔をしている。どうやら、既に覆す事が不可能なところまできてしまっているらしい。
「そうそう、正当防衛で思い出した。あの、俺に殴りかかってきて捕まった子。警察は彼から色々と聞き出そうとしたみたいなんだけど、何も知らないって」
暦のもたらした情報に、栗栖はピクリと眉を動かした。
「知らないと言うのは……一緒に万引きした連中の素性も何も知らない、と。そういう事ですか?」
「うん。何でも、たまたまゲームセンターで知り合った数人で意気投合して、ゲームセンターの物よりもスリリングなゲームをしようって誰かが言い出したんだって。……どこのゲームセンターなのかまでは、警察は教えてくれなかったけど。それで、その場で勢いだけで行動しちゃったものだから、一緒にいた人達の住所は勿論、名前も職業も知らない。今となっては顔もよく覚えてないって言ってるみたい」
勿論、警察はそんな言葉を信じたりはしない。だが、どれほど時間が経っても、ギリギリの線で脅してみたりしても、証言が一向に変わらない。どうやら本当らしいという事になり、少年は保護者に引き渡されたという話だ。
「裏天津家が術を使って、そういうはた迷惑な案に乗り易い人物を一箇所に集めたんでしょうね。こすっからい事だけは本当に長けていますから、奴ら」
中身が半分に減ったペットボトルが、ベコボコベコと音を立てている。顔は冷静だが、腹の中では怒り狂っているらしい。そのうち、中身のお茶が沸騰しだすのではないだろうか。
「こんな事なら、いきなり声をかけたりしないで、彼ら全員に式神を憑けて泳がせるべきでした。そうすれば今頃、犯人グループは一網打尽だったのに……」
そう言うと、栗栖は溜め息をつきながら、傍にあった注文用のファックス用紙を手元に引き寄せカッターナイフで器用に切り抜き始めた。A四サイズの紙があっという間に人の形へと姿を変えていく。
「そう言えば……式神の本来のイメージって、これだよね。黒いオーラの塊とかじゃなくって」
ぽつぽつと注文数やら書名などの言葉が書かれてはいるが、それでもあの万引き対策の呪符から発生する黒い物とこれ、どちらが式神っぽいと思うか、とアンケートを実施すれば、十人中十人が後者と答えるだろう。
「まぁ、たしかにこちらの方が式神のイメージに近くはありますよね。実際に使ってみると、黒の丞の方がずっと使い勝手が良くて優秀なんですが……」
「あぁ、たしかにあっちの方が強そうではあるね。……そろそろ、話を戻すけど。犯行の現場は、防犯カメラに映ってたよ。ただ、うちのカメラはあまり画質が良くないから。犯人達の顔までは流石にわからなかった」
前回の大量万引き事件の時、既にわかっていた事だ。それなのに、カメラをより良い物に変えていなかった事が悔やまれる。事実、松山は今日の朝から高性能の防犯カメラを購入しようと電気屋へ行っている。
「せめて、本木さんが捕獲した万引き犯だけでも良いですから、今からでも式神を憑けれませんかね? 術の痕跡を見付けて、気配を辿れば……裏天津家の潜伏先がわかるかもしれないのですが……」
「え、住処わからないの?」
呆気にとられて訊くと、栗栖は苦虫を噛み潰したような顔をして頷いた。
「はい、全く。逃げ隠れするのが上手いのは、千年もの間、裏天津家が守り通してきた特技と言いますか」
千年もかけて守り抜くものではないだろう、それ。
情報の共有を行っても、結局事は一切進展せず。二人はペットボトルのお茶をもう一口飲んで、深い溜め息を吐いた。
……と、その時。
「本木さん? 今良い?」
返事を待たずに、西園が入ってきた。
「良いけど、お願いだから返事は待とう? 男とはいえ、もし着替えてたりしたら気まずいでしょ?」
「え、別に? 本木さんと天津さんなら、眼福って思うだけだし」
西園の発言に、暦と栗栖は揃って凍り付いた。顔が見る見るうちに引き攣っていく。
