1章 夕顔とくちなわ

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1章 夕顔とくちなわ

 最近、妻が冷たい。  そう考えながら伊吉は一人になった部屋で、ボケーッと寝転がっていた。やけにこざっぱりとした部屋。畳の上を指で擦ってみると、埃は一切つかなかった。そりゃそうだ。妻の小松が掃除をしてくれるからだ。毎日気がつくと出しっぱなしのものであったり、ちり紙であったりを片付けてくれた。テキパキと、家事をそつなくこなせる良い嫁だ。それに美人ときた。非の打ち所がない。  そんな妻のことが、伊吉は大好きだった。 「小松ぅ……」  つい、誰もいない部屋の中で愛しの妻の名前を呼んでみる。小松が恋しい。そんな小松は今日もどこかに出かけている。小松は伊吉が起きると、食事だけ作って家をすぐに出て行ってしまう。帰ってくるのは夜遅く、はたまた帰って来ないこともある。どこで何をしているのかは一切教えてもらっていない。  そんなある日、小松が家にいる時があったので、伊吉は尋ねた。 「おい、小松」 「はい、何です?」  箪笥に衣類をしまっていた小松がその呼びかけに答えた。けれど、体は相変わらず箪笥の方に向いている。 「お前、最近どこに行ってるんだ?」 「あぁ、実家の方に」  声は澄んでいた。嘘か本当かなんて、声を聞けば分かる。伊吉はすっかり妻の言葉を信じていた。 「実家?」  すると、小松が振り返って頷いた。 「はい。母の具合が良くなくて」  少し寂しそうな表情を浮かべながら、小松は答えた。 「そう、だったのか」 「はい。しばらく家を空けることが増えますけど、気に留めないでくださいね」 「あ、ああ。分かった。無理はするなよ」 「はい。私は、離れていても伊吉さんを愛していますから」  ニコッと笑った小松を見て、分かりやすく伊吉は頬を赤らめた。 「う、うん! お、俺も愛してるよ!」 「うふふ」  何だ、そういうことだったのかと、その時伊吉は安心した。 伊吉は家にいる小松に甘えられなかった分、ひたすらに甘えた。膝枕をしたり、耳掃除をしてもらったりした。けれど、寝る時はやることはやらずに眠った。  それからまた数ヶ月が経ち、相変わらず小松は実家通いを続けていた。家にいる日なんてほとんどない。 「うおおお……小松ぅ……」  足りない。小松が足りない。一糸纏わぬ小松の柔らかく白い体を抱きしめたい。胸に顔を埋めたい。あわよくば、抱きたい。抱いて、お互いの熱を交わし合いたい。  小松を抱かなくなってからどれくらいが経ったろう。ふと伊吉は考えた。もう、半年近くは抱いていない気がする。そう考えて、伊吉は「ヒィーー」と声を上げた。 「――どうしよう……こりゃ、こりゃあまずいんじゃないのか?!」  小松が自分のところへ来てからどれだけ経ったろうと思わず指を折る。 「す、過ぎてる……」  三年、過ぎてる。伊吉は青ざめた。 「うっそだろ……ええぇええ」  二人が結ばれてから三年過ぎても子どもができないと、その夫婦は離縁するということがあるので、それ相応に重要な意味合いがあった。それなのに、どうして小松は焦らないのだろうと思う。まさか、浮気? いやいや、そんなことはない。あり得ない。だって、愛しているって言ってたもんな。伊吉は、そこは大丈夫としながらも、やはり焦燥感に駆られていた。 「どうしよう……まずい、まずいって!!」  ううううう、と頭を抱えていると、家の壁からドスン、と強い音が聞こえてきた。ビクッと、肩を震わせると、壁の向こうから声が聞こえてきた。 「おい、うっせぇよ! ピーーピーーピーーピーー、鵯(ひよどり)ですかあ?」  低いけれど、よく通る声だ。長屋は壁が薄いので、隣の会話などはほぼ筒抜けで聞こえる。だから隣人は伊吉の言葉の数々に苛立ちを覚え、壁を穴が開かないように叩いたわけだ。 