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第5話
凶暴な四肢に猛りきった黄色い牙。
とにかく身を守らねばと琴子は背負ったライフルを構えようとして、よろけた。
震える、怖い、化け物。
ライフルの扱いは憶えている。学生時代に使っていた競技用のそれとは違い、ヤナギタから譲り受けたライフルは長大にして酷く重い。
「ここでもう一度死んだらどうなるの?」
既に一度死んでいる。ヤナギタは仮の命と云っていた。
鵺は確り琴子を見据えたまま低い唸り声を発している。的は大きいものの、琴子は震えてしまってまるで照準が合わせられない。非力な琴子には銃身を安定させることすらままならなかった。いや、それ以前に、この期に及んで琴子は迷っていた。
相手が魔物であろうと、動いている、生きている。
「殺せない……」
そんな琴子の葛藤など知る由もなく、鵺は凶暴な赤い口を開き吠えた。
「ひゃあ!」
恐怖に押され琴子は引き金を引いた。弾丸は鵺に掠りもせず空に消えた。勢いに任せ二発目を放つも、それも外れた。そこでやっと、琴子は思い至った。百体で弾百発、退治する魔物も百体。すなわち、本来一発も外せなかったのだ。
三発目も外れる。
鵺が瓦屋根から飛び降り、鋭い爪のついた前足を振り下ろした。琴子は悲鳴を上げ逃げ惑ったが、足を滑らせ急斜面を滑落した。
滑り落ちたのは小川だった。恐怖と痛みに荒い呼吸をしながら琴子はずれた眼鏡を直し、首を回して、手離してしまったライフルを探した。ライフルは斜面の途中に引っ掛かっていた。早く起き上がって拾わなくては。そう思った矢先、華奢な両肩を鵺に踏みつけられてしまった。
生臭い涎がぼたぼたと顔に落ちた。
勝てるわけない。熊より大きな体格の相手をどうにかするなど端から無謀なことだったのだ。
ふわふわの柔らかい毛が、日の光に透き通っている。
愛着が湧きすぎても困ると名前は付けていなかった。
ここで諦めたら、あの子の面倒は誰が見るのだろう。
流されるように、不幸を不幸のまま受け容れていた。
運命だから、撥ね返せるものではないと諦めていた。
立ち向かえ。
仕方ないから怖ろしいからと何もしなければ、
琴子は精一杯手を伸ばした。
「諦めるな、私!」
ライフルの背負い紐に指先がかかった。
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