第一部 三話 魔女

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第一部 三話 魔女

池袋、渋谷と続いた集団での飛び降りは結局その後、新宿でも発生した。 1日に3カ所で集団が飛び降りたという衝撃は、当日翌日のニュースを独占するだけでなく、事件から2週間経った今でも必ずと言っていいほどワイドショーの話題を独占し続けた。 一体なんのために、飛び降りた人達にはどのようなつながりがあるのか、自殺ではなく殺人の可能性は………。 憶測は尽きなかったがその中でも最も話題に上っているのは、謎の女についてだ。 あの日、池袋の映像で飛び降りを思いとどまってビルの屋上に消えたように見えた女性。 その女性は渋谷の映像にも、そして新宿で発生した飛び降りを撮影した映像にも映っていたのだ。 黒いワンピースを着た長い黒髪の女性。 その女は渋谷でも新宿でも最後まで集団の中に立っている。 全員が飛び降りた後にビルの下を覗き込み、それから屋上の内側へと引っ込んでカメラから見えなくなる。 池袋の映像を見た時には自殺を思いとどまって引っ込んだのだと思った。 しかし渋谷でも新宿でも同じように映っているその女。 まるで全員が飛び降りるのを見届けているような、はっきり言えば見届けているとしか思えない謎の女の正体に、テレビもネットも騒然となった。 一般ユーザーがスマホで撮影した映像だ。 どれだけ高解像度のカメラであっても、最大限引き伸ばされた映像では女の詳細はわからない。 わかっているのは黒いノースリーブのワンピースを着ていること、長い黒髪を前に垂らして俯いているので顔がほとんど見えないこと、驚くほど華奢でガリガリであるということ。 それだけだ。 着ているのが黒いワンピースではなく白いワンピースだったら間違いなく映画のアレだよねというその女の容姿に、ネットでは当初、黒サダコという呼称が拡散していた。 しばらくして東宝と角川のウェブサイトに「営業妨害はやめろ」という旨の広報が掲載されたことで、新たな呼称を模索し始めた。 別に名前など必要ないのだが、お祭り状態となったネットでは謎の女の正体を考察するとともに、誰が決定的な名前を付けるかで議論が交わされていた。 最も大勢を占めていたのは『魔女』という呼び名だった。 そして誰かが『黄泉送りの魔女』と言い出して、それなら『黄泉の巫女』の方がしっくりくるという対案が出され、ネットで投票が始まる始末となった。 「…………」 あまりの不謹慎さにため息が出るが、これがネットだ。 不謹慎だろうが茶化して嗤う。 イスラム過激派のテロリストに同胞を惨殺された時ですらクソコラグランプリなどと言って茶化した画像を作って嘲笑っているのがネットなのだ。 その気質は相変わらずで、結局『黄泉送りの魔女』『黄泉の巫女』の両方を取ってヨミという呼称を誰かが使い始め、気がつけばヨミという渾名がネット空間に浸透していった。 ネットに遅れを取るまいと昼のワイドショーでも取り上げられたため、ヨミなどというふざけた渾名が定着してしまった。 編集部でいつもつけっぱなしにしているテレビから「ネットではヨミなんて呼ばれてますけど……」という番組MCの声が聞こえた時、いいのかそれでという空気が流れ、編集長もため息まじりに、こうなったらウチの雑誌でもヨミという呼称を使うと宣言した。 そして事件から2週間が経ったある日、ヨミと名付けられた謎の女は再び姿を表した。 最初の飛び降りから2週間。 ヨミが現れたのは大阪だった。 道頓堀の有名な橋からよく見えるビルの上に人影を見つけた買い物客は、最初はビルのメンテナンス業者だと思ったという。 それにしては人数が多いなと思っていたら、テレビやネットで毎日報じられている黒い女が見えて、誰かが最初に「ヨミだ!」