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水曜日
次の日の昼休み、なにやら廊下がさわがしい。ざわめきがどんどん近づいてくる。クラスの女子が優花を呼びに来た。
「ねえ! 佐藤先輩が呼んでるよ! なんで?」
ドアの方を見ると、貴浩がニッコリ笑って手を振っている。
「さあ」
首を傾げ、警戒しながら近づく。
「5組だったんだね。1組から探したから時間がかかっちゃった」
優花は頬が熱を帯びていくのを感じた。貴浩が、ちょっと来て、と言って歩き出す。
わざわざ私を探してくれたの?
まさか告白? いやいや昨日ちょっと言葉を交わしただけ、浮かれるな自分。
後ろをついて歩いていると、人気のない廊下のつきあたりで貴浩が振り返り、優花に話し出した。
「昨日、家に帰って母親にキーホルダーの話をしたんだよ。学校に同じの持ってる人がいた、佐藤さんっていう人、って言ったら、手に持ってたマグカップを床に落としたんだ、マンガみたいに」
「はあ……え、どういうことですか?」
「いやあ、コーヒーをラグにぶちまけちゃってさ、俺まで拭き取りを延々と手伝わされる羽目」
「それはいいから」
意外と面倒くさい人だ。優花が被せ気味に言うと、貴浩はむうとした。
「何の気なしに話しただけだったのに、動揺してごまかそうとしてた。それでピンときたんだ、ひょっとしたらうちの母親には特別な佐藤さんがいるんじゃないかって」
「特別って? それがうちのお父さん? まさか。佐藤なんて名前の人、山ほどいますよ」
「君のお父さんはうちの母さんと同じキーホルダーを持ってる。あのキーホルダーは日本では売ってないし、ニュージーランドで出会って一緒に買ったのかも」
「万が一そうだとしても、ただの知り合いじゃ」
「ただの知り合いならいい。でもただの知り合いであんなふうに動揺するわけない」
優花は父に違和感を持ったことを思い出した。二人は深刻な顔で互いを見た。
「まさか……もうなんでお父さん佐藤なんだろ! 権俵とか鬼瓦だったらピンポイントで判るのに」
親がそんな名字なら自分もそう呼ばれることは、優花の頭にない。
もうお父さん何してたの、若いとき。
キーンコーン
カーンコーン
午後の授業の予鈴が鳴った。
「くそ、時間だ。続きは明日」
「へ?」
「お父さんに留学してた時期とか期間、詳しく訊いといて。二人がニアミスしてるかどうか調べる。俺も母親に聞いとく、じゃ」
「先輩! お母さんの旧姓、何ですか!」
階段を駆け下りる貴浩の背中に叫んだ。
「鈴木!」
日本で2番目に多い名字。ああ私、なぜ下の名前の方を訊かなかったんだ。
☆
貴浩はコンビニに寄って帰宅した。まだ誰も戻っていない。カバンから鍵を取り出し、ドアを開け、手の中のキーホルダーを見た。古いキウイの顔は煤けている。相変わらずとぼけた顔をしているキーホルダー。貴浩は鍵ごとカバンに放り込んだ。
「ただいまぁ」
「お帰りぃ」
母親が帰ってきた。訊くなら父親の帰る前に済まさなければ。階下に下りる。
「ね、俺もそのうち海外に行くよ」
「何、急に」
「母さんが留学したのいつ?」
「26歳の時、最初の仕事を辞めた後だから。自分でお金を貯めて行ったのよ」
「行ってよかった?」
「ええ。いろんな人に会えて、いろんな価値観があるって知ったわ」
「そうなんだ」
佐藤さんは? どんな人だった?
さあ訊くんだ、俺。
「ね、」
「ただいまぁ」
「あ、お父さんだ、お帰りなさぁい」
母親は貴浩に笑いかけると、パタパタと玄関に出迎えに行った。
夫婦仲はいいはずだ、訊けねえよ。でもやっぱり気になる。母親の、あの動揺っぷりを見たら。
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