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冬の寒さも厳しくなった日の夜。
浜辺。
波の音だけが、キンと張り詰めた空気を揺らす。
満ちた月が零す明かりの下、若い男がひとり、炎の前に座り込んでいた。
20半ばでありながら白いものが混じる髪。よれよれのスーツに無精ひげ。痩けた頬の色が青白いのは、寒さのせいだけではない。
防寒具など身に着けていなかった。焚火がもたらす温もりなどたかが知れている。寒さに身を震わせながら、しかしそれでも炎の温もりを求めた。意味がないと、分かっていても。
かじかむ指を必死に操りながら、鞄から原稿用紙の束と薬の瓶を取り出す。400字詰め、120枚。それと、ぎっしり詰まった睡眠薬。
手に一杯の薬を水無しで飲み込む。どれくらいで睡魔は訪れるのだろうか。願わくば今すぐにでも来てほしかった。入水も首吊も出来ない愚かな自分には、凍死しか選択肢がなかったのだ。
睡眠薬を飲んで寒い冬の日に外で寝れば、死ねると聞いたから。痛みも、息苦しさも感じずに死ねるし、それに。
飲んですぐに死ぬわけではない。
それが、絶望と安堵をもたらした。矛盾していた。死を望みながら、しかしそれを怖いと思っている。
苦笑しながら、男は手に握りしめた原稿用紙に目を落とした。
お前は、死など物とも思わなかったよな、と心の中で呟く。
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