「は……?」  すると、壁の向こうの住人が尋ねてくる。 「あの、お宅にお邪魔しても?」 「あ、はい……」  返事をしてから、待つ暇も与えぬほどに男がすぐにやって来た。長身で体も締まっていて、目は何だか死んだ魚のような目をしている。着物は胸元が大きく開いていた。怠そうに首筋をポリポリと掻いている。 「あんたさぁ、隣にまでダダ聞こえな声で妻への愛と焦燥を語られても困るんだよ」 「え……そんなに聞こえてました?」 「ああ、かなりね。あんたの長屋、隣が片方しかなくて良かったな。羨ましいぜ」 「は、はぁ……」  はぁ、と目の前の男は大きくため息を吐いた。 「俺、隠しながら言うの下手だから直接言うけどさぁ……」  男は首筋を掻いていた手をピタリと止めて、真っすぐと伊吉を見つめた。 「あんた、浮気されてんだよ」 「え」  浮気。  ……浮気?  言葉を失う。理解できない。浮気? 伊吉は固まって、何度も目をパチクリさせた。 「あの、聞いてます?」 「き、キコエテマス」  角々と相槌は打つものの、伊吉はまだ理解できてないのだと悟った男は、言葉を繰り返した。 「だから、あんた浮気されてんの」 「う……」  何度も瞬きをして呆けた様子の伊吉は、まだボケーッとしていた。信じられなかった。 「だから! 浮気されてんだって! 何度も言わせんじゃねえよ!」  男が声を荒げた刹那に、伊吉の目からツーッと涙がこぼれ落ちた。 「えっ」  ギョッと男は目を見張った。 「ううっ……」 「お、おい……」  ポロポロと目から溢れた涙は止まることなく落ち続けた。 何で? どうして? 浮気されるようなことでもあったか? 浮気されるくらい、俺には魅力がないのか?  伊吉がどんなに考えても、最愛の妻である小松から不倫をされる道理は、全く思いつかなかった。 「ううっ、おでっ、うわぎされでるのっ」  伊吉は、まるで子どもがすっ転んで、痛みを堪えたけれど我慢できなかった時のように、顔をクシャッとさせて、ワッと泣いた。それを見ていた男が、慌てて伊吉を宥めようと試みる。 「お、おい、落ち着けよ……そんなに泣くほどのことでもねえだろ?」 「ううっ、こまづぅう、おでのっ、いどじの……うわあああっ」  浮気に耐性のない純粋な伊吉は、その不義の事実を突きつけられても、受け入れることがまだできなかった。だから、とにかく泣き続けた。ずっと、どうしてと心の中の小松に問い続けた。 「うぅ、うっ、ひどいぃい、う、なんで、なんでよぉお」  それから伊吉が泣き止むまで少しかかった。 「おい、大丈夫か?」  ひとしきり泣いてちり紙で鼻を何度も繰り返しかんで、鼻を腫らした伊吉は、涙を流さなくなってからも、うっうっ、と嗚咽を漏らしていた。 「だい、じょうぶぅう……」 「ほ、本当に大丈夫なのかよ」 「だいじょうぶ……だい、じょうぶですぅう」 「ええ……本当かよ、まぁそういうことにしとくか」  これ以上聞くと殴られそうな予感がしたので、男はそれ以上の詮索をやめた。 その後で、伊吉から妻の小松への惚気と馴れ初めをひとしきり聞かされて、男は「うんうん」と相槌を打ちながら聞いた。そりゃいい奥さんだ。今回のことは災難だと、適当に返すと伊吉はまた涙を流しそうになるので、気にするなよと慰める。 「あんまり、気にするこたぁねえぜ」  そう言ってから、男は名乗った。 「俺ぁ乙(きのと)だ」 「き、のと……」 「あぁ。あんたの隣に妻と住んでる」 「へえ」  その後、伊吉は乙に「俺は伊吉」と名乗った。 「けどなぁ」  乙は伊吉の横で横になった。 「俺も、妻に浮気されてるから。実質独り身みてぇなもんだな」 「えっ」  伊吉は驚きを隠せなかった。まさか、お隣さんもかと目を丸くして、乙の方を見つめた。 「うちに帰って来るのは、ひと月に一度。帰って来りゃ良い方だな」  帰って来ねえ方が多いさ。乙の諦めたような物言いに、伊吉は尋ねる。 