「ちょっと、誰? 西園さんに変な事教えたの!?」
「教育係はアルバイトチーフって事になってますから、本木さんじゃないんですか?」
「断じて誓って、教えてない!」
慌てふためいて叫び合う二人に、西園はきょとんと首を傾げている。
「別に教えられなくても、男子の着替え見てはしゃぐ女子とか結構多いし。店長みたいに見苦しい体形じゃなければだけど」
「一男子として、知りたくなかった、その情報……」
「やっぱり、女性怖いです……」
がっくりと肩を落とす二人に、西園は「そんな事よりも」と話を変える。
「本木さんにお客なんだけど。先日の挨拶をしたいって」
「客? 俺に? 何かやったっけ……?」
首を傾げつつ、通してもらうよう西園を促す。西園は頷くと、すぐに扉の外に声をかけた。
「良いって。入って入って」
だから、言葉遣い。高校の同級生と話しているんじゃないんだから。
そう、注意しようと口にしかけた言葉は、発される事無く呑み込まれた。
入ってきたのは、一人の男子高校生。制服を着ているから、間違いなく高校生だ。背が高く、体格が良い。バスケットか柔道か……何かスポーツでもやっていそうな体格だ。
顔に、見覚えがある。二日ほど前に見たばかりだ。ついでに、ちょっとばかり痛めつけてしまった覚えもある。
あの第二回大量万引き事件の、犯人グループの一人。暦に殴りかかり、逆に捕獲されてしまった少年だった。
「……この店、万引き犯が戻ってくる仕掛けか何かしてあるんですか……?」
西園に聞こえないよう、小さな声で栗栖が問う。たしかに、万引きした店にのこのこと客としてやってきたのは、西園に続いて二人目だ。
「いや、そんな術者めいた仕掛けはして無い筈だよ? 寧ろ、店長の存在が二度と犯人を近寄らせないような気がするんだけど……」
二人がひそひそしているうちに、元犯人の男子高校生は暦に近寄ってきた。ひょっとしなくても、つい痛めつけてしまった事に対する報復だろうか? まずい、今日は足立は来ていない。
「本木さん……でしたね?」
「は、はい……」
思わず身構えると、男子高校生はいきなりその場に勢いよく正座をした。
「先日は、すんませんっしたーっ!」
思い切りよく頭を下げ、額を床に打ち付けた。ゴツッという硬くて痛そうな音が辺りに響く。暦と栗栖は、二人揃って「え?」と怪訝な顔をした。
「……えぇっと……?」
「俺、五十嵐秀真っていいます! 二日前、俺……ちょっとむしゃくしゃしてて……ストレス発散でゲーセン行ったら、あいつらに声かけられたんス! 断りゃ良いのに、ほいほい誘いに乗ってお店に迷惑かけて、挙句逆上して人に殴りかかるなんざ……男失格です!」
凄まじく、声がでかい。暦は、思わずバックヤードの外を気にした。
「あ……あー……五十嵐君? とりあえず、もうちょっと声を小さく……」
「はい! すんません!」
全然小さくなっていない。どうやら、これが彼のデフォルトのようだ。
「それで……今日は一体どうして……?」
「はい! 本木さん、俺を弟子にしてください!」
このバックヤードの空気が凍り付くのは、これで何度目だろう? そして、きっと今回ほど凍り付いた事は無い。
「……は?」
暦も、栗栖も、西園も。ついでにあまりの大声に様子を見に来た二川も。完全に凍り付いている。一言二言を発するのがやっとだ。
「二日前……殴りかかった俺を、本木さんはいとも簡単に捻り上げて捕まえました。最初はムカついたんスけど……警察に連れて行かれて、頭冷やして考えて……それで思ったんス。これはもう、弟子にしてもらうしかない、と……!」
「待って。全然頭冷えてないよ!? どことどこの思考回路が繋がって、俺の弟子になろうなんて結論に達しちゃったの!?」
