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火曜日
その日の朝も、優花はいつものように一人で、のんびりと校門から昇降口に続く道を歩いていた。待ち合わせて一緒に登下校するような友達はいない。挨拶とか話とか、必要があればするけれど、基本的に一人でいるのが好きだ。気を遣って生活しないですむ。
急に道端の植え込みから何かがポーンと飛び出してきた。
「きゃっ」
驚いて横に避けるとポニーテールの髪が揺れる。そこに後ろから走ってくる人がいた。
「わっ」
その人は身軽に避けたが、お互いのカバンがぶつかった。
「ごめんなさい!」
慌てて見ると、その人は校内でも有名なイケメンの一人、3年の佐藤先輩だった。
「大丈夫?」
「はい」
「よかった」
先輩は微笑むと、昇降口に向かって軽やかに走っていった。
はあ、爽やかイケメン……
ぼおっと広い背中を見送って、ふと足元を見ると、バッタがいた。
さっきの飛来物はこいつか、まあいい、ありがとう。朝からちょっといいことあった。
バッタの跳ねていく方向を見ると、家の鍵が落ちている。
あれ? 私、落とした?
カバンを確認すると、ファスナーはちゃんとしまっている。
ポケットに入れておいたんだっけ?
優花は鍵を拾い上げた。このキーホルダー、確かに私のだ。カバンの中にしまい、昇降口に向かった。
昼休み、お弁当を食べようと思ってカバンから弁当箱を取り出すと、底に鍵が二つ入っている。
あれ?
やっぱり私の鍵はカバンに入っていた。
こっちの鍵は朝、ぶつかった佐藤先輩のものである確率が高い。
私と同じキーホルダーがついている。これは他では見たことのないものなのに。
とにかく返さないと。優花は、近くでお弁当を食べ始めた女子たちに佐藤先輩のことを尋ねた。
「3年1組じゃなかった?」
「何するの?」
何も、優花は鍵を制服のポケットにしまうと教室を出た。後ろで、告るのかもね、きゃあ、と黄色い声が聞こえた。これだから女子は面倒くさい。
3年生のフロアに行くことなど普段はない。廊下を歩いている3年女子は大人っぽくて、景色が違う気がする。3年1組の前に行くと、ドアから男子が出てきた。
「あのう、すいません、佐藤先輩いますか」
「ああ、貴浩?」
その人はにやっと笑うと教室に戻って叫んだ。
「貴浩、お客さん」
その集団が一斉に私を見た。友達とパンをかじっていた貴浩が冷やかされながら、こっちに来た。
「1年生? なに?」
こんなシチュエーションには慣れているのか、余裕の対応だ。
「違います」
「ん?」
「告白とかそういうんじゃなくて、これ」
ポケットから鍵を取り出して先輩に差し出す。
「あれ、俺、落とした?」
「多分、朝ぶつかった時に」
「そうだったっけ、ありがとう」
貴浩が手を差し出したので、その上に乗せた。そして優花は自分の鍵を見せた。キーホルダーが揺れる。
「……え? なんで?」
貴浩の声色が少し変わった。やっぱり、この人はこのキーホルダーの意味をわかっている。
「このキーホルダー、お父さんにもらったんです」
優花が言うと、貴浩も続けた。
「俺は母さんから。ニュージーランド土産だよね」
そう、このキーホルダーはニュージーランドのキウイをマスコットにしたものだ。キウイといっても、果物ではなく国鳥の方。茶色い体に目は丸く、くちばしは黄色くとがっていて麦わら帽子をかぶり、右手にクリケットのバット、左手に羊を抱え、オールブラックスの黒いユニフォームを着て、ニュージーランドの名物を一人で体現している、なかなか欲張りでかわいい5センチメートルのキーホルダーだ。
「俺のほかにも持ってる人がいるなんて。昔のものだし、誰もいないと思って家の鍵のキーホルダーにしたのに」
「私もです」
貴浩と優花は顔を見合わせて笑った。
「とにかくありがとう、名前は?」
「佐藤です」
「同じだ、日本一多い名字だもんね。じゃあ」
貴浩は軽く手を挙げて、仲間のもとに戻って行った。ちげえよ、なんて声が聞こえる。優花も顔を赤くしながら廊下を走った。
☆
優花は、夕食の片付けをした後、テレビを見ている父親に話しかけた。
「ねえお父さん、今日ね、同じキーホルダーを持ってる人がいたの」
「ん?」
「ほら、ニュージーランド土産の、お父さんがくれた」
優花が鍵のついたキーホルダーを見せると、父親の顔が微妙に強ばった。
「土産もんだし、当時はどこにでもあったんだよ」
「え? これくれた時は、珍しいから絶対他人とかぶらないって言ってたじゃん」
「そうだっけ。で、誰?かぶった人」
「3年生の佐藤先輩ていう人」
父親は少し考えるような顔になった。
「そう……風呂入ってくるか」
父親はそそくさと部屋を出て行った。
なんかちょっと変な気がした。今日はどうしたんだろう、いつもウザいくらい態度がでかいのに。
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