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怨霊合戦
線路に沿って南北に建ち並ぶ資材置き小屋は夜間になるとホームレスたちの寝床と化す。北にあがる小屋ほど冬場は嫌われ,逆に夏場は好まれるらしい。僕は2月の3日間を北端から2番目の小屋で過ごしたことがある。4日目の夜に世話役の男から鍋を食わしてやると,冬季は一等地となる南端から2番目の小屋に招かれたのだが,不本意な経験をしてホームレスの群れから逃げた。
誰か出てくる。南端から2番目の小屋だ。
停止した心臓が再起しそうなくらいどきりとする。あの男ではなかった。
見知らぬ男がハロウィンの残飯を食い過ぎたとか腹をさすると,小屋のなかから別の男の笑い声が漏れ聞こえた。その直後――
小屋からもくもくと湧きあがった青白い雲が忽ち巨大な人影をつくり,男の前へ回りこむなりその腹を突いた。怨霊だ!
男は呻き,腹をかかえて蹲った。それを見おろし満足げに頰を歪める怨霊の顔が鮮明に輪郭づけられた。今度こそ心臓の抉られそうな目眩を覚える。
怨霊と目があった。
一目散に逃げだした。線路を逸れ,牧草地を越え,工場地帯に入ったところで行く手を阻まれる。巨大な両腕を水平にのばし,大股で跳ねながら,どんどん押し返される。あっという間に線路沿いの小屋に後戻りだ。
「久しぶりじゃねえか」怨霊が嗄れた声を発した。ホームレスの世話役を務めていた男だ。何で,あいつが怨霊に? こいつも死んだのか?
「そうさ! 俺も死んだんだ。あいつにここを追放されてな――」怨霊が顎をしゃくった。怨霊に腹を突かれた男が荒い呼吸をしていた。「行き場をなくした俺は餓死して死んだ。あいつに殺されたようなもんさ。だから今度は俺があいつを呪い殺してやんのさ」
小屋からもう1人の男が出てきて相手の男を気遣っていた。長髪で,すらりとしているが猫背な姿勢に見覚えがあった――
心滋,君なのか? 高校時代の同級生で,卒業してからも時々家に来たり,手紙を寄越してきたお節介野郎だ。NPOの活動に携わっていると話していたからボランティアか何かでお節介ぶりを今でも発揮しているというわけか……
「あいつらはいい仲なんだぜ。ロン毛の小僧にちょっかい出したせいで,俺は追いだされたのさ。だからよ,あいつを呪い殺す前に小僧を先にバラしてやんだ――小僧の無惨なありさまを見てあいつはどんな顔をするだろう! 想像しただけでゾクゾクするよ!」
「そんなことはやめろ!」
頰の削げた顔面を突きつけられる。「驚いたねぇ……小心者の弥夢ちゃんの発言とは思えねぇ。幽霊になって性格を変えたかい?」不快な臭気が押し寄せ,一歩後退る。「へへへぇ……やっぱ小心なとこは変わってねぇな」
一気に夜空へ舞いあがり,逃走を図るものの,巨大な影に巻きこまれ,身動きを封じられてしまう。
「おめえは自殺したんだってな。馬鹿だよ――俺の言うとおりになってりゃあ,楽しく生きていけたんだ。まあ,これからは亡霊同士,お互い助けあって仲良くしようや」
「誰が,おまえなんかと――」
全身が締めつけられる――
「言葉には注意しな。おめえは今から俺の奴隷だ。俺をこけにするような真似をしてみろ,ただじゃ済まさねえ――」
「ただで済まされないのは,きさまのほうだ」
影が粉々に分散し,苦痛から解放される。誰かに抱きとめられた。「深夜の散歩とは珍しい。俺さまに魂を吸われにきたのか」
聖哉だった。群れに属さない一匹狼の怨霊だ。これはまたまずい相手に出くわした。すぐさま十分な距離を保つ。
「つれないな……助けてやったのに礼もなしか? 少しぐらい孤独な怨霊を慰めてくれてもよいだろうに――清らかで甘い魂の蜜でな!」牙を剝いて襲いかかってくる。青白い影が聖哉を絡めとった。
「邪魔をするな――弥夢は俺の獲物だ!」
眼下で巨大な影雲が爆発し,微細な粒子が空高く迫ってくる。すんでのところでかわしてキシモの名を唱えながら雨まじりの空を駆けた。
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