「あんた、妻の浮気を見過ごしてんのかよ」 「あぁ。だって、俺も俺でやるこたぁやってるからなぁ」 「えっ……と、言うと?」 尋ねると、乙はあっさりと答えた。 「あいつが浮気してんなら、俺もしようって感じで。夜な夜な女に会いに行くこともあるぜ」 「え、えぇ……そんなことあっていいのかよ」 「ま、そこはお互いが分かってっから、口出さないようにしてるって感じではあるかな。いつ離縁申し込まれるかは、分からねえけどな」  だからよぉ、と乙は伊吉に言う。 「あんたも、独り身ってやつを楽しんでみるのもいいんじゃねえか?」  乙の言うことはある種、真っ当な意見だった。浮気されるのが許せないなら、離縁でもすればいいだろうけれど、それが嫌ならお互いの理想の生活を勝手にそれぞれ送ればいい。仮面夫婦みたいなところはあるが、それで幸せならそれでいいだろうと、乙は続けた。  けれどそう簡単に言われても、と伊吉は思う。例えば? 正直、仕事以外楽しむことなんてないのに。 「独り身が、楽しいわけねえよ」  吐き捨てるように言った伊吉に、乙は笑った。 「ええ? そらぁ考え方を変えてみろってんだよ、伊吉さんよぉ」 「考え方を……変える?」  伊吉の言葉に乙が、ああと頷いた。 「春画とか見に行ったり」 「春っ…!?」  衝撃の一言に、思わず伊吉は目を見開いて前のめりになりそうになる。 「前できなかったような遊びをしたりしてよ」 「遊び……」 「おぅ、女買ったり……何なら、今からどっか繰り出さねえか?」  そう言って乙は起き上がった。 「どこに、行くってんだよ」 「んーー、そうだなぁ……貸本とか、行ってみるか?」 「かし、ほん……」 「おう。すけべな本借りようぜ」 「すけべっ?!」  いちいちそういう言葉に反応する伊吉は、かなり初心だ。もういい歳とはいえ、そういう話題や事には、常に羞恥を抱いていた。 「いつまでもウジウジしてたってしゃあねえ。行くぞ、おら!」 「あわわ……!」  伊吉は乙に連れ出されて、長屋を出た。  それから並んで歩きながら、適当に店に入ってみたり、何か軽食を買ってみたりした。そこで伊吉は、乙の方が自分よりも二歳ほど年上であることを知って、仕事は鳶をしていることを知った。 「鳶って、大変じゃないか」 「まぁな。けど、いい仕事だぜ? それで今の嫁とも出会ったしなぁ」 笑いながら乙は言った。 「へえ……」 「ま、俺も俺で、仕事ばかりになってたからなぁ。休みの日は、だらけるような毎日送ってんだ。そりゃ浮気されて当然だよな」  乙の言い分には、かなり共感できる。仕事が忙しくまた鳶は火消を兼業するから、火事にでもなれば夜は問答無用で出動しなくてはならない。だから、休みの時くらいはゆっくりしたいというのだろう。 「……何とかしようとは、思わないのか?」 「何とかって?」 「その、浮気をやめろとか……言ったり、止めたり」  すると、乙がケラケラと笑った。やけに乾いた高らかな笑い声だ。ギョッと伊吉は目を見張る。 「いいや。あいつだって、浮気してる時が幸せなんじゃあねえの? こんな、夜の相手もしてくれねえ、小遣いも碌に与えてやれねえ夫よりもよ」 「……」  言葉もなく、何か話さないと、と考えながら伊吉は歩く。けれど、かけるべき言葉が見当たらない。 「だから、あんたも深く考えなさんな」  そう言って、気づけば貸本屋だ。貸本屋は中が薄暗くなっていて、奥へ行けば行くほどに後ろめたさや背徳感が倍増するような、そんなつくりになっているような気になる。  乙が迷うことなく、伊吉を置いて貸本屋の奥に入って行く。どうやら、彼には背徳感の類はないようだ。 「え、あ、どこに……!」 「春画見に行くんだよ、春画」 「んにゃ?!」  迷うことなく乙が言うので、伊吉は思わず口をハクハクとさせながら顔を紅潮させて乙の後を追う。