黄昏魔狩り団

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 民家の屋根と紅葉した庭木の間で、太陽が山の稜線に触れようとしていた。  成瀬(なるせ)ヒトミは袖裾をまくり、腕時計で現在時刻を確認した。十六時五十二分。彼女が人としての時間を突如断ち切られたのは、ちょうどこの時期この時刻、十月の夕暮れ時だった。  生身の身体でもないのに、ヒトミの背中を厭な汗がつたった。それと同時に、既に十五年以上経とうというのに未だに収まらない憎悪の感情が、腹の底から湧き上がって来た。  ああ、こんなんで私が真っ当な死者になれる日は、いつ来るんだろう?ヒトミは自分と同じ年に魔狩り団に入った自分と同じ境遇の元団員の顔を思い出した。狩りは上手いとはいえなかった彼女だが、たった三年で団を退いた。  憎しみが寂しさへ変化しかけたのを、ひとみは皮肉な笑みをつくって自制した。憎しみや恨みが、自分の地上での存在を確かにし、“魔”を狩る力となる。巡邏を任されている十九時までは、黒い感情に支配されるままでいた方が、人の助けとなる。  胸ポケットに入れたレシーバーが振動した。天上で管轄地域を監視している本部から、連絡が入ったのだ。  道を歩く男性に近接する、黒い影あり。  指令を受けたヒトミが数分走って向かった先には、確かに知らされたままの状況があり、しかも、男性の十メートル程前方には若い女性が歩いていた。  「魔が差した」とは、罪を犯した者の常套句だ。だが実際に、……これは死者のみが知っていることだが、“魔”が人の心の隙をついて入り込み、付いた人に悪事を働かせることは、少なくない。その“魔”が人に憑りつく前に、それらを捕らえ始末するのが、ヒトミたち魔狩り団の仕事だ。  ヒトミは、背中に差していた、網の直径が自分の身長とそう変わらない魔捕り網を手に取り、構えた。そうして、大型犬サイズの黒い影である“魔”の後を追い、徐々に距離を縮めていった。  普段は死者の気配に敏感な“魔”だが、生者に入り込む瞬間はもっとも無防備となり、魔捕り網にもかかりやすい。しかし、もし捕獲のタイミングを逃し、“魔”に人と一体化されてしまえば、その後は実体のない魔狩り団員になす術はなく、“魔”に憑りつかれた人の暴挙を止めることもできない。  だから、勝負は一瞬だ。一瞬を見極めるのに大事なのは、“魔”を観察することではない。“魔”が標的とした人物がつけ入る隙を見せた瞬間こそが、一度きりのチャンスなのだ。  片側が貸し農園、もう片側が神社の高い塀になった細い道に、前を行く女性が、そして後ろを歩く男性も入ったところで、その時は訪れた。男性は一旦、足を止め、道を引き返そうか迷ったらしかった。しかし、彼は再び女性の後をつけ…その直後に、ほぼ球形だった黒い影が触手のような形にした一部を、男性のうなじに向かって伸ばした。  ヒトミは、逃しはしなかった。一気に“魔”との距離を詰め、団員になりたての頃とは段違いに鈍くなった動きを経験でカバーし、たったひと振りで魔取り網の中に黒い影を丸々閉じ込めた。暗い感情を原動力にして“魔”を狩るヒトミだが、いつも魔狩りに成功した直後の一瞬だけは、虫取りに成功した子供とそう変わらない気分になった。  網にかかり地べたに押し付けられた“魔”は、網の中でぐるぐると色を変え、形を変えた。そうして最後に現した姿に、ヒトミは落胆を隠せなかった。  黒い影は、“魔”ではなかった。  魔狩りは、“魔”と思われる黒い影を魔捕り網で捕獲、その本性を確認してから、どどめを刺すのが鉄則である。というのも、黒い影の多くは“魔”なのだが、稀に、地上を彷徨う只の幽霊だったりもするからだ。  団員達は、狩りの成果が幽霊であった場合を、シンプルに「ハズレ」と称する。 「ハズレか…」  ヒトミが正直な感想を漏らすと、網の中の幽霊は、あからさまに不快げな顔をした。網に囲われ本性を露わにした幽霊の外見は、白い開襟シャツに黒いズボン。髪を短く刈りそろえた、二十歳前後の青年だった。  これといった未練もなく没した人間は、死後、霊体の形を生前に自らが一番気に入っていた姿とする。