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三
階段を上ると、古めかしい二階家が見えてくる。
祖父母が建てた、築五十年は経過している一軒家。なにも変わらないこの町のなかで、特にこの家は、時が止まったんじゃないかと思うほどなにひとつ変わりがない。
……家主夫婦が、もう戻らないことを除いては。
俺は玄関の前に立って、警察から預かっていた鍵を鞄から取り出そうとした。手こずっていると、突然携帯が鳴り始める。慌ててズボンのポケットを弄り、通話ボタンを押した。
「はい、御守です」
「御守先生!
今日お引っ越しでしたよね。今大丈夫ですか?」
「大丈夫です。今実家に着いたところですよ」
「あぁ、それならよかった!
……あのー、締切なんですが」
「あぁ、わかってますよ。
もちろん、明日には間に合わせ――」
「いえ、違うんです。 むしろ気にしないでいただきたくて。
色々、落ち着いたらで構いませんので。
編集長にも言っておきますので、その……」
言い淀む担当に、俺は少し声のトーンをあげた。自分でも悲しいくらい晴れやかな声で。
「田中さん、お気遣いありがとうございます。
でも急な引っ越しを決めたのは僕ですし、親が死んだくらいでこんな新人が穴を開けるわけにはいきません。
大丈夫ですよ、物理的に遠くなっちゃってそこは申し訳ないんですけど、明日にはメールで送りますから」
「御守先生……。
わかりました、でも、無理はなさらないでくださいね」
そう言って、田中さんは電話を切った。
こんな俺みたいな駆け出しのSF作家に、田中さんのような担当がついてくれることはありがたい限りだ。
もうすぐ五十、最近娘さんに彼氏ができたことと、すこし頭が寂しくなってきたことが悩みの、人のいい眼鏡のおじさん。
今でさえ一緒の世界に居さえはするけれど、俺とは、生きてきたこれまでがまるで違う人だ。きっと、これからも。
俺は携帯をポケットにしまい、再び鞄を弄る。
あ、あったあった。
古めかしい日光のキーホルダーがついたままのその鍵を、俺は鍵穴に挿し込み回す。がちゃり、と重い音がした。
俺は十数年振りに、この家に帰って来た。
ほぼ勘当状態で追い出された、この家に。
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