シンガポール・スリリング

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「オマエさぁ……大丈夫なのかよ。うわ、くっせぇ」 「ふふっ……一度、思いっ切り食べてみたかったのよねぇ……」  ふらつくアンジェリーナの腰を支えて、客室へ戻ったのが、19時5分。開け放った窓の外は、熟れ過ぎたオレンジみたいな茜色に染まっている。  寄りかかっていた身体をゴロリとベッドの上に下ろした途端、ブワッと独特の香りが漂った。  エビとマッシュルームのアヒージョに、ペペロンチーノに、仔牛のステーキ。レストランで、しこたまニンニク料理を堪能したコイツは、バーに行くという本来の目的を前にダウンした。  朝ニューヨークを発ってから19時間近いフライトを経て、体力的にも限界だったのだろう。大体、今のコイツは普通の状態じゃないのだ。なのに……。 「オマエ、一遍に無茶し過ぎなんだって」 「はー。アンタは分かってないのよぅ」  眉間にしわを寄せ、紅い唇をギュッと苦しげに結んだ。そして、涙を目尻に溜めた必死な眼差しをオレに向ける。 「アタシに取っては、一生に一度かもしれないの。こんなチャンスは……二度とないのよ!」 「そりゃあ……分かるけどよぉ」  備え付けの冷蔵庫から、冷えたミネラルウォーターのペットボトルを取り出して渡す。 「分かんないわよ!」  パシッと手を払いのけられた拍子に、ペットボトルが転がる。 「アタシ達は、日が昇るとカーテンを閉じる。日光浴も日焼けも御法度。あっつい夏でも川やプールで泳ぐことは出来ないし、イタリアンもほとんど食べられない。不老不死なんて言われているけど、こんなに制約が多くって……うわーん!」  ガバと起き上がった途端、一気にまくし立てるとヒステリックに泣いた。オレを睨む瞳の奥に紅く燃える光が瞬く。夜が近付いて、本来の力が強まってきているのだろうか。だとしたら、このニンニク臭は命取りだ。 「分かった、分かった。オレが悪かったよ。だから、これ飲んで、歯研いてこい」  ペットボトルを拾い上げると、もう一度渡す。ベッドの縁に座って、アンジェリーナの頭をヨシヨシと撫でてやる。昔っから、機嫌を損ねた時の仲直りのやり方だ。 「うぅ……分かったわよぅ」  オレの背にコトンと身を預けると、彼女は大人しくゴクゴクと喉を鳴らした。それから、ふぅ……とニンニク臭い息を吐いて、フラフラとバスルームへ消えていった。  見送ってから、窓へと視線を投げる。空は既に残照となり、茜から赤紫へと着替えていた。  あの事故は――およそ半月前の満月の夜だった。  オレは、仲間達と一晩中街を駆け回り、気の合った女とコトに及ぼうとして――人間に見つかった。散々気が昂ぶったまま、アイツのバーで酒を引っ掛けて……目が覚めたら、アイツのベッドの中にいた。しかも、互いに本能のまま噛み合って……人狼(オレ)の血がたっぷりアイツの中に、吸血鬼(アイツ)の血も少しだけオレの中に……要は混ざり合ってしまったのだ。  翌朝、日光が苦手だったアイツは、すっかり平気になっていた。パニクったオレが一族の長に相談すると、こんなことは初めてのケースだから、あくまでも予測だが、互いの種族の要素が融合するまでのだろう――との見立てだった。 『南国のリゾートに行くわよっ! アンタ、付いてきてくれるわよねっ!?』  アンジェリーナの剣幕に圧されて……今に至ると言う訳だ。 「いっやああああぁー!」  突然、バスルームから、絶叫が響いた。
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