と叫んで道頓堀は騒然となった。 やめろと叫ぶ者、スマホで撮影しはじめる者、ビルの下から買い物客を避難させる者。 緊迫と喧騒に包まれた現場は、あっ、という誰かの声と、その後に響いたドシャ、という音で一瞬の静寂に包まれた。 そして怒号と悲鳴が響く中、次々と落ちてくる人間の身体で、道頓堀の一角は赤黒く染まっていった。 わずか1分ほどの間に10名近い人命が失われたという現実に的確に対処できる人がどれだけいるだろうか。 思考停止に近い状態でうろたえていた人々がハッとビルを見上げると、すでに黒い女は消えていたという。 「…………」 またしても白昼の繁華街で、人々に見せつけるように集団自殺を引き起こして消えた黒い女。 ヨミなどというふざけた名前を付けたネット空間はお祭り騒ぎとなっていた。 ツイッターでは「ひどすぎる」とか「早く捕まえて!」などヨミに対する怒りを表明するツイートが拡散し、匿名掲示板では「まーたヨミだってよ」「ヨミキター!」「ヨミ様強すぎて惚れそう」という不謹慎な書き込みも見られた。 「…………」 ため息をついてノートパソコンを閉じる。 平時ではこういうネットのノリは好きなほうだが、洒落になってない時にこういうノリはついていけない。 確信犯的なネットの悪ノリにうんざりしつつ席を立つ。 編集長に外出する旨を告げると「嘉納さんのインタビューは原稿できてんのか?」と聞かれた。 「バッチリ終わってます。それよりヨミの特集するんでしょ?そっちのほうもちょっとあたってみたいんで」 と答えると編集長はヨミ関連の取材を担当している同僚の取材先と進捗を教えてくれた。 それに礼を言って編集部を出る。 同僚が行なっている取材とは別の方面。 私の独自ルートでもヨミの正体について可能性を探ってみたい。 まず私は神宮寺さんのお店である泰雲堂へと向かうことにした。 浅草。 下町の情緒と真新しい大型商業建築が混在するヘンな町だ。 浅草寺前を東西に横切る伝法院通りの終点。 ホッピー通りと交わる交差点から少し路地に入った場所にあるガラス戸。 下町の情緒どころかモロに昭和という風情のガラス戸の古い店舗。 ガラス戸の上には古びた白い看板で『泰雲堂』と書かれている。 かつてはどこの駅前にもあったような昭和の香りがする薬屋さんだ。 浅草の路地によく似合う正統派の古臭さに思わず頬が緩む。 浅草とか神保町とか、こういう雰囲気は好きだ。 自分自身が経験したわけでもない昭和のノスタルジーに浸りつつガラス戸を引き開ける。 「ごめんくださーい」と口調まで昭和を気取ってしまう。 「いらっしゃいませ!」と威勢よく返事をしたのはアルバイトの宗方くんだ。 ハタチになったばかりの大学生。 清潔感のある白いシャツに今時のマッシュルームカット。 なんでココでバイトしてるの?と聞きたくなるほどに場違いだ。 「ああどうも。こんにちは篠宮さん。先日はうちの師匠がご迷惑をかけたそうで」 彼がここにいるのは店の手伝い半分、神宮寺さんの弟子入り半分ということだ。 神宮寺さん自身は弟子を取るつもりはなかったそうだが、とある事件で神宮寺さんに助けられた宗方くんが熱烈アピールを開始。 無償で店の手伝いまでしはじめた宗方くんを邪険にすることもできず、店番として雇っているのだそうだ。 「いやいや笑、ご迷惑なんてとんでもない。神宮寺さんがいてくれて滅茶苦茶助かったんですから」 そう言って顔の前で手をヒラヒラ振る。 「あ、そうですか。それならよかった」 そう言って笑う宗方くんの頭を、後ろから現れた神宮寺さんがペチンと叩く。 「なーにがご迷惑か。このアホンダラ」 尚も後頭部を叩こうと手を振り上げた神宮寺さんから、アハハと笑いながらステップを踏んで逃れる宗方くん。 