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── 春 ──
喧噪の街角、埃っぽい空気、冷たい朝。追いかけてくるヒトを季節は笑う。
店先の花に行き過ぎる人が別れを重ねていく。ひとつくしゃみをしたあなたがいて、あなたを想う誰かがいる。
会いたい人はいませんか?
「元気ですか」指先で飛ばす紙飛行機、もう流れない涙のかわりに。
春は、白い頬に赤みが差すような穏やかさで、行きつ戻りつやって来る。
まぶしさに眼を細めるカエルの寝ぼけ姿。冬眠明けの体には血が巡りはじめたばかり。
まだじっとしていよう。
「いつも」には急に戻れない。
再び色づいた景色をその眼に焼き付けながら、今は、まだ。
春風が冬のカーテンを開ける。隠されていた虫や動物たちが次々と登場する。新緑に萌える野山は明るく歌い、湿った息吹を送り出す。
あなたを寒さから守った上着は、もうすぐ荷物になるだろう。少しずつ脱いでみよう、わずかでも隙間があれば、春風が迎えに行けるはずだから。
咲き誇る桜の足元で小さな花をつける草がある。午後の太陽が温めた石の上をトカゲの尻尾が通り過ぎる。誰かが置いていった空き缶は次の日なくなっている。
花びらを拾う仕草で世界をパンする。あなたの眼はきっとよく映す、胡瓜草の青も、トカゲの尻尾の長さも、空き缶のその後も。
蜂が潜る花、脈打つそのはなびらを、蝶と区別せず包み込む太陽の沈黙。
蜂はやがて新しい女王に巣を譲り旅立つ。花は終わり葉が出ていずれ実がなる。息絶えた蝶が蟻に運ばれていく。
祈る神を持たない者たちの無常。
あなたの日常は代謝しているか。前進しているか。循環しているか。
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