兄貴の絶望

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「兄貴に彼女ができたって聞いたときは、すごく焦ったよ。バレー部のエースアタッカーの兄貴に、いろんな女子が言い寄ってたのは知っていたけど、忙しいことを理由に全部断っていたでしょ」 「……ああ」  僕が知っている事実を感情を込めずに告げると、兄貴はいつもより低い声で返事をした。怒っているのとは違うそれに、手を出すことを躊躇しそうになる。 「あの女子は兄貴の好みを徹底的に調べあげてから、時間をかけてちょっとずつ距離を縮めていったんだよ。自分を印象づけるために。すべては兄貴の気を惹くためにさ」 「梨々花がそんなふうにアプローチしてることくらい、わかってたって」  兄貴は右腕に力を入れつつ、僕から顔を背けた。もがけばもがくほどに、紐がどんどんキツくなっていく縛り方をしているというのに、それでも抵抗を続ける。 「パパ活しながら中学生とも付き合う、器用な女子だもんね。兄貴を落とすくらい、わけなかったんじゃないかな」 「それでも俺は、梨々花が好きだったんだ!」  内なる苛立ちが怒鳴り声になって表れた。馬鹿女に二股かけられたことや、こうして僕に縛りあげられていることなどままならない現実ばかりで、兄貴としては嫌気がさすだろう。 「兄貴は騙されたままでもよかったの?」 「それは――、くっ!」  なにかを言いかけたのに、つらそうな面持ちで言葉を飲み込む。 「兄貴が不幸になる姿なんて、僕は見たくないんだよ……」  兄貴の背けた顔を元に戻すべく、頬を掴んで自分に向ける。悲壮なまなざしが僕を捉えた。 「僕が兄貴を幸せにしてあげる。だからゆだねて……」  一旦兄貴の躰から離れて部屋を出た。ローションまでポケットに忍ばせることができなかったためだったが、自室の前で義母と鉢合わせする。  義母は寝室から着替えを手にして、ちょうど出てきたところだった。 「お父さん、帰りが遅くなるの?」  いつもは父が入浴後に義母が風呂に入っていたので、簡単に答えを導き出せた。 「LINEで連絡があったわ。だから先に、ゆっくり湯船に浸かるつもり。辰之は頑張って勉強教えてもらいなさい」 「兄貴には、手取り足取り教えてもらうつもりだよ」  弾んだ足取りで浴室に向かう背中を見送りながら、これからのことを呟いた。誰の邪魔も入らない、楽しい夜になりそうだ――。
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