いつも通り仲が良さそうだ。 二世代も離れた師匠と弟子の漫才にクスリとしたら神宮寺さんがこっちを見た。 「おう篠宮さん。どしたんだい?」 そう言ってニヤリと笑う。 綺麗な白髪を頭の後ろで束ねた白髭の老人。 濃い紺色の作務衣を着た出で立ちはいつ見てもサマになっている。 私はぺこりと頭を下げてから、 「こんにちは神宮寺さん。今日は例の件でご相談がありまして」 と言った。 神宮寺さんは作務衣の袖の内側で両腕を組んでふむと言って首を傾げた。 「例の件っつーと、アレか。俺の愛人になってくれるっていう……」 「違いますよ笑」 「じゃあなんだよ。それ以外に相談ってのは」 「例のインタビューの件と、それから天道宗について」 「おお、そっちか。何か進展あった?」 どうにも神宮寺さんと話すと雰囲気が軽くなるフシがある。 口の片端を吊り上げて笑う表情にも、軽いジャブのように随所に挟まれる冗談にも、神宮寺さんに対する距離感を失わせる何かがあるのだ。 まあこっち来て座りなよ、と応接セットに誘われる頃には、すっかりリラックスした気分になっている。 恐るべし年の功。 相変わらずこの人の前ではペースが握れない。 そして私は嘉納のところで聞いた天道宗の足跡と、インタビュー日時の調整と、それから最近世間を騒がせているヨミについての考察を話した。 「あのヨミって女。もしかしたら勧請院さんなんじゃないかって思うんです」 怪談ナイト騒動の際に行方不明になった霊能者。 箱の中にいた三体の霊のうち一体に憑りつかれて消えたまま、勧請院さんは見つかっていない。 私への復讐予告もあったが依然として果たされていない。 ウーンと唸って腕を組む神宮寺さん。 「まあ俺達は顔あわせてねえしなあ。勧請院さんとやらがあのヨミだっつっても、確証は持てねえな」 「そうなんですよね。ジローさんにも聞いてみたんですけど、ヨミの映像が無さすぎてわからないって」 「ただまあ、やってることのヤバさとか、あの人数をどうやって操ってんのかとか、霊だとしたら並のヤツじゃないのは確かだ。篠宮さんがそう思ったのも頷けるな」 「ありがとうございます。もう全部が全部憶測ですけど、その線で調べてみるつもりです」 それからお互いの情報を改めて深掘りして共有し、お礼を言って泰雲堂を出た。 そろそろ夕暮れ時だが空はまだ青い。 何の気なしに浅草寺方面へ向かう。 浅草寺は外観のみ楽しんで、境内を突っ切り浅草神社へ。 三社様と呼ばれて庶民から親しまれているこの神様は、浅草寺が建立される起源となった川底から引き上げられた仏像の指示で、引き上げた兄弟や「これは観音様の仏像であるぞ!うひゃ~」とその仏像を祀ったお坊さんを神として祀るように言いつかったという、非常に面白い縁起の神社だ。 その観音様(浅草寺)をスルーしてしまってよかったのだろうかという思いと、いやしかし私は神社の娘であるからしてという思いと、まあ神仏からしたらそんなことどうでもいいのかもねという思いで、心の内に平穏を取り戻した私は、改めてヨミ=勧請院さんの可能性に思いを馳せる。 三社様に手を合わせて自分の簡単な自己紹介と今やっている仕事や調査の報告をし、もしも御心に適いますならばこの者にお力添えをと願って心からの祈りを捧げる。 合わせていた手を解いて目を開き顔を上げると、良いタイミングで境内に爽やかな風が吹いた。 服の内にある御守りが嬉しそうに震えたので、きっとそういうことなんだろうと御神体に改めて会釈して踵を返す。 神様だってしつこいのは嫌だろう。 私のとびっきりの笑顔で感謝の思いは伝わったはずだ。 ずいぶんと軽くなった心持ちで私は浅草神社の鳥居をくぐった。 第一部 完
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