1人が本棚に入れています
本棚に追加
壱
沈みゆく夕陽と共に次第に薄闇が空に広がり、街は夜の訪れを告げようとしていた。
つい先程まで天窓から差し込んでいた光も失せて照明の落ちた屋内は暗闇に閉ざされている。
「逢魔が刻――とはうまく言ったものだな」
闇間に浮かぶ琥珀の双眸が楽し気な色を宿して揺れる。
気配を殺して眼下の獲物を眺めるその姿は、狩りを目前とした優美な獣そのものだ。
その明るい声とは対照的に。
「下の客は残らず取り込まれたな。二十……いや、それ以上か。頭を叩かなければさらに数が増える」
凝った闇の中に蠢く影の動きを追いながら、傍らに立つ青年が静かに告げる。
「OK。じゃあ作戦はいつも通り敵首魁は見つけ次第報告、後は"適宜対応"って事で」
獲物を映す鈍い金の瞳の奥に自分と同じ強い光が宿るのを見届けて、露雪路 真は作戦と呼ぶには些か乱暴ともいえる提案を口にした。
「異存はないな?」
『お前なら問題ないだろ?』と、言外に含んだ余裕の笑みに厚い信頼が隠されている事を壱橋 鞍馬は既に知っている。
「承知した」
言葉も短く答える鞍馬に、真は優雅な所作で半歩下がって道を譲る。
少し首を傾げるようにして悪戯気な微笑を浮かべる姿は美しく強かで……どこか気紛れな肉食獣を思わせた。
「after you」
「先に出る」
躊躇もせずにひらりと手摺りを飛び越え、階下の邪鬼の群れの中へと身を躍らせる鞍馬のその背に。
一瞬――
炎が如き耀きを発する神鳥の翼を目にしたような気がした。
自ら天狗と称し、迦楼羅の守護を宿すその青年は高さをものともせず、音もなく軽やかに着地すると同時、手にした大太刀を横凪ぎに群がる邪鬼を一気に薙ぎ払う。
「そこそこ強いのが混ざってはいるが数は少ない……鞍馬の敵じゃないな」
寛いだ姿勢で高見の見物とばかりに眺めていた真は眼を細めてその口許に笑みを浮かべた。
吹き抜けのホールに赤い花が咲く。
鞍馬を中心に屠られた邪鬼の流す血が次第に円を描くように広がってゆく。
紅に染まる太刀を手に、ゆらりと立ち上がる男の金の眼が闘気に燃えて一層強い耀きを放ち、目前の敵を見据える。
解き放たれた獣が、そこに居た。
そしてここにもまた――。
「下の連中よりは幾分マシみたいだが……あんた達からは血の匂いがしねぇな」
視線は邪鬼を屠る鞍馬に向けたまま、手中の鞘からゆっくりと刀身を抜き放つ。
「なぁ、影切」
主の声に応えるように刃が白銀の耀きを放つ。
露雪路一族に伝わる霊刀――影切。
手首を回し、刀をくるりと回転させた後にゆっくりと呼吸を吐き出すのは真の癖でもあり、戦闘を始める前の儀式でもある。
「下の連中は殺されて間もなく邪鬼化したんだろうが、あんた達はもっと前から主に仕えていたんだろ?」
狭い通路の前後を挟む形で忍び寄る邪鬼へ切先を向ける真の瞳が、琥珀から鮮やかな黄石の色へと染め上げられてゆく。
「付き合ってやるのも構わないが、生憎下に相棒を待たせてるんでね。悪いが、早急にそこを退いて貰おうか」
青年の纏う気配が人のそれから獰猛な獣へと変わりゆく。
周囲に咆哮が轟いた――。
* * *
最初のコメントを投稿しよう!