伊吉はそういう話題にはとんと疎かったし、純粋ゆえか無縁だった。 「な、何でそんなに大声で……!」 「別に良いだろ。何にも後ろめたいことなんてねえよ」 「いやっ、後ろめたさを持て!」 「まぁまぁ……初心なんだからぁ、もう」 呆気に取られている伊吉を無視して、乙は春画を暗がりから物色する。その手つきは慣れていて、何度もこういう店に来ていたことが伺える。 「これいいなぁ」  そう呟きながら手に取った春画は、骸骨になった男が女に迫っている様子を描いている。魔羅の部分が骨になっても勃たせて、女性を求めさまよっているようだ。 「お前、ここまで女を欲しがったことあるか?」  乙がその春画を伊吉に見せつけた。 「い、ぅ……さすがに欲深すぎて目も当てられない」 「ははっ、だよな。俺も、ここまで女を欲しいとは思ったことねえな」 春画を元の位置に戻して、また乙は違うものを物色し始めた。その様子を見ながら、伊吉もお目当てのものを見つけようと目を光らせる。  ふと、ある棚に置かれていた本に、伊吉は目が留まった。それは綺麗に整理された本棚の中で頭が少し飛び出て、「俺を読め」と言わんばかりにはみ出ていた。帯や表紙には何も書かれていない。一体何が書かれているのだろう。恐る恐る開いてみると、そこに書いてあったのは伊吉の興味を大変に刺激するものだった。一度読み始めると、ずっとその場に突っ立ってしまうくらいだ。 「……俺、これ借りてみる」 「お、おう」  伊吉は乙が春画の版本を選ぶのを待って、そのまま本を借りて家に戻った。  伊吉が借りた本は、所謂男色について書かれたものだった。 男色は何であり、どうして生まれたのかなどが記されている。男色は基本的には純なもので、女との色恋のように淀んでいない、一途なものだと力強く書かれていた。割と着色というか、誇張して書かれているところもあったけれど、すっかり恋愛事に心を痛めていた伊吉には、それがもう救いのように見えた。女のように、男は浮気をしない。見捨てない。ずっと、一緒。そこに、とにかく伊吉は惹かれっぱなしだった。 「いいな……」  俺も、こんな風になりたい。純粋な、偽りのない愛がほしい。その日から、伊吉はその本を愛読するようになった。  数日が経って、乙と遊ぶことも増え、その本で男について学ぶことも増えていた。男色について学んでいく度に、次第に男への興味も膨らんできている。 「あれ……?」  ふと、乙と遊んで帰って来た夕暮れに家の軒下に目を配る。夕顔が気づけば根を張って、葉を茂らせていた。 「あぁ……こんなに」  連子窓の方にも蔓を絡ませて、もうすぐ花が咲きそうだ。蕾が膨らんでいる。切るに切れない。あの白い花がまた綺麗だから、こうして置くのも悪くないと思った。 「気づかなかったな」  まぁいいか。実が生れば、汁物にでも入れて食ってやろう。けどその前に、花が咲いてくれなきゃ意味がないな。  すくすくと育つ夕顔を後目に、伊吉は家に入ってまた借りてきた本を開いた。 それはこの間借りてきたものの続編のようなものだ。何が書かれているかと言えば、男にどうやって体を開くかなど、実践的な内容が主だった。伊吉はゴクッと唾を飲んで、早速最初の頁(よう)を開く。  やはり、そういうことをするには男色にも女役が必要だった。女役はどうやって相手を受け入れたらいいのか、それが詳しく絵と共に書いてある。  小松が帰って来ないことをいいことに、伊吉は家で好き放題やっていた。尻をいじるために、大きめの盥(たらい)を買ったし、それに性玩具や塗り薬を買った。それらを使って尻をいじる日もよくある。伊吉は何故か進んで女役をやろうと思っていた。それは書かれている本に、女役をすると極楽が見られると書かれていたからだった。  けれど好き勝手している中で、時々小松が帰って来るので、それらと貸本を隣の乙に預けることもしばしばだった。