さよならは、夜に溶けない

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さよならは、夜に溶けない  『間』という言葉は曖昧だ。  そうかつて呟いた事がある。 「曖昧だから、見えるものもあるのかもよ」  彼女は確か、そんなことを言っていた。  真っ赤な夕日と、迫る夜。長い影が伸びてゆっくりと消えていく。 「そんなもの、無いのと同じだろ」  僕はそんな風に吐き捨てた。  彼女はそうかもねと一言。 「さよなら」  君がそう言った。いつも通りの分かれ道で。  だけど、僕はその日、言葉を返さなかった。  つまらない、意地のようなものだ。  その後、彼女は少し困った顔して、何かを言わなくちゃいけない気がしたけれど、僕は何も言えなかった。  それぞれ別の道を歩く頃にはもう夜で、そのときのことはあまり覚えていない。  確かなのは、彼女がもういないという事実。  街路灯に照された枯れ木が、なんだか冬みたいで安心した。  例えば、だ。 「おはようと、こんにちはの間はどこにあろうかと思うんだ」  朝の教室。ホームルームが始まる前に、僕は彼女に向かって話しかけてみた。 「んー。10時くらいかな?考えたこともないけど」  がやがやと騒ぎ立てる周囲の音の中で、彼女の声は明白に綺麗だった。 「でも、どこかに境界はあるはずでしょ?」  いつものように僕の与太話を真面目に聞いてくれているのが、こちらを見る彼女の目で分かる。 「時間じゃないのかもよ」  そう言いながら、何かいいことを思い付いたという表情。 「というと?」  僕はその先を聞いた。 「こんにちはと、こんばんはで考えれば分かるよ」  なるほど。  僕は彼女が何を言いたいのか分かったけど、わざわざ僕が口を挟む必要は無いだろう。  沈黙で先を促した。 「こんにちはって太陽が出ている間、つまりはお昼。こんばんはは太陽が沈んだ後、つまりは夜。太陽がどうなってるかだから、夏と冬じゃ時間が違うんだよ」  そう話した後の彼女は、何だか誇らしげだった。  僕はその分かりやすい表情に安心感を得た。 「じゃ、時間じゃないとして沈もうとしてる間はなんだろうね。結局曖昧だ」 「またそんなこと言って~」  二人で笑える時間。これが確かな時間。 「あ!分かった」  彼女が声を挙げた。 「何が?」  僕は今度こそ不思議がって聞く。 「こんにちはと、こんばんはの間だよ」  はて、僕には分からなかった。 「それはね────」  その言葉を聞いたのは、彼女が転校する一週間前だった。  曖昧なものは嫌いだ。  想い出なんて抱き締められ続けることなんてできない。  ちゃんと明白な言葉を使うべきだった。  そう後悔している。  今だから、今となってはだが、僕は彼女が好きだったのだろう。僕はその明瞭な気持ちを伝えなかった。曖昧にしたのだ。  そして、何より別れの言葉を。  あの日の言葉を思い出す。 「それはね、さよなら、だよ。私たちがいつも言ってたじゃん」  こんにちは、こんばんはの間には、さよならがある。  違いない。  曖昧な時間が終わろうとしている。さよならの、溶けない夜が来る。言葉が、いつまでも伝えられないままだった。 そうなんだよな。僕らのさよならが似合うのは夕日だ。だから、さよならは、夜に溶けない。  冬の風が吹いた。枯れ木はやっぱり冬の見た目で安心する。  夜の闇が曖昧さを排除して、僕はさよならをいつまでも胸の奥に仕舞っておくしかなかった。
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