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「お時間どうも」
律儀に一分待ってくれたようだが、やる気は満々。
一体どうしてこんなことになったのか。
今日着いたばかりで、仕事は早上がり。で、土地勘を得ようとあちこち歩いて気づけば夕暮れ。街の中央に掛かる橋から見る夕暮れはどんなものかと立ち寄って、四つ腕の鬼と目が合った。
そう目が合っただけ。
なのに、きっかり10秒見つめ合ったら物凄い勢いで駆け寄って来て、この鬼、殴りかかってきた。「お巡りさん、四つ腕の赤鬼に襲われてます」と上司に通報したら「気をつけるように言ったよね。それ怪我すると君が罰金だから。もちろん怪我をさせたら傷害罪ね」と信じられないことを言われる始末で、この世に味方は居ないのだと悟る。
そんなこんなで延々、逃げても逃げても追ってくるので、いなして30分。
なんとかもぎ取った休憩。1分は短い。
「わあ、準備万端」
構えを取り直した鬼が、踏み込んできた。
コンパクトに畳んだ人型の方の両腕で牽制の打撃が飛んでくる。
完全分業制。
牽制のジャブを上下左右に振ってくる。交わしていると時折頭を下げる姿勢を取らざるを得ず--即座に地面を転がった。顔の横を鋭く抜けた、頭ほどある拳が地面に突き刺さる。鬼の背から生えた拳が半分地面に埋まった。
「アレだけは無理だわ。潰れたトマトみたいになる」
背の豪腕だけは受けては絶対に受けてはいけないと改めて認識する。
転がるのに足開いてスカートが裂けた。ストッキングも。こんな事なら初日だからって気張ったカッコするんじゃなかった。低いとはいえヒールが邪魔。パンプスを脱いで捨てる。土と化粧と汗が混ざって気持ち悪い。手で拭う。髪も邪魔だ。長さに任せて乱暴に結う。髪留めは上司が役に立たない事を知って投げ捨てたカバンの中。仕方ない。今を凌げればいい。
狙いが私以外に逸れても嫌だし、怪我をするのもさせるのもなし。
「さあ、日の入りまで付き合ってやる」
腹を括って、陽が沈むまで鬼の拳をいなして避けて、捌き続けた。
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