旅立つ男あるいは女たち

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 「そう言えば、何か話があるんでしょ。お昼休み、終わっちゃうよ」。ユウはOLたちがランチを終えて三々五々、会社に戻り始めたことに気づき、トモヒトに言った。  「あっ、そうだ。実はさ、君に渡米の話があるんだ。次長から打診された」  「えっ、渡米?」  「CIAとの人事交流だ。捜査員として飛躍するチャンスだぞ」。トモヒトは声を潜めた。  「トモヒトは?」  「僕は残念ながら居残りだ。でも2年なんてあっという間…えっ」  ユウの顔色がみるみると青くなり、今にも泣きだしそうになった。トモヒトが慌てて声を掛けようとすると、ユウは眼に涙を浮かべ、今度は真っ赤になってトモヒトをにらみつけた。  「嘘つき」  「はっ?」  「飛躍なんていらない。これから捜査でトモヒトに恩返ししようと思っていたのに、なんで私を手放そうとするわけ?最高のチームだって言っていたじゃない!」  「て、手放すつもりなんてないよ。2年して君が帰国したらチームを復活してもらえる。次長が約束してくれた」  「何よ、二言目には次長、次長って。トモヒトはやっぱり三浦シホが好きなんでしょ!」  トモヒトはわけがわからなかった。こんな聞き分けのないユウは初めてだ。どこで話の手順を間違えたのだろうか。  「落ち着いてくれ、ユウ。そんなわけないだろ。次長は、母と変わらない年齢だぞ。彼女はただ僕たちを高く評価してくれているんだ」。トモヒトは次長から聞いた人事交流の目的や、自分が国内に残る理由を丁寧に説明したが、ユウは「なぜ、私を放り出すのか」「本当は三浦シホが好きなのだろう」の2フレーズを変幻自在に繰り返すばかりだった。さすがのトモヒトも次第に冷静さを失い、がたんと立ち上がって声を荒げた。  「いいかげんにしろ!ユウ、僕が君を手放すわけがないだろうが。15年間、ずっと君だけを見てきたんだ。君のために生きてきたんだ。これからもずっとそうだ。君を妻にして、いつもそばに置いて独占できたらって何度も何度も思った。数え切れないくらい考えて悩んだ。今だってそうだ。でも、君の才能を狭い檻に閉じ込めておいたらいけないってもう1人の自分が言うんだよ。そんな僕が次長を好きになるわけがないじゃないか!」  トモヒトは全てをぶちまけてしまってから、テラス席で衆人環視になっていることに気付いた。しばし呆然としていた従業員と客からポツポツと、やがて一斉に大きな拍手が送られ、祝福の言葉を浴びせられた。ユウは肩をふるわせて泣いていた。  「ユウ、ご、ごめん。怒鳴ったりして」  「私、なるよ」。ユウは泣きじゃくりながら途切れ途切れに言った。  「えっ?」  「トモヒトのお嫁さんになる。でもね、今は無理」  「え…」  トモヒトは狂喜と落胆で膝が崩れそうだった。  エミとサヤカは日比谷公園を走り回り、トモヒトとユウを探した。松本楼から大きな拍手が聞こえてきた。何かのイベントだろうか。  「いた!あそこだ。お姉ちゃん、なんか泣いているみたい」。サヤカが叫んだ。  「トモヒトさんとユウさん、ケンカでもしたのかな」。エミは事態が飲み込めず、サヤカとともに松本楼へと続く木立の中を進んだ。  「あんたら、あの2人の知り合いかい?」  エミとサヤカは背後から突然、声を掛けられた。首筋に固いものを押しつけられた。金属特有のひんやりした感触だった。あれっ、こんなシーンが前にもあったような。エミとサヤカは顔を見合わせ、首をわずかにひねった。見るからに柄の悪そうな男が2人、にやにやしながら立っていた。  「いえいえ、知り合いというほどでは…」。エミは消え入りそうな声で答えた。松本楼のイベントのせいか、昼休みを過ぎた日比谷公園の木立の中は通行人が少なく、大声を出さなければ助けは期待できそうになかった。  「おっと、大声を出したら死ぬぞ」。オールバックの男が銃に力を込めた。「おまえらは助手だな。学生と子どもの助手がいると興信所の報告書に書いてあった。秋月ユウをおびき寄せる餌ができたな」。男たちはエミとサヤカの腕を後ろにひねり上げ、「このまま黙って歩け。騒いだらその場で殺す」と脅した。  「こんなところで白昼堂々、殺しをしたらすぐに捕まるわよ」。サヤカが言った。  「それならそれでいい。別の組の連中に命を狙われているんでね。どのみち、秋月ユウはライフルの餌食だけどな。おまえらがおとなしくするなら狙撃は勘弁してやる」  狙撃はブラフかもしれないが、確証はない。ここはおとなしく従うしかない。エミとサヤカは公園の出口に路駐してあったワゴンに連行された。男がケータイを取り出し誰かに電話した。「計画変更だ。人質が手に入った。おびき出して始末する。狙撃よりも楽しめそうだ」
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