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莉緒菜の家に寄ると、莉緒菜はバスケットに色々仕込んでいる最中だった。大きな保温のポットを持たせられる。
「莉緒菜、何よこれ?」
「緒方米店の御隠居さんはファムのお店の常連さんなのよ。ちょっと手土産をね」
なるほど、気が利くわ。
二人で荷物を持ち、櫂の待つ車に乗り込む。
「師匠、おはようございます。わざわざありがとうございます」
とりあえずの櫂の心のこもらない挨拶(笑)に莉緒菜が苦笑しながら後部座席に乗り込む。すぐに車が発車し、割と近くの商店街の中の駐車場に停まった。
「緒方さんのご隠居はね、私の両親があそこで美容院と喫茶をやっていた頃からの知り合いなの。私の事も知っているわ」
莉緒菜の両親は、莉緒菜が高校に入学する直前の頃に事故で二人同時に亡くなっている。
以来莉緒菜は当時通っていた合気道道場の師匠と兄弟子を後見人に、ずっとあそこで一人暮らしをしていた。
高校を卒業後、あそこの三階で合気道道場を開いたのは私たちも知っての通りだ。
でも本当は、莉緒菜が亡くなった母親と同じ美容師になりたかったのを私は知っていた。本人も色々と葛藤があったのだと思う。
だから今はとても楽しんで、美容師という仕事をしているのだ。
「それでも昔と同じようにお付き合いしてくれる方よ、とても優しいご隠居様よ」
お店の方から緒方さんをお訪ねすると、お店番をしていたその店のご主人が対応してくれる。ご隠居様の息子さんだという。
「どうぞこちらへ」
通されたのは店の中にしつられた小さな接客スペース。感じの良い可愛い応接セットが置かれていた。
「ご主人、うちのコーヒーをお持ちしましたのよ。よろしかったらどうぞ」
「おや、これはありがとうございます。すぐに親父も連れて来ますので一緒にご相伴にあずかれると嬉しいです」
ご主人が店舗の奥に消えて行く。その間に私と莉緒菜はバスケットからコーヒーカップを出し、ソーサーとスプーンもセットする。とりあえず五客だ。
「お待たせしました」
ご主人がご隠居様と一緒にお出ましだ。ご隠居様は脚がお悪いのか、息子さんに掴まって歩いておられる。
「孝ちゃんいらっしゃい、わざわざコーヒーを持って来てくれたのかね」
「はい、この銘柄がお好きだと聞いておりましたわ」
莉緒菜を孝ちゃんと呼ぶご隠居様が席に着いた。莉緒菜が保温されたポットからコーヒーを注ぐ。なんだか和やかな雰囲気で始まれそう。
「緒方さん、お久しぶりです。以前緒方さんから土地と住宅を売って頂いた沖田です。その節は大変お世話になりました、こちらは私の息子です」
立ち上がり、櫂共々頭を下げた。
「はい、沖田さん。覚えておりますよ、この孝ちゃんと契約交渉の時に一緒にいらしてらした沖田さんですね。よくうちでお米も買って頂いてましたね」
覚えててくれた、良かった。昔の印象は悪くないと思うけど。
「どうぞ」
莉緒菜が人数分のコーヒーを並べた。本当に淹れたてのいい香りだ。
「嬉しいね、いただきますよ」
ご隠居様が一口、口に含みほっとした表情だ。
「うん、美味い。最近は脚が思うようでは無くてなかなかお店の方にも行けない。ファムさんの淹れたコーヒーが懐かしかった頃だよ」
「良かったですわ、ファムも喜びます」
莉緒菜もほっとした様子だ。
「沖田さんのお話は、沖田さん宅の隣に立地してるうちの貸住宅三棟を含む土地の購入でしたね。まぁあの上物はもう殆ど価値はないのですが」
話の口火を切ったのはご主人からだった。さぁどう出るかしら。
「うちもあの土地が売れるとは思っていなかったので、沖田さんのお話は正直ありがたいのです。東堂さんのお友達ですし、以前にもうちとお付き合いがある。けどね、あの土地にはひとつ問題がありましてね」
「問題ですか?それはどのような?」
これは櫂だ。弁護士である事はまだ伝えて無いけど、お話を聞く様子がもう弁護士のそれ。
「うちもあの土地を更地にして売るつもりもあったのですが、どうしても最後の一軒が退去に応じてくれんのです。実は賃貸契約の期間もとっくに過ぎているのですが、勝手に家賃を振り込んで来てこちらの話を聞いてくれない。どうやら、外国人の技能実習生を働かせているどこかの会社が、不定期に外国人を連れて来て一定期間住まわせては国に帰すみたいな訳の分からない使い方をされていましてね」
「ほう」
「どうやら暴力団とも繋がりがある会社らしく裁判に訴えれば金が掛かるし、警察に相談に行ってもらちが明かないのです」
おや、これは…櫂にいい流れが来てるのでは?
「もう諦めて物納するまで放って置くしかないかと親父とも話していたのですよ、なぁ親父?」
「うむ、本当に困った連中だ」
ご隠居様も苦々しい顔をされている。
「それではその連中が出ていってくれれば、あの土地を売って下さるおつもりはあると?」
櫂が問う、やはりこれは好機だろう。
「ええ もちろん。上物込みで引き取って頂けるなら、その解体費用分を差し引いてのお値段で。親父、不動産屋は幾らって言ってた?」
「三千五百万円。あの土地は幹線道路からも駅からも遠いから、あの広さでもせいぜいそんなもんだろうと。だが、あの連中を追い出せなければ物納で二束三文だ。それを考えればもっと安くてもいい」
「その連中、私が追い出します」
自信たっぷりに櫂が言う。これ、完全にうちの息子のターンだわ。
「え?あの…沖田さん、息子さんは?」
「弁護士ですの」
俺様弁護士ですけど。
「申し遅れました、自分は大阪の北嶋法律事務所所属の弁護士で出雲 櫂と申します。この案件は自分が引き受けさせて頂きます、もちろんお金は一切頂きません、全て土地代からの相殺でお願いします」
自分の懐から取り出した名刺二枚を緒方さん親子に手渡す櫂。
「現在自分は大阪弁護士会所属ですが、近々こちらに戻って参ります。平市街地にある時任大河法律事務所の所属になります。あの土地を購入させていただければそこに住居を構える予定でおります。ご主人、早速で申し訳ありませんが、貸家を不法占拠している者の詳しい情報を頂きたいのですが」
慌てたようにご主人が店舗のさらに奥の自宅に向かって行く。
その櫂の堂々とした姿を見た莉緒菜が、とても嬉しそうに眼を細めているのが分かる。
莉緒菜にも櫂は、とっても大事な自慢の息子だ。
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