水曜日

1/1
前へ
/7ページ
次へ

水曜日

 次の日の昼休み、なにやら廊下がさわがしい。ざわめきがどんどん近づいてくる。クラスの女子が優花を呼びに来た。 「ねえ! 佐藤先輩が呼んでるよ! なんで?」 ドアの方を見ると、貴浩がニッコリ笑って手を振っている。 「さあ」 首を(かし)げ、警戒しながら近づく。 「5組だったんだね。1組から探したから時間がかかっちゃった」 優花は頬が熱を帯びていくのを感じた。貴浩が、ちょっと来て、と言って歩き出す。 わざわざ私を探してくれたの?  まさか告白? いやいや昨日ちょっと言葉を交わしただけ、浮かれるな自分。 後ろをついて歩いていると、人気(ひとけ)のない廊下のつきあたりで貴浩が振り返り、優花に話し出した。 「昨日、家に帰って母親にキーホルダーの話をしたんだよ。学校に同じの持ってる人がいた、佐藤さんっていう人、って言ったら、手に持ってたマグカップを床に落としたんだ、マンガみたいに」 「はあ……え、どういうことですか?」 「いやあ、コーヒーをラグにぶちまけちゃってさ、俺まで拭き取りを延々と手伝わされる羽目」 「それはいいから」 意外と面倒くさい人だ。優花が(かぶ)せ気味に言うと、貴浩はむうとした。 「何の気なしに話しただけだったのに、動揺してごまかそうとしてた。それでピンときたんだ、ひょっとしたらうちの母親にはがいるんじゃないかって」 「特別って? それがうちのお父さん? まさか。佐藤なんて名前の人、山ほどいますよ」 「君のお父さんはうちの母さんと同じキーホルダーを持ってる。あのキーホルダーは日本では売ってないし、ニュージーランドで出会って一緒に買ったのかも」 「万が一そうだとしても、ただの知り合いじゃ」 「ただの知り合いならいい。でもただの知り合いであんなふうに動揺するわけない」 優花は父に違和感を持ったことを思い出した。二人は深刻な顔で互いを見た。 「まさか……もうなんでお父さん佐藤なんだろ! 権俵(ゴンダワラ)とか鬼瓦(オニガワラ)だったらピンポイントで判るのに」 親がそんな名字なら自分もそう呼ばれることは、優花の頭にない。 もうお父さん何してたの、若いとき。 キーンコーン   カーンコーン 午後の授業の予鈴が鳴った。 「くそ、時間だ。続きは明日」 「へ?」 「お父さんに留学してた時期とか期間、詳しく訊いといて。二人がニアミスしてるかどうか調べる。俺も母親に聞いとく、じゃ」 「先輩! お母さんの旧姓、何ですか!」 階段を駆け下りる貴浩の背中に叫んだ。 「鈴木!」 日本で2番目に多い名字。ああ私、なぜ下の名前の方を訊かなかったんだ。 ☆  貴浩はコンビニに寄って帰宅した。まだ誰も戻っていない。カバンから鍵を取り出し、ドアを開け、手の中のキーホルダーを見た。古いキウイの顔は(すす)けている。相変わらずとぼけた顔をしているキーホルダー。貴浩は鍵ごとカバンに放り込んだ。 「ただいまぁ」 「お帰りぃ」 母親が帰ってきた。訊くなら父親の帰る前に済まさなければ。階下に下りる。 「ね、俺もそのうち海外に行くよ」 「何、急に」 「母さんが留学したのいつ?」 「26歳の時、最初の仕事を辞めた後だから。自分でお金を貯めて行ったのよ」 「行ってよかった?」 「ええ。いろんな人に会えて、いろんな価値観があるって知ったわ」 「そうなんだ」 佐藤さんは? どんな人だった? さあ訊くんだ、俺。 「ね、」 「ただいまぁ」 「あ、お父さんだ、お帰りなさぁい」 母親は貴浩に笑いかけると、パタパタと玄関に出迎えに行った。 夫婦仲はいいはずだ、訊けねえよ。でもやっぱり気になる。母親の、あの動揺っぷりを見たら。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加