ハッと我に返って、混乱を隠しきれない様子で問う。すると、五十嵐は正座し直した。こちらが緊張してしまうほど、姿勢が良い。
「必要以上の力は使わず、怪我人を案じ、これ以上の被害が出ないように咄嗟の判断をする事ができる。これ……俺の理想の大人の男の姿です!」
まぁ、たしかに五十嵐の捕獲には必要最低限の力しか使っていない。……と言うか、そもそもそれ以上の攻撃力は暦には無い。
そして、あの場で栗栖の怪我を真っ先に心配したのは、人として当たり前の事ではなかろうか。村田に後を追わせなかったのも、それほど大した事ではないと思う。
「……たった、それだけ……?」
「たったじゃないっスよ! それができない大人が! 男が! 一体どれだけこの国にいる事か!」
話の規模が大きくなってきた。
「だから俺! 考えたんスよ! この人についていけば、俺の理想とする大人の男になれるんじゃないかって!」
「漏れなく、ババ引き当てやすい苦労人になると思いますけど」
二川の容赦無い言葉に、暦は苦笑するしかない。とにかく、ここはなんとか適当な事を言って帰って頂きたい。
「そこまで言うなら、まずは僕を納得させてみてください! 本木さんの相棒たる、この僕を!」
栗栖が何を思ったか、おかしなテンションでおかしな事を言いだした。……と言うか、相棒である事を認めるとするならば、暦が栗栖の相棒なのではなかったか。栗栖が暦の相棒では、主体が違ってきてしまう。
「天津さんがそういう事言うなら、私だって言うし! 最初に本木さんに助けてもらったの、私だから! だから、本木さんに認められたければ、まず私にも認められなきゃだし!」
栗栖に対抗でもしているのか、西園までおかしな事を言いだした。暦は、助けを求めるように二川に視線を遣る。二川は、ちゃんとその視線に気付いてくれた。
「駄目ですよ、五十嵐君。音妙堂書店、本木さんをいじる会は、もう定員いっぱいいっぱいなんですから。どうしても仲間入りして本木さんと楽しい日々を過ごしたければ、もうちょっと面白いキャラ付けをして、存在感をアピールしませんと」
そして、二川がまともに暦の事を助けてくれるわけがなかった。……と言うか、何だ、いじる会って。
「キャラ付けって……どうすれば……」
どうやら、根は真面目らしい五十嵐が本気で悩み始めた。栗栖と西園も困惑している。大丈夫、君達は既にキャラが濃いから。
「そうですね……声が大きいだけじゃイマイチですから……本木さんの事を兄貴って呼んでみるとかどうです? あと、他の男性スタッフと女性スタッフをそれぞれ兄さんと姐御」
「兄さん……」
「姐御……」
栗栖と西園が、何故か食い付いた。
「ちょっと、天津君? 西園さん? 何でそんなまんざらでもなさそうな顔してるの? って言うか、天津君、弟いるんでしょ? 何で今更兄さん呼びに憧れてましたって顔してるの?」
「家では、兄上呼びなので……」
そちらの方が貴重ではないだろうか。
そうこうしているうちに、五十嵐はそれで納得してしまったらしい。
「わかりました……不束者ではありますが、これからよろしくお願いします、兄貴、天津の兄さん、二川の姐御に、西園の姐御!」
不束者って、嫁にでも来る気か。そんながたいの良い嫁はごめんだ。そして呼び方がどう聞いても極道なのだが、接客業でそれは良いのか。栗栖と二川、西園も、本当に良いのか。そもそも、五十嵐はここでバイトをする気で来たのか? だとしたら、店長である松山の了解を取るべきではないのか? 松山はまた西園の時のような嫌がらせめいたやり取りをするのか? と言うか、栗栖はこんな事をしている場合なのか?
そんな諸々の気持ちを込めて、暦は力無く言った。
「これ以上、話をややこしくしないでくれないかな……?」
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