ヒトミが捕らえたモノクロ青春映画に出てきそうなファッションの幽霊も、若くして亡くなったのではなく、満足のいく最期だったのではないだろうか。 「身分証、出して」  全身ダークグレーの装束の少女に横柄な態度で促され、「なんで、あんたに…」と渋った幽霊だったが、ヒトミが襟に留めた魔狩り団の記章を指し示すと、億劫そうに尻ポケットから七色に発光するカードを出した。  七色の身分証、通称プリズムカードは、あの世の正式な住人にのみ発行される代物だ。ヒトミはカード表面の写真を確認し、腰に提げていたバーコードリーダーをかざした後、身分証をひっくり返し、裏面を見た。網の中の幽霊は、気まずげに苦笑いした。 「不法滞在」  ボソリと、不機嫌な声音でヒトミは言った。  プリズムカードを持つあの世の住人は、一年に一度だけ、この世に戻ることを許されている。生前日本人であった霊などは、七月か八月の盆時期に地上に戻ることが多いが、中には、地元の祭りや孫の結婚式など、イベント事に合わせて里帰りする霊もいた。  身分証の裏には、お上から許可された下界滞在の最終日がスタンプされるのだが、目の前の幽霊のカードに刻印された日付といえば、今年の八月十六日だった。 「よく、二ヶ月も隠れられたもんだわ」 「基本、ずっと孫の家の、押し入れの中にいたからな。それよりも、孫が…」  幽霊は後ろを振り返り、離れてゆく男性の背中を追おうと魔捕り網から出ようとしたが、それは叶わなかった。魔捕り網は“魔”も霊も、外には出さない仕様になっている。 「おい、今、大事なとこなんだ!ここから出してくれ!」 「今まで二ヶ月も不法滞在しといて、何言ってんの?今、管理局に伝えたから、このまま強制送還」 「孫のためなんだ。ちょっとだけでいいから、ここから出してくれ!頼む!」  魔狩り団は、ただの私設組織だ。お上から一応は存在と活動を認められてはいるが、あの世から降りている霊を丁重に扱い、その意思を尊重しろとは、何よりきつく仰せつかっている。  ヒトミはこれみよがしにため息を吐くと、背負っていたボディバッグからGPS付きの足枷を取り出し、それを地面と魔捕り網の隙間から幽霊に渡した。 「これ、足首に付けて」  幽霊は、慌ただしく左足首にベルトを巻き付けた。正常な作動を示す青いランプを確認して、ようやく、ヒトミは幽霊に被せていた網を除けてやった。 「行っていいよ」  礼の意味か、幽霊はヒトミに向かって軽く頷くと、駆け足で男性を追い、ヒトミも管理局への義理半分、単純な好奇心半分で後をついて行った。走りながら、ヒトミは同じく横を走る幽霊に聞いた。 「ねぇ、あの人のこと、孫って言ってたけど、なんで滞在期限無視してまで、孫につきまとってんの?」 「あいつがうじうじうじうじして、ちっとも好きな女に告白しないからだ!自分が若い頃は…」 「お祖父さんの若い頃の話はいいから」 「……盆に帰った時にな、あいつに好きな子がいることを知ったんだ。でも、告白のタイミングを何度も逃しているらしくて。今度その時がきたら、俺の勇気を貸してやろうと、ずっと待ってたんだ」 「じゃあ、あの前を歩いてる女の人が、好きな人ってわけ…」  ちょうど、ヒトミが彼女に目を向けたタイミングで、女性が背後を振り向いた。彼女が睨みつけたのは、駆け寄ってきた二体の幽霊……ではなく、ずっと前から自分の後ろを歩く男だった。 「あなた、なんなんですか?さっきから、ずっと私をつけてますよねぇ?!」  彼女の勢いに気圧された男性が半歩下がったところで、二人の中間に位置する街灯の電気が点いた。 「先輩…先輩ですか?」  青白い光に照らされた女性の表情が、警戒から驚きへと変わった。幽霊二体には逆光の背を向けている男性が、しどろもどろに答えた。 「う、うん…。ごめん、怖がらせちゃって。後ろ歩きながら、話しかけよう話しかけようと、何度も思ってたんだけど」 「あ、そうですか…。でも、そんな追ってきてまで、私になにか用事、とかですか?」 「用事、というか、仕事中に話すのは、ちょっと場違いかと…」 「彼女は孫の高校時代の後輩で、二人は野球部で選手とマネージャーの関係だったんだ。孫はその当時から彼女が好きだったが、気持ちを伝えられないまま卒業した。それが今年、偶然、喫茶店で働く彼女と八年ぶりに再会してな。