第0話・2 変身

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第0話・2 変身

 予想だにしなかった返答に、一瞬で俺達の表情から笑みが消えた。  使い魔になる。ファンタジーやらRPGやらでよく登場する、あの使い魔だろうか。術者のしもべとなって、使い走りをしたり戦闘を補助したりする、あの。  状況を飲み込み切れずに目を見開く俺達に、ディーデリックはさらに言葉を重ねた。 「使い魔として召喚されたことにして、国の目を欺き、同時に帰還の為の研究・解析に力を貸す。  そうすればお主らは生き延びられる。わしらも罪に問われることはない。互いに利があろう。  しかし、使い魔が人間であってはならん(・・・・・・・・・・)という取り決めが存在する。契約の際に主従契約も結ばねばならん。  故に、契約にあたりお主らを魔物に変え(・・・・・)記憶の一切を封じる(・・・・・・・・・)」 「なっ……!!」  老人の口から飛び出した信じられない発言に、いよいよ俺達の目がひん剥かれた。  使い魔にされるのは致し方ないにしても、魔物に変えられて、さらに記憶も封じられてしまうなど、許容できるものではない。  そんなことをされたら、自分たちが地球から召喚されたということも忘れ、何も覚えていないままでいいように操られてしまうではないか。  クラス一の武闘派、もとい乱暴者である水永(みずなが)君が、怒りをあらわにして立ち上がった。 「ふっざけんな!! 俺達にバケモンになれっていうのかよ!!」 「お主らが元の世界に帰れる算段が付いたら、魔物化の術式も解くし、記憶の封印も解くとも」 「信じられるかよ!! いつ俺達が戻れるようになるかも分かんねーんだろお前ら!!」 「おい、水永! やめろ!」  ディーデリックの言葉にさらなる怒りを漲らせて、水永君は老人の細い体に拳を振りかぶりながら飛び出していった。誰かが静止の声を上げるが、彼の耳には届いていなかっただろう。  その手が老人の顔に叩き込まれるよりも早く、取り囲む人の輪の中から飛び出した一人の青年が、後ろから水永君に組み付いた。  ローブを纏っているところから魔術師だと思われるが、クラスの中でも特に大柄な水永君がびくともしない。相当な力である。 「くそっ、離せてめ――」 「御免!」  組み付かれてじたばたと暴れる水永君。青年は一言発すると、手袋をはめた右手の指を強く、彼の額に押し付けた。  途端に、彼の顔の上半分を覆うように、真っ白な仮面が出現する。それが形を成した途端、水永君の身体がびくりと跳ねた。 「かは……――あ、が、が……!!」  青年から手を放され、跳ね上がった水永君の身体が、ミシミシ、バキバキと音を立てて変わっていく。  脚の骨格が変わって爪先立ちのような形になり、長い尻尾が生え、全身が黒く短い毛に覆われ。  そして仮面を被せられた顔にも黒い毛が生えていき、鼻と顎が前に突き出し、顔の横にあった耳が頭頂部に移動してピンと尖り。  まるで二足歩行の猫のような姿になった水永君の、眼の光が消えたかと思うと。ぼんやりとした表情のまま、自分を抑え込んでいた青年に向かって首を垂れた。 「……新たなる使い魔よ。汝が主人、『薄明の旅団』第八席、ヨーラン・ミュルダールに名を名乗れ」 「ハッ、我が主人ヨーラン様。我が身を示す名は無く、貴方様の授ける名を以て、私は貴方様のしもべとなります」  名乗りを上げた青年に、淀みの無い口調と声色で言葉を発する、水永君だった猫。  根木先生にも公然と反抗するような悪ガキだった、水永君らしい面影は全くない。同じ存在とはとても思えないほどに従順な様子に、俺達全員が驚きに目を見張った。  ヨーランと名乗った青年は満足そうに頷くと、猫の顔に付けられた仮面にそっと手を触れる。それと共に、仮面に光が走って複雑な紋様を描いた。 「よかろう。汝の名はダーグ。汝は我がしもべ、我が従者。我は汝が永劫我に仕えることを願う」 「我が名はダーグ。ありがとうございます、ヨーラン様」  名を与えられた水永君だった猫が、顔を上げて青年と視線を交わした。そのお互いの視線には、敵対心も、恐怖心もない。心底からの信頼感が見て取れる。  あまりにも劇的な、あまりにも衝撃的な変化に、俺達は二の句が継げなかった。女子の大半がガクガクと身体を震わせている。 「あ……あ……」 「そんな……水永君が、バケモノに……」  信じられないものを見るかのような表情で、言葉を零したのは蕪木さんと根木先生だ。  気持ちは分かる。俺だって信じられない。クラス一の問題児がああも簡単に懐柔されて、その存在を書き換えられて、人間を辞めてしまったのだから。  驚愕に目を見開く俺達を見据えて、ディーデリックが冷たく言い放った。 「……今目の前で見せたこれが、お主らに施す『従魔の契約』じゃ。  先程も説明した通り、契約の最中はお主らは身も心も魔物となる。