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人生の思わぬ展開に・・・
#11
病室には笑い声が響いていた。
「ウッシーがこんなにも元気になってくれるとは、もう信じられないよ」
部屋唯一の幕内力士である兄弟子、雷鳴山が巨体を揺らしながら、零れんばかりの笑みを牛の山に向けていた。
幕下に駆け上がって行った弟弟子の鳴滝大地は笑いながらもずっと涙を流していた。
「ウッシーさんの生命力には怒涛のものがありますね」
「これだけの難病を退治できたんだから、きっとこの経験は相撲にも生きるはずだよ」
部屋の若者頭の元十両の大磯灘さんが禿げ頭をポンポン叩きながら。親方に言葉をかけた。
個室とはいえ相撲取りが5人も入ると、ミニサウナの中にいるような密室感になってしまう。鬢付け油の香りが充満していた。オーミすき油の甘い香りが漂っていた。
ウッシーはとても新鮮な気持ちでその匂いを嗅いでいた。
<沢崎さん、お食事の用意ができました>
スピーカーから看護師の声が流れて来た。
「どんどん食って、元気つけて、次の場所に備えよう!」
親方が優しく言葉をかけた。
「25キロも痩せちゃったそうです・・・」
ガリガリになった胸板を寝巻の前を広げて、みんなに見せた。
あばら骨が浮いていた。
110キロあった体が萎んでしまっていた。
「まずはお医者さんが良いというまでしっかり身体を整えて、それで食って、少しずつ稽古して戻して行こう・・・」
「先輩、付き合います、そんでオレも強くなりまっす」
序の口の宝船山が、ようやく髷が結えた頭を大磯灘さんの脇から突き出すようにして行った。
「みなさん・・・ありがとう、ご恩はすべて土俵でお返しします、見ててください、絶対に強くなって、関取になります」
言葉を選ぶように、みんなを見回しながら、思いを口にしてみた。
その時扉が開いて食事が運ばれて来た。
係りの女性は、部屋の中に山のような男が大勢いるので、思わず驚きの声を上げてしまった。
親方が申し訳なさそうに、挨拶し、トレーを受け取った。すぐに大磯灘さんが、ベッドのサイドテーブルを用意し、その上に置いた。
鳴滝大地や雷鳴山が、差し入れの果物や饅頭を無造作にその横に並べた。
「食えるだけ食えばいいから」
宝船山が、
「ガリガリ君のソーダ味は冷蔵庫にたっぷり入ってますから」
と耳打ちした。
みんなに礼を言った。
「また明日来ます、明日は女将さんと床松さんもやって来て、頭とかちゃんと身ぎれいにしてくれるそうです」
ありがとう、という言葉だけでは足りないくらいだなと思った。
「じゃあ」
宝船山が人懐っこい笑顔を残して扉を閉めた。
「フゥ~・・・」
牛の山は大きく息を吐いた。
「マジかよ、スゲェなみんな」
ポロロンと音がしたようだった。
まゆポンがやって来た。
5Fの個室である。窓の外からこっちを見ている。
「よく頑張ったね」
「誰が誰だか途中でわからなくなってしまいそうだったけど、プロフィール帳を見てたおかげでなんとか話に乗っかれた感じ・・・」
「うまい具合に話せてたよ」
「牛の山って人はみんなに好かれてたんだね」
「優しすぎるくらいの子だから」
「相撲か・・・」
しみじみと王基は呟いた。
「まゆポン・・・」
「何!?」
「オレ人の役に立てるんだな」
「そうね」
「まゆポンの役にも立てるんだな」
「そうよ、助けてね」
「こっちが言いたい科白だよ」
「・・・」
「あんな目に遭ったオレを・・・」
その時、王基のお腹がグググゥゥゥ~~~と鳴った。
「食うぞっ!」
王基は貪るようにトレーの病院食を平らげた。
そして、宝船山が用意してくれていた差し入れも片っ端から口に入れた。
ガリガリ君ソーダ味は王基も大好物だった。
牛の山にはあったことないけど、初めて親しみが沸き上がって来た。
#12
東葛西臨海病院の個室に、王基が眠っている。
王基の身体を使って牛の山が眠っている。
窓からその姿をまゆポンは愛おしそうに見つめていた。