孫は、お互い大人になった今度こそ気持ちを伝えようと、喫茶店に通ったが、これまでは言えずじまいで…」  孫が話す五倍速で、祖父である幽霊はヒトミに耳打ちした。 「あの、」  男性は、うつむかせ気味だった頭を持ち上げ、ついに真正面から彼女を見据えた。 「ずっと、好きでした。高校の時から。もう会えないと思ってたけど、また会えて、それで、やっぱりまだ好き…いや、昔より、もっと好きになった。坂本さんが、おれみたいな地味なタイプ好きじゃないの、わかってる。でも、その、友達としてでいいから、たまに会ったり、一緒に出かけたり、してくれないかな…」 「「あっ」」  震える声での決死の告白を、息をつめて見守っていた幽霊二体だったが、蛾のような影が女性の耳の穴に入っていったのを目にし、思わず同時に声を漏らした。  蛾のようではあったが、蛾ではなかった。死者には見えても生者には見えない、あれは…。 「友達でだったら、いいですよ」  女性は、笑った。男を喜ばせる笑顔だった。 「おいっ!今の!」  幽霊は唾を飛ばし目をまるくして、ヒトミに確認を求めた。 「あー……、『迷い蛾』だったね」  『迷い蛾』とは、虫ほどのサイズの小さな“魔”の総称だ。地上のそこいらじゅうをそれこそ虫のように沢山飛んでいるが、“魔”であることには違いない。 「だったねって、あんた、捕まえなくていいのかっ?!」 「だって、もう入っちゃった後だし」 「入っちゃったって、俺の孫はどうなるんだ!あんなのが入った女に関わって、保険金殺人とか、美人局とか…」 「小さかったし、大丈夫でしょ。お孫さんって金持ち?」 「いや、むしろ平均より低収入だと思う」 「だったら、『彼氏いるけど、都合のいい男として付き合ってやってもいいかも』とか、『年末年始淋しくならないように、つなぎにしとこうかな?』とか、その程度のことじゃない?」 「あんた、小中学生みたいな見た目で、そんな…」 「死人の齢を、見た目で判断しない!ほら見て、お孫さん、嬉しそうじゃん」  周囲を明るく照らす街灯の元で、若い二人は身を寄せ連絡先を交換し合っていた。 「しかし、…浮気とか、つなぎとかって…」  ヒトミも、魔狩り団に入ったばかりの頃は、ちいさな「迷い蛾」さえも許せず、一匹一匹始末して回っていた。それどころか、先輩団員が敢えて「迷い蛾」を見逃すことに、憤りさえ覚えていた。  だが、周りに諭され、自ら様々な体験をし、“魔”というものがある程度であれば必要とされていることを、今は知っている。小さな心の隙に入り込んだ“魔”によって生まれるものもあるし、“魔”が結果として人の心の成長を促すことだってある。 「もし、お祖父さんの孫が良い男だったら、彼女の本命になる可能性だって無くはないんじゃない?」  ヒトミの言葉に、幽霊はフフフと皮肉っぽく笑った。彼の中で可愛くはあっても、孫の評価はあまり高くないのかもしれない。 「管理局から、お迎えきたよ」  人以外の気配を感じとったヒトミの視線の先、男女が並んで歩き去る反対側、もうすっかり陽が落ち暗くなった道を、うすぼんやりと光る二体の人影がこちらに近づいてくるのが見えた。 「孫より、自分の心配した方がよさそうだね」 「ああ~。俺、どれくらいの罰受けるんだ?」 「憑りつきはしなくて不法滞在だけだったら、四、五年この世に降りられないくらいかなぁ?あとは多分、閻魔庁で講習受けなきゃだけど」 「閻魔庁かぁ…」 「じゃあ、わたしは行くから」  ヒトミはがっくりと肩を落とし背中を丸めた幽霊を残して、急ぎ足でその場から離れた。管理局と鉢合わせをすると、きまって面倒なことになるからだ。管理局の職員はこちらが魔狩り団の一員とみると、いい加減恨みを捨ててあの世に上がれと、必ずしつこく説得しにかかってくる。まったく、余計なお世話でしかない。  道路を曲がった塀の脇で、ヒトミは腕時計を確認した。十七時二十分。頭の中に地図を描き、そうして、“魔”の出没多発区域に足を向けた。とんだ「ハズレ」を掴まされたが、黄昏番の見回りはこれからまだ、一時間半以上続くのだ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!