昼のカートリッジ・夜のカートリッジ

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 シェルターの書庫に行けなくなった今は、代替手段として大学カートリッジがある。  だけどシェルターであれほど書物を読んだのは、仕入れた知識を披露するジョウジやほかの仲間たちがいたからだったらしい。  こうして一人になってしまえば、取り立てて何かを学ぶ必要などないと思えてくる。  バーチャルで得た知識は覚醒後に急いで書き留めないと刻一刻と記憶が薄れていくから、その張り合いのなさもあるかもしれない。  それでも時には何かを得たような実感が一瞬でも欲しくて、大学のカートリッジを選んで講義室に座ることがある。  膨大な過去の記録から何かを見出したところで、こんな状況の自分が何かを成せる可能性などないとわかっているのに。  昔の人間が生きた証を残そうとする熱意には感心する。  二十世紀ごろの大衆小説では男女の営みについて書かれているものが多い。おそらく時代の価値観として、遺伝子なり知識なり自分の痕跡を残したいという発想があったのだろう。  衰えていく一方の僕にそんなバイタリティは絞り出せない。  僕らの先に後世があるかさえ不確かなのだ。ほとんど新しい命を生み出さなくなった人類は、もうあと何世代かで滅びるだろう。  仮に僕のこんな日常を手記にしたところで、読む人は何一つ面白くないに違いない。  登場人物は僕一人。舞台はこの狭くて無機質な部屋から変化せず、新しいキャラクターが登場することもない。  既に作られたカートリッジを差し替えて受動しているだけで、僕の時間は流れていく。
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