2 羽衣(ころも)川とイチョウ林

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2 羽衣(ころも)川とイチョウ林

 マリブロンはこのまま家に帰ったのではつまらないと考えました。昼下がりでしたから、日はまだまだ高かったのです。  こんなときマリブロンは、必ずといっていいほど、ある場所にいきます。自分の知っている世界の中で一番好きな場所です。  正面玄関ではなく、体育館の裏にあるフェンスの方に向かいました。こちらに学校の出口はありませんでしたが、フェンスを飛び越えれば別です。  飛び越えた先を少し歩くと、川がありました。  羽衣(ころも)川という名前です。あまり大きな川ではありません。幅は十五メートルほどでしょうか。その代わり、とても深い川でした。そして水は透き通ってきれいでした。川底には朽木や水草が見え、ときおり魚も見えました。  また羽衣川に沿ってイチョウの林がありました。今は紅葉をして、林の中は金色でいっぱいです。  秋の清々しい風が渡って木々の枝葉を揺らすと、マリブロンの上でいくつもの木漏れ日が交錯します。また下からは羽衣川が、空の青色とイチョウの金色をはね返してチカチカとまばゆく揺れています。  ここが、世界の中で一番好きな場所でした。  マリブロンは小さな男の子のように靴も靴下も脱いでしまうとスカートの裾をまくって、ずいぶん冷たい水の中へ平気で素足をつからせてしまいます。  マリブロンは川の中の自分の素足の透き通るような白さや、また辺りの穏やかな景色を眺めて、しばらくは何も考えませんでした。  ゆうに三十分はたったでしょうか。  マリブロンは考え出さなければいけないことを考え出しました。  先ほどの学級会のことです。 〈今日もソウシに迷惑をかけちまったな……。  それに、みんなも怒っているよな、教室をあんなありさまにしてしまって。  なんであたしはこうなのかなぁ……。  なんでみんなと同じようにできないのかなぁ……。  この髪もけしょうも短気な性格も、あたしの全部が不良品だ〉  マリブロンは大きなため息をつきました。  ふとマリブロンは思い出しました。 〈あたしにはお父さんもお母さんもいないもんな……〉  今から三年前、マリブロンの両親は亡くなっています。  交通事故でした。  マリブロンはぼんやりとして、仰向けに寝転がりました。  透き通った空のうんと高くには、うろこ雲が広がっていました。全体で大きくゆったりと動きながら、その進行は空の果てまでつづいていました。 〈お父さんとお母さんが生きていたら、今あたしはどうなっていたろうか。もしかしたらそうしみたいに……〉  マリブロンは空を見上げるとため息混じりに小さな声でつぶやきました。 「……わたしってなんか無惨。なにもかもがつまらなくって、なにをしても心の底から面白いって思えない。  お父さんとお母さんが生きてたら、朝ごはんを食べる食べないでけんかしたり、夜遅くに帰ってきて怒られたり、誕生日にはなにか贈ってもらえたりしたんだろうな……」  マリブロンはだんだん眠くなり、いつしか素足を川に浸したまま、寝入ってしまいました。お父さんとお母さんのことを思うとマリブロンはいつも眠たくなります。  眠っている間はなにも考えなくて済みました。  眠りはマリブロンにとっての救済でした。  空はいつのまにか夕方です。西の空は赤々とし、東の空には星が顔を出しはじめていました。  ——マリブロンの両親の死後、隣に住んでいた叔父が後継人となりました。当初は叔父の家で叔父夫婦と一緒に暮らす予定でした。子どものない叔父夫婦にとっては、マリブロンを養子にすることは、良い出来事だったのです。  また叔父夫婦はマリブロンのことを大変可愛がっており、マリブロンも気心の知れたふたりになついていました。  でも、マリブロンはお父さんとお母さんとで暮らしたこの家で生活をしていきたいと思いました。ここを離れてしまってはお父さんとお母さんの思い出がなくなってしまうと感じました。  叔父夫婦はマリブロンの気持ちを、大事に考えてくれました。  こうしてマリブロンは一人暮らしをすることになりました。経済面は両親が残してくれたものを叔父が管理し、週単位で、一定額を生活費として受け取りました。
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