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「よし、行くぞ!」
私は心の中で一人ファイティングポーズを取った。そして車のエンジンを掛け、ネオンきらめく国道へと発進させた。
「今日こそは……」
はやる気持ちを抑えるのに必死だった。金曜日の夜だけあって、けっこう渋滞している。
「瑞穂ごめん、欠員が出ちまって今日のデート行けなくなった」
夕方の忙しい時間帯に彼氏からこんなメッセージが届いた。もっと早く連絡してよと思ったが、しばらく我慢していたあれを摂取するチャンスの到来を喜んでしまった。
「今日は金曜日で明日は休み、しかも彼氏と会う予定もないし……これは神が与えてくれたギフトだ!」
普通の二十代女子なら彼氏と会えないことを悲しむのだろう。しかし、私は違った。彼には申し訳ないが、デートの時よりもテンションが上がっている。
車を走らすこと三十分、目的の店が見えてきた。
煌々と輝く黄色い看板の下にはすでに外待ちの行列が出来ており、そこから熱気がむんむん伝わってくる。
「やっぱ混んでるなあ……」
車から降りた私は独り言をつぶやいた。一度店内で『デフォ』の食券を買ってから行列の最後尾に並ぶ。県内でも上位に入る人気店の為、週末ともなると数十人以上の行列も珍しくない。今日もざっと十数人はいるだろう。
だが、入店を待つ人々は男も女も皆無口だった。これから訪れる戦いの時に向けて精神を集中している。恐らく私も同じような顔をしているだろう。
「お待たせしました、こちらへどうぞ」
待つこと約二十分、女将さんが笑顔で赤色のカウンター席に案内してくれた。
「瑞穂ちゃん、麺の量は?」
女将さんがいつもの優しい口調で聞いてきた。かれこれ七年近く通っている店だ、女将さんともすっかり仲良しである。
「あ、300でお願いします」
「はい毎度。300ひとつ入ります!」
食券に書き込みつつ女将さんがカウンターの中に叫んだ。
「はい300! 毎度!」
顔なじみの店主が元気な声で反応する。私は軽く会釈をして席に着いた。
店内に漂うニンニクの匂いに否が応でも気持ちが高まる。
そう、ここはラーメン二郎インスパイアの名店『豚ファー』なのだ。二郎インスパイアとは、デカ盛りラーメンの金字塔『ラーメン二郎』をリスペクトし、独自の改良を加えたラーメンを提供する店のことを指す。今では全国各地にこのインスパイア店が数多く存在する。
その中でもこの『豚ファー』は、豚の旨味を極限まで引き出した濃厚スープにふわとろの豚(チャーシュー)がベストマッチのハイクオリティラーメンを提供している。おまけに接客も非常に良いので足しげく通うファン多数の名店なのだ。さっき頼んだ麺量300グラムとは茹でる前の重量なので、茹で後は約500グラムになる。
高校生の頃、ラーメン好きの父に連れられ食べたここのラーメンに衝撃を受け、気付くとスープを全部飲み干していた。
それ以来、いわゆる『二郎系ラーメン』に目覚めいろんな店を練り歩いたが、やはりこの『豚ファー』が一番だった。ここのデフォ(普通)ラーメンをニンニク増しで食べるのが私の至福の時だった。
だが、大学生の時に彼氏が出来て以来、ニンニクは控えめになってしまった。さすがにニンニク臭を漂わせて彼氏と会うのは気が引けるからである。
そもそも彼氏には私がラーメンマニアであることを隠している。別に変な趣味ではないのだが、乙女の恥じらいからか言えないでいる。気持ち的にはラーメンと浮気している感じだ。
今夜は我慢していたニンニクを思う存分堪能出来る……
「ニンニク入れますか?」
ラーメンに思いをはせていた時、私のコール(トッピング指定)を唱える瞬間がついに来た。心拍数が一気に上がるのを感じる。
「……ニンニクマシマシで!!」
「……はい」
とうとうやってしまった。もう後戻りは出来ない。いつも笑顔の店主も、私のコールを聞いた瞬間表情が強張るのを確認した。
二郎系ラーメンは通常でもけっこうな量のにんにくと野菜が入っているのだが『マシマシ』はそのさらに倍量となる。私もマシマシを頼むのは初めてである。
「お待たせです、ラーメンニンニクマシマシ!」
店主が元気な声とともにラーメンを目の前に置いてくれた。
「す、すごい……」
私はその圧倒的なビジュアルの前に思わず絶句してしまった。
大き目のどんぶりにうず高くそびえ立つモヤシとキャベツの山。その山頂に降り積もったニンニクが粉雪のように五合目あたりまで舞い散っている。