契約はわしらが解かない限り(・・・・・・・・・・)永劫続くが、お主らを元の世界に帰す手段が見つかるまでの、間の契約じゃ」  その、傍から見れば配慮に満ちた、俺達を慮った物言いを聞いて、俺はいよいよ限界に達した。  ぐ、と奥歯を噛みながらすっと手を上へと伸ばす。こういうところは、やはり学生だな、と我ながら内心で自嘲した。 「……ちょっと待ってください。一つ、質問いいですか」 「なんじゃ、申してみよ」  発言は認められた。第一段階を乗り越えたことに安堵しながら、俺はキッパリとそれを言い放つ。 「つまり、その契約を解くのも、魔物化を解くのも、記憶の封印を解くのも……全部(・・)術者である(・・・・・)皆さんの意思次第(・・・・・・・・)ってことですよね?」  先程からずっと気にかかっていた、引っかかっていた部分を、俺は一切の婉曲表現も比喩表現も用いずに、まっすぐに投げかけた。  相手の発言を信じるとして。真実を告げていたとして。  全ては相手の手中にあることは、どうしても明らかにするべきだと思ったのだ。  なにかに気が付いたらしい根木先生が、手を上げたままの俺の方へと顔を向け、信じられないと言いたげに口を開いた。 「韮野君? それって――」 「猶予が無い、始めろ!」  と、その言葉が吐き切られる前に、動いたのはディーデリックの方だった。  鋭く言葉を飛ばすや否や、周囲に控えていた兵士たちも、魔術師たちも、揃いも揃って俺達へと距離を詰めてきた。  その人差し指をまっすぐに伸ばし、眉間にしっかと触れる。それと同時に出現する白い仮面が、クラスメイトの皆の顔を覆っていった。  その仮面が形を成した後の結果は、先に水永君が自分の身体でしっかと示している。即ち。 「うわぁっ、やめろっ、やめっ――あぁぁぁぁ!!」 「やだ、嫌だっ、助け――うあぁぁぁっっ!!」  男子も女子も、運動部の生徒も文化部の生徒も、一切合切が仮面を顔に貼り付け、その身体を魔物へと変じていく。  骨格が変形するビキビキ、バキバキという硬質な音が、四方八方から響いていた。  獣のようになる生徒、蜥蜴のようになる生徒、小動物のようになる生徒、巨大な生き物になる生徒。変化する魔物は千差万別、多種多様。  しかしそのいずれもが変化が完了した後に、自分を魔物に変じさせた『薄明の旅団』の構成員へと、忠誠を誓うように頭を下げて、新たな名を与えられていた。  そして俺のすぐ傍では。 「やっ、そんなっ、駄目――いやぁぁぁぁぁっ!!」  俺達三年C組の担任、責任者ともいえる根木先生が、抵抗むなしくその肢体を白銀の毛並みで覆い、まるで狐のような生き物へと変化していた。  その瞳から涙が一筋零れ落ちていくのを見ながら、俺は未だ人間のままでいた。否、人間のままでいさせられていた(・・・・・・・・)。  背後について俺の両手を抑え込む兵士の手を振りほどこうともがきながら、俺は目の前に立つディーデリックを睨みつける。 「くそっ、結局お前たち、俺達を元の世界に生きて帰す気なんて、最初からないんだな!!」 「異なことを言う。お主らを元の世界に生きて帰すつもりで動いているとも。  ただし、お主らを人間のまま(・・・・・・・・・)生きて返すとは一言も(・・・・・・・・・・)言っておらん(・・・・・・)」 「……!!」  冷たく言い放ち、感情の籠もらない目で老人は俺を見つめていた。  ようやく本性を現したというべきか。この集団はもとより、俺達を無事に(・・・)地球に帰す気など毛頭なかったのだ。  地球に帰還する道筋を作ったとして、俺達が魔物の姿のままだったら。俺達がこの集団の支配下に置かれたままだったら。  それは召喚された俺達の帰還ではない。新たな魔物の、地球への侵攻だ。  最早何を隠すでもないという風に、ディーデリックはいち早く事実へと到達した俺へと告げる。 「元より魔物化を解除する手段などないのだ。お主らは永劫魔物として、我らの使い魔として生きるより他はない。  無駄じゃよ。ここでお主が何を話し、わしが何を話そうとも、契約が成された時点でお主の記憶は封印される。  何なら、あのヨーランの契約した使い魔のように、人格を上書きする(・・・・・・・・)ことも出来るのじゃぞ?」  もがきながら、俺は改めて強く老人を睨みつけた。  水永君が使い魔にされた時、あまりにも大きく変貌したその様子で何となく察知は出来ていたが、人間の時の人格や記憶を残すも、消すも、彼らの意のままであるらしい。つまり水永君はもう、元には戻りようもないということだ。  なんとも厄介な話だ。先程の「契約を解除した時に記憶も戻す」という話も嘘だったことになる。彼らからしてみれば、契約を解除すること自体が嘘だったのかもしれないが。  既に使い魔にされた残りの三十九人のクラスメイトと根木先生は、どこかに連れられて行ってしまった。この部屋に残るのは俺と、老人たちだけだ。  