#13
8月の陽射しが眩しかった。
連日の猛暑続きの日々だったが、稽古に汗を流して、身体を閉め上げて行くことは痛快だった。
すり足鉄砲四股・・・。
「なんだか下手くそのなっちまったなぁ~」
とみんなに冷やかされながら、王基は必死に食らいついて行った。
牛の山のいうやつの人柄に助けられて、オレという人間がみんなにつつみ込まれて行くのがよくわかった。
相撲界の縦の関係、年齢の関係、そして番付の関係が複雑に入り乱れて、独特の秩序が構築されている世界の魅力が、かつて味わったことのない醍醐味として、王基は感じていた。
葛西川部屋は海に近い。35℃を超える日々が続く毎日だけど、夕刻なんかには、海風が、明け放した窓や扉から、心地良く吹き抜けて行く。
稽古が終わったあとのちゃんこ番が今日の王基の、いや牛の山の仕事だった。
先輩のちゃんこ長である安芸乃嵐さんから指導された通りにていねいに野菜や肉を切って行く。
中学を止めてしまって街をブラブラしていた頃、無銭飲食して取っ捕まった店のオヤジに、
「ウチで働け!」
って言われ、しばらく住み込みでこき使われたことがある。鬱陶しいばかりだったけど、住むとこと食べることに頓着しないでいられることが凄く楽だった。
それに料理はやってみると面白かった。
でも、店の金を盗んだだろうって疑いかけられて・・・。
板長の野郎をボコボコにして、店飛び出して・・・。
「相変わらずウッシーは不器用だなぁ~」
「はっ」
「でも、なんかちょっと包丁の使い方が上手くなって来てんな」
「そうっすか!?」
安芸乃嵐さんの手際は惚れ惚れする。手元なんか見ていない。火加減や温まって来た鍋の湯加減を素早く見ながら、もう次の段取りについて考えている。
「皿」
と呟いたら、鳴滝大地が一斉に並べて行くのだ。
#14
擦り傷切り傷かすり傷に打撲打ち身充血鬱血などは日常茶飯事だ。喧嘩の稽古を飯食いながらやっているような気がして仕方ない。みんな無茶苦茶強いだろうなと思う。少々殴っただけで答えるような連中達じゃなかった。グーのパンチなど鳴滝大地の張りて一発の十分の一くらいでしかないんじゃないかと思うほど強烈だ。やられてもやられても投げ飛ばされる。張られ叩かれ突き出され、吊り上げられ、落とされ、投げ飛ばされる。頭と頭が真っ向からぶつかる立ち合いなど、まともに行くと脳震盪を起こしてそのまま倒れてしまいかねない。だからちょっと避ける。すると師匠の罵声が浴びせられる。
「逃げんじゃねぇ!」
雷鳴山さんが出稽古に来た大関のぶつかりをほんのちょっと頭を下げただけで、容赦ない師匠の声が部屋に轟く。
動かざること山のごとし、なんて言葉があるけど、雷鳴山さんに胸を借りて押して押して押しまくってみるのだけど、ピクとも動いてくれない強靭な肉体を、大関は軽々と持っていってしまうのだ。そんな光景を真の当たりにして稽古していると、強いって一体何なんだろうと思ってしまう。
ボクシングや空手や柔道やプロレスの世界だって、みなそれぞれそこでそこの秩序の中で稽古し精進しトレーニングに励んで行くのだろうけど、その強さというのは一体何だろうと思ってしまう。異種格闘技の戦いがあってルールを決めていろいろやっているけど、そういうことではないところにほんまもんの強さが存在するんじゃないか、と偉そうなことにまで思いが行く。ちょっとひとより腕っぷしが強かったからってやってきたオレの素行は・・・。思い出すと恥ずかしいことばかりだった。
なんにせよ強くなりたい!
牛の山君の身体を借りて、その命を借りて、強く大きな相撲取りになりたい。
王基は必死で雷鳴山の巨体にぶつかって行った。
押しよりも四つの方が得意かなと思ったけど、師匠も雷鳴山さんも鳴滝大地も口を揃えて、押せ押せという。
「ウッシーは押しだ、四つに組むな、押せ押せ押し捲れ!」
大磯灘さんの甲高い叫び声が耳に響く。
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