「よし……」
私は箸とレンゲを両手に構えると、まずはスープを一口飲んだ。
「やっぱり美味しい……」
安定した味のスープに吐息を漏らすと、次は野菜の山を少しずつ崩しにかかった。
「――あっ!」
その時、山頂のニンニクが雪崩のように崩れてきた。
「くっ!」
私はすかさずレンゲでニンニクをキャッチした。
「一粒たりともこぼすものか!」
私の気迫に押されたのか、ニンニクの雪崩は止まった。すかさずスープの中にニンニクをとかしていく。
それと同時に野菜の下から極太麺を引きずり出し、ニンニクをたっぷりとかしたスープの中をくぐらせながら口に運んだ。
「うますぎる……」
それ以外の言葉が浮かばなかった。いつも以上に量を増したニンニクは、容赦することなく私の五感を刺激してきた。
やばい、止まらない。
今日おろしたばかりのブラウスに汁が跳ねるのも気にせず、がんがん食べ進めていった。
「ああ……豚さん……」
ふわとろ豚(チャーシュー)にもニンニクをたっぷりとからめてかぶりついた。なぜこんなにも美味しいのだろう。
箸を休めることなく食べ続け、十分後には固形物を全て胃の中におさめていた。
「スープも……いっちゃおう」
この機を逃すといつニンニクが食べれるか分からない。私はどんぶりを両手で持つと、一気に残りのスープを飲み干した。
「瑞穂ちゃん……」
店主と女将さんが心配そうな顔でスープを飲み干す私を見ていた。
「ぷはあっ」
私はゆっくりとどんぶりを置いた。
「最高でした……」
私は人生史上最高の笑顔で二人にお礼を言った。
「そ、そりゃ良かった。瑞穂ちゃんの様子がいつもと違うから、会社で何かあったのかと心配してたんだよ」
忙しいのに店主や女将さんに余計な心配をさせていたらしい。
「すいません、ニンニクマシマシなんて初めてだから緊張してたんです……でも、やっぱり最高でした!」
「ありがとう、またいつでも来ておくれ」
店主も最高の笑顔を返してくれた。
「はい!」
私はどんぶりをカウンターの上に戻すと、深々とおじぎをして店を後にした。
**
「うーん、めっちゃいい気分」
私は店の外に出ると思い切り背伸びをした。ラーメン屋でこんなに緊張することなんてもう一生ないだろう。
「星が綺麗……」
繁華街から少し離れた場所なので星がくっきり見える。
「さて、帰ろう……ん?」
私が自分の車に乗り込もうとしたその時、反対側の歩道を見覚えのある男性と見覚えの無い女性が腕を組んで歩いていた。
「あいつ……!」
急な仕事でデートをキャンセルしてきたはずの彼氏が見知らぬ女と腕を組んで歩いている……黒以外の表現方法がない。
ピピーッ
「バカヤローッ! 死にてーのか!」
私はダッシュで反対側の歩道に走った。危うくトラックに轢かれそうになったが、恐怖も何も感じなかった。
「あっ……」
私が目の前に立つと、彼氏は情けない声を出した。
「あんたのせいでトラックに轢かれかけたわよ……」
私は彼氏の顔を真っすぐ見つめた。
「い、いやっ、これは違うんだ! これには訳が……」
「――私は死にましぇん! あなたが好きだから!」
と叫びながら彼氏の顔面にストレートをヒットさせた。自分でも何を言っているのかよく分からなかったが、感情が爆発してしまった。
ニンニクマシマシのせいかパンチ力もマシマシになっていた。
「おへえっ」
と叫びながら彼氏はダウンした。横にいた女は悲鳴を上げながら逃げ去っていった。
「おい」
私は倒れている彼氏の胸ぐらをつかんで引き起こした。
「ひっ、はい!」
鼻血を流しながら彼氏が返事した。
「今回は許してやるから今すぐここで私にキスして」
私は真顔で迫った。
「は? キ、キス?」
「そうだ、キスだよ、さっさとしろ!」
「わ、分かったって……くさっ!」
彼氏が顔を歪めた。
「お、お前何食ったんだよ! めちゃめちゃ口臭いぞ!」
彼氏がさっきよりも大きな声で叫んだ。だが、私は有無を言わさず思い切りキスしてやった。
「ぐむっ……ぐはあっ……」
彼氏が顔をしかめて悶絶した。匂いに敏感なタイプだから相当なダメージを受けただろう。
「これで私がラーメンに浮気してたのもチャラだね」
私は唇をひと舐めし、悠然と立ち上がった。
空を見上げると、マシマシの……いや、満天の星空がどこまでも広がっていた。
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