俺の視線を意に介することなく、ゆっくりと、その皺が寄った枯れ枝のような指が俺の眉間へと伸びる。 「このっ、やめろっ、離――」 「諦めろ、少年。全てを忘れ、我がしもべとなれ」  何とか背後で俺の手を抑える兵士の腕を外そうと抵抗する俺の努力もむなしく。  ディーデリックの指先が俺の肌に触れた。  刹那、視界を覆うように広がる白。顔の表面に貼り付くように癒着したそれが、ひんやりと硬く冷たい感触を帯びた瞬間。  脳を揺らされるような衝撃が俺を襲った。 「あ、あ――!!」  自然と口が開き、そこから肺の中に溜まっていた空気が漏れる感覚があった。  胸が締め付けられるような、身体全体をぎゅっと強く絞られるような、そんな痛みが全身を襲うとともに、俺の両手両足が、バキリバキリと音を立てながら変形していく。  まるで四肢を内側から引き裂かれるような、強烈な痛みだ。  痛みにのたうつ間もなく、骨格が組み替わった俺の四肢を、山吹色の毛皮がさぁっと覆っていく。その毛皮にオレンジ色の縞が入って、まるで虎のようだ。  同時に俺の頭全体が、まるで飴細工を伸ばすようにぐにゃりと変形した。内側から骨を伸ばされる強烈な痛みに歯を食いしばると、その歯が見る間に鋭く尖っていく。  鼻が前に突き出し、鼻の穴が前方へと向き、上顎と下顎がぐっと前に出て、耳の位置が移動して。  やがて、両手を石床についた姿勢の、虎の獣人へと変化した俺へと、ディーデリックの威厳のある声が投げかけられる。 「新たなる使い魔よ。汝が主人、『薄明の旅団』主席、ディーデリック・ファン・エンゲルに名を名乗れ」  告げられたその言葉が脳内に到達した瞬間、俺は一つのことに気が付いた。  この声は、重んじられる人の声だ。それは疑問を持つところではない。  しかし、その声を投げかけられる俺の名は? それも同様に、疑問を抱くところではなかった。  ハッキリと、変化したばかりの口を動かして、それを発する。 「……ニラノ、タイセイ」 「……何?」  ディーデリックが瞠目し、恐らくは背後に立つ兵士も瞠目していたであろう。しかしそんなことにも構わずに、俺は顔を上げて目の前の老人を睨みつけた。  俺は韮野泰生。間違いない。姿が変えられても、この仮面を付けられても、俺はまだ、俺だ。 「韮野泰生! それが俺の名だ、この悪辣な魔術師め! 封印がどうした、俺の何が変わった!!」 「……封印術式が効かないじゃと!? くっ、レオン、その小僧の身体を抑えこめ!」 「ハッ、ディーデリック老!!」 『アマタカヴィマ! 忘れよ!』  再び背後の兵士が、俺の身体を抑え込もうと腕を取る。それに抵抗する間もなく、腕を取られた俺の仮面に、押し当てられる老爺の指。  途端に、俺の脳内に何かが侵入してくるような、殊更に不快な感触が俺を襲った。思わず吐き気を催し、ぐっと喉の奥で音が鳴る。  まるで脳味噌をぐちゃぐちゃにかき回されているような、こねくり回されているようなそんな感触。  しかし、老人の指が離れ、その感覚が過ぎ去った後でも、不思議と俺の記憶はしっかりと保たれていた。  顔を持ち上げて、口の端から涎を垂らしながらもキッパリと告げる。 「今のが、魔法か……忘れさせて人格を、上書きしようって、魂胆だな……!」 「忘却魔法も効かんじゃと……この小僧、何者じゃ!? えぇい、かくなる上は!!」  いよいよ信じられないとばかりに、驚愕に目を見開くディーデリック。しかし何か奥の手があるらしく、今度は仮面ではない、俺の頭頂部、髪が未だ黒いままの頭へと掌を押し当てた。  そして。 『カタハ・アヒミ・ヴァンナ! 失え!』 「がっ……あが……!!」  呪文が唱えられるや否や、先程までとは別種の痛みが俺を襲った。  それはまるで、身体をぎゅうぎゅうに圧縮するかのような痛みで、骨格も筋肉も一切合切を無視するように押し込めるような感覚で。  そして俺は、自分の身体が文字通り小さくなっているのを感じた。魔物に変えているのではない、もっと別の何かに変えられているような感覚で。  急速に肉体の感覚が失われ、俺の意識が途切れたその瞬間に。  カラン、と音を立てて、俺のいた場所に白い仮面と、山吹色をした宝石が落下した。 「ふう……まさか、記憶の封印にも、忘却にも耐えうる輩がおるとは。  レオン、その魔石はお主に任せる。適当に、低ランクの魔物にでも埋め込んでおけ。そうなれば、あの小僧の記憶が蘇ってもどうすることも出来ん」 「かしこまりました、ディーデリック老……ごめんな」  レオンと呼ばれた兵士が、山吹色の宝石を拾い上げては、ついとその表面を撫でる。  そのままコツコツと足音を立てて、ディーデリックとレオンは魔法陣のあった部屋を去っていく。  そしてそこには、誰一人もいなくなった。
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