因果

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 死んだ私の目に、暮れ方の空が映る。  死んだ、というのは比喩ではなく、事実だ。  私は今、死体となって、板張りの床に横たわっている。  心臓が止まったのは、随分と前の事だ。  生前の記憶も、段々と曖昧になってきた。自分が女だったこと、何かを売って生計を立てていたことくらいしか覚えていない。今いる場所がどこなのかも定かではない。  体こそ動かず、息もしていないが、不思議なことに意識はある。  魂がこの身体を離れてあの世に行くまで、もう暫くあるようだ。  どうせなら家族に囲まれて家の床でゆっくりと眠りたいところだが、あいにく今の世間はそんな平和な最期を許してはくれない。  今、世の中は乱れに乱れている。  私の身体が捨てられ、転がっているこの板張りの床にも、周りには他に幾つもの死体が同じように打ち捨てられている。  男も女も、老人も子供もいる。こうなっては、どんな人間も皆同じだ。  どうせもうすぐ魂が身体から離れるだろうから、それまでこうしてぼんやりと暮れ方の空を眺めることにしようか……。  しかし、そんな私の身体を突然掴み、動かす者があった。  首の向きが変わり、私を掴んだ者の姿が見える。老婆だ。薄汚れたぼろぼろの服を着た老婆が、私の身体をしっかりと掴み、何やら頭を撫ではじめた。  私の家族ではない。全くもって見覚えのない老婆だ。  私が呆気に取られていると、そこへ突然、もう1人の人間がやって来た。今度は男だ。  男は喚き散らしながら何やら光るものを振り回して、老婆に詰め寄っている。  老婆は慌てふためいて何か言い訳のような事を言い始め、そんな老婆に男はこれでもかと掴みかかる。  何だ、これは。  なぜ人生の最期に、こんな醜い景色を見せられなければならない。  ……だめだ。もう、考えるのも面倒になってきた。  きっとこれは、何かの因果だ。自分がどんな人間だったかはもはや覚えていないが、きっとろくでもない事をしていたに違いない。  人を陥れ、騙し、自分の事だけ考えて生きてきた。そんな気がする。  死んだ後も捨てられて死体に囲まれ、挙げ句の果てにこんな醜い乱闘を見せられているのも、きっと生前にした行いの報いなのだ。  そんなことを考えている間に、男は老婆を突き飛ばし、どこかへ去っていった。突き飛ばされた老婆が私にぶつかり、私の頭はまた外の方を向く。  ほら、きっともうすぐ、魂が身体から離れる。私だけではない。この老婆も、あの男も、いつかは死んでこうなるのだ。いつか死ぬ人間が、生きている間にどんな理由で争おうと、私の知ったことではない。  ふと、外に向けられた私の目に、物凄い速さで走り去っていく男の姿が映る。その手には、何やら汚れた布を大量に抱えている。衣服のようだった。  ……そうだ。一つだけ思い出した。  私が捨てられているこの場所。ここは門だ。荒れ果てた門の2階に、私は打ち捨てられている。  この門の名は……。  
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