灯のあと

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 若い頃、女に思いきり頬を打たれた事があった。身体の繋がりを、心の繋がりだとお互いが誤解していた。ひどい事もした。女も北岡を傷つけた。その傷みをどこかで、北岡はまだ引きずっていた。美香ほど美しくも、可憐でもない、ごく普通の女だったが、北岡にとってその女は生涯の女だった。美香がその女の影を消してくれるのではないか。北岡はそう思った事もあった。だがそれを美香に背負わせるのは、酷な話だ。だから美香とは距離を置くように努めた。  美香に好きな男ができても、好きにさせた。それが自分への戒めでもあり、若い頃に傷つけ棄てた、あの女への贖罪でもあった。  席につき、原稿用紙に向かう。思えば、小説も焔と蝋燭の関係と同じ様なものだった。心を削り、時間を費やし文字として物語を綴っても、それは読者が読んだ瞬間に脳の片隅に消えて行く。溶けていく。言葉は、確かなようで、不確かなものだった。
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