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その翌日
神さま、お願いします。
あの子をたすけて。
神さまを信じたことなど一回もないにもかかわらず、小学四年生の鈴木悠真はおもわず願った。悠真だけじゃない、その日おなじクラスにいた誰もがおのずと心のなかで祈ったのではないか。それくらい「死んだ」という発言には、人がひとり死んだというその説明には、強烈なインパクトがあった。正確には、担任教師は「お亡くなりになられた」と生徒たちに、あまり聞き慣れない、かしこまった言い方で伝えたのだが。
「──沙來羅さんに不幸がありました」
死んだというのがしかも、みんなの見知った身近な人間だというのだからなおさらショックは大きい。子どもたちへの精神的配慮から、できるだけ話を曖昧に、簡略化し、ぼやかしてはいたが、いくら担任が内容を具体的に詳しく話さないようにしても、すでにクラスメートの間で噂は広まっていた。いまの時代、遠く離れた外国の出来事だけでなく、狭い範囲のみ伝わるご近所ニュースみたいなものですらも、従来の口コミ+SNSなどの最新コミュニケーション・ツールを通じてたちまち拡散する。もちろん悠真もスマートフォンをつかい、無料アプリでのやりとりや学校裏サイトを閲覧するなどして、事前にある程度の事情は把握していた。
とはいえ、インターネット上で無責任に飛び交う未確認の、まことしやかな情報としてことを知るのと、実際に面と向かって見識ある大人の口から、現実に起こったこととして知らされるのとでは、実感の質が格段にちがった。とくに先生が重大な事実を意図的にふせているところに、より緊迫した本物感があった。
ただ人がひとり亡くなったというのではなくて、暴力でむりやり無惨に命が絶たれたというショッキングな状況の。
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