特別番外編【兄貴の愛情の表し方】

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 音が出ないように椅子から立ち上がり、靴を履いている兄貴の背後に素早く駆け寄る。義母がいないことをしっかり確認してから、広い背中にぎゅっと抱きついた。 「えっ?」 「兄貴にいってらっしゃいのハグ、しに来ちゃった」 「ハグだけ?」  振り返った兄貴は僕の顔を見てから、リビングに視線を飛ばす。母親がいつ来てもいいように、一応注意をしているらしい。 「こっちを向いたら、キスしてあげてもいいよ」 「そんなふうに強く抱きしめられたんじゃ、振り向けないって」 「兄貴なら僕の力くらい、簡単にねじ伏せられるのに?」  上目遣いで訊ねた僕を兄貴は嬉しそうに瞳を細めて見つめつつ、素早く額にキスを落とした。こどもがするようなそんなキスでも、胸がドキドキしてしまったのは内緒だ。 (結局兄貴を翻弄しようと画策して、僕のてのひらの上で転がしても、こうしてひっくり返されてしまうんだから、実際のところすごいとしか言いようがない) 「辰之に見送ってもらえるとは思ってなかったし、こうやって抱きつかれるのも悪くないなと思うと、やっぱり振りほどけないんだ」 「辰之なにしてるの?」  諦めた顔をした兄貴が告げた瞬間に、背後からやってきた義母。僕はそのままの体勢を維持しながら口を開く。抱きしめられた兄貴が僕から逃げようとしたので、腕の力を強めてその動きを止めた。 「兄貴が行かないように、ここで足止めしていたんだ。母さんが替えのタオルを持ってくると思ってね」 「マジかよ……」 「よくわかっているわね」  義母が兄貴にタオルを差し出したので、肩を竦めながら解放してあげる。 「毎日じゃないけど、兄貴にタオルを届ける僕の貴重な時間を考えてほしいよ」  兄貴とのふたりきりの時間がこうしてなくなり、こっそり落ち込んでいたときだった。青い何かが、僕の顔にぶつけられる。 「んっ!?」 「貴重な時間を奪って悪かったな。ついでにそれ、洗濯機に入れておいてくれ」  ぶつけられたものは使用済みのタオルだった。嗅ぎ慣れた兄貴のコロンがタオルから香り、落ち込んでいた気持ちがちゃっかり浮上した。 「辰之、遅れるなよ。じゃあ行ってきます!」  爽やかな笑顔を振りまいた兄貴が、元気よく自宅を出て行った。義母と一緒にそれを見送る。 (あーあ、兄貴とふたりきりになる時間って、本当に限られるよな。貴重すぎて大事に扱いそうだ……) 「宏斗が言ったように、そのままでいたら遅れるわよ」  ぼんやり考え事をしていた僕に義母が注意をしたので、仕方なく玄関から離れ、使用済みのタオルを洗濯機に放り込む。 「兄貴にはやっぱり敵わないな……」  落ち込んでいることを顔に出したつもりはなかったのに、それを瞬時に悟ってタオルを投げて寄こした兄貴。お蔭でなにか『お返し』をしなくちゃいけなくなった。考える時間はたくさんあるので、入念に計画できるのが大変ありがたい。 「それじゃあ僕もいってきまーす!」  兄貴よりも弾んだ声で義母に声をかけながら、いつもより軽い足取りで出発した。兄貴の愛し方に負けないようなお返しを考えるだけで、心が満ち足りたのだった。 おしまい 最後までお付き合いくださりありがとうございました。 コメントやリクエストなど、執筆の糧になったお蔭でいい作品を書くことができました!
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