昼のカートリッジ・夜のカートリッジ

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 この<昼と夜の間>はどうしてもネガティブな方に思考が向いてしまうけれど、夜の楽しみを考えることにしよう。  夜か、今晩はどんなカートリッジにしようか。  定番の家族団欒は、終了後の虚無が著しいのでやるならば夜に限る。現実に戻ることなく幸福感のままに眠りに落ちることができるからだ。  草原の真ん中で満点の星空を見上げて、風の感触を肌に受けるのもいいな。いや、大自然のリゾート系は最近ちょっと食傷気味だ。  趣向を変えて、人類が労働をしていた時代の「残業」を体験してみるのはどうだろう。  一週間働いた後の「花金」もオプションで付けて、同僚と乾杯してみたい。  あとは明日の日中のカートリッジも選んでおかないと。この前はうっかり忘れていて大変な目に遭った。  ランダム再生になってしまい、僕の苦手な高所のシーンが出てきたのだ。バーチャルにも関わらず、足がすくんでしまう感覚が妙にリアルだった。  あの場で僕の配偶者だったサトミが、山の上の展望台から四方の風景を子どものように眺めている姿だけは少し良かったが、それをゆっくり堪能する余裕もなかった。  僕の毎日は一日一度、自分で選んで組み合わせる<夜のカートリッジ>と<昼のカートリッジ>の銘柄で決まる。  <夜のカートリッジ>は、程よいところで睡眠に移行するようプログラムされているから、気付かないうちにバーチャルと地続きで眠りに落ちていく。  朝になれば、次にセットされている<昼のカートリッジ>が起動して、好みの世界が脳内で再生される。その繰り返しで僕の人生はできている。  今こうやって俯瞰してみる分には地獄のような日々だが、向こうにいる間はそんな苦痛とも無縁でいられる。  なにしろカートリッジには楽しいイベントが詰め込まれているし、状況に適した感情までもがインストールされるのだ。  バーチャルに身を置いている間は、旅行にスポーツ、グルメ、友情や家族愛まで、自分の身に起きる事実として錯覚したまま没入できる。  一昔前の言葉で言えば麻薬に近いだろうか。  精神を麻痺させて幸福感を味わわせる麻薬が合法でない時代もあったらしいが、今の僕たちには必須のツールと言っていい。  それはつまり、僕たちの現実がそれほど厳しいということでもある。
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