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背は伸びて佐倉に追いついて来ているものの、まだ十代の稲穂は線が細い。大人の佐倉を抱き締めている今、その差を本人が一番感じている。榎田が佐倉を抱き寄せる時、きっと佐倉は安心して身を任せるだろう。
俺は負けている。体でも、心でも。
稲穂はそう感じて胸が苦しくなった。しばらく身を任せたままだった佐倉は、稲穂がそれ以上動かないのを見て稲穂の背中に手を回し、とんとん、と叩いた。
「稲穂。俺だって稲穂が大好きだけど、あやめちゃんへの気持ちとは違う。稲穂が俺を想う気持ち……すごく嬉しいけど、俺が稲穂を想う気持ちと同じだと思うよ」
「違う!子ども扱いすんなよ!」
高ぶっていつの間にか涙ぐんでいた稲穂は、それを佐倉に見られてしまったことで余計に格好がつかなくなって、宥めるように背中に置かれた佐倉の手を振り払うようにして佐倉の肩と首を掴み、無理矢理唇をくっつけた。
佐倉は抵抗しなかった。むしろ力んでバランスを崩しそうになった稲穂が倒れないように、腰に手を回して支えてやった。
稲穂はそうしてみてようやく分かった。佐倉が正しい、と。
初めて好きだと思った人にキスをしてみて、感じたのは明らかな違和感だ。こうしたい訳じゃない。でも榎田に渡すのは嫌なのだ。
「バカ!!」
稲穂は泣きながら言い捨ててキッチンを出て行き、階段を駆け上がって強い勢いで自室のドアを閉めた。
めちゃくちゃだ。こんなつもりじゃなかったのに。
情けなさでいっぱいになってベッドに突っ伏し、肌布団を強く握りしめた。しかもいつもならすぐに追ってきそうな佐倉が追って来ない。俺は全部をぶち壊した。きっと陽人は最低な俺をみて嫌いになったんだ、と稲穂は柄にもなく落ち込んだ。
こんな感情的な自分を見たことがなかった。
あの暴力的な父にさえ、高圧的な祖父にさえ、無気力な祖母にさえ、気持ちを通わせられない姉や母にさえ、ここまで我が儘な本気をぶつけたことはない。
佐倉にだけ──
そうだ……俺には陽人だけなんだ。俺の家族は陽人だけ。世界にたったひとりのひとを取らないでほしい。それが、あの気持ちの正体なんだ。
稲穂は初めて己の孤独をはっきりと感じて泣いた。
父が捕まって祖父母の家を出た時も、母と姉の家にも居場所がなかった時も、佐倉がいたからそれを感じずに済んでいた。
肉親にも期待しなかったことを期待している自分。血の繋がりがある訳でもない赤の他人にそれを求めて、手に入らないからといって駄々をこねて乱暴をした。
大事なものを壊した。元々自分のものでもないものを奪われたくないと必死でしがみ付いて、そのせいで壊れてしまった。
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