さすがにそのまま渡すのはまずいので、梅干しを漬けるようにと買った壺に適当に押し込んで、「絶対に開けるな!」と念を押して。  その甲斐もあってか、尻は良いように解れてきた。それに、感じるようにもなった。 今日は秘孔の内を綺麗に盥にしゃがみ込みながら洗って、安い木製の張り型で気持ちよくなる日だ。悦びで体の芯から震えあがって、ゾクゾクとする。早速綺麗に洗った雄膣を張り型で拡げていく。着物は着たままで、下の方を寛げ、褌を外して尻を突き出す恰好になる。 「んっ……」  挿入する時だけ痛みを感じるけれど、入ってしまえばどうったことはなかった。とりあえず先っぽだけを挿れて、馴染んできたところをゆっくりと動かしていく。 「ん、ぅあっ……」  良いところを探して、張り型を動かしていく。どこだっけ、気持ちよくなるところは……確か、ここら辺だったような。あれ、違う? 「どこ……ん、だっけ……」 どうも上手く探しきれないので、伊吉が当てもなく張り型を動かしていた時だった。 「おぉい、邪魔するぜぇ」  刹那に噴き出した冷や汗が背中を濡らした。 「ひっ?!」 「んなっ!?」  乙は目を丸くしていた。開いた口が塞がっていない。  お互いに驚きで言葉を失っていた。 もうさすがにこの時間に訪ねて来る奴はいないだろうと、堂々と部屋の真ん中で尻を突き出して張り型を動かしている伊吉。夜になったし、酒でもどうかと隣人を訪ねたら、あられもない姿の男を目撃し赤面する乙。 「お、前っ……何、してんだよ!」  乙の声が上ずった。 「み、見んなばかぁっ!」  一方の伊吉は張り型を抜くに抜けなくて、どうしようかと動揺を隠せない。 「お前……まさか、そっちだったのかよ」  乙が目の前で起こっている光景が衝撃的すぎて、そんな言葉を吐いた。 それが伊吉には失望の音に聞こえた。その言葉の後で恥ずかしさと虚しさから、伊吉は後ろで添えていた手を離して、顔を覆って泣き始めた。 「ううっ……もう、無理……っ」 「えっ、おい、泣くなよ……」 「うう、だってっ……こんな、姿は見られるしっ……恥ずかしいし、ぅ、もういやだっ」  ゴトッ、と張り型が音を立てて伊吉の後孔から滑り落ちた。雄膣から滑り落ちた木の張り型は先がぬめっていた。 「おい、落ち着けよ」 「う、おち、ぅ、つけるかよぉ……ぅうっ」  気が動転して、すっかり涙が止まらなくなってしまった伊吉の横に、乙は座った。 「ぅ、気色悪いって……思ってんだろっ?」 「いや……普通に、その驚いてる」  淡々とした乙の物言いに、ますます伊吉は不安で焦燥に駆られていく。本当は、何か思っているんだろう。それだけど、言えずにただ俺の横に座ったに違いない。このクソ野郎。 「普通にって、なんだよっ」 「いや、あのさ……普通に尻に張り型突っ込んでる様子見たら、誰だって驚くだろ」 「う、ぅうっ……」  そうだ。乙の指摘は正しい。何も言えない。嗚咽で言葉を上手く発せない伊吉をただ乙は真っすぐ見ていた。 「それに俺は別に、気持ち悪いなんて言ってねえし」  すると、乙が伊吉の上に覆いかぶさってきた。 「むしろ……俺の術中に見事にハマってくれて、ありがとう?」 「へっ……?」  どういうことだ。  ますます頭が混乱して、伊吉は言葉を失った。 「俺、別に女も好きだけど、特段野郎が好きみてぇでなぁ……ちょうど、隣の兄ちゃんが浮気されてるって最近知ったから、近づいて遊んでってしてたら、ここまで自ら花開くとは思わなんだ」  ニタァと乙が笑った。苦痛をおぼえる笑みではあったが、なぜかゾクゾクした。かっこいい。その時、ふと頭の中で男色の本のことを思い出した。 「ひょっとして……男色の本を、わざと飛び出させてたのって、お前?」  すると、乙が声を殺して笑った。 「そう。俺」  直接言ったり薦めたりしたら疑われるだろう、と乙は話した。歪んでる。こいつも、純愛なんてものをくれるような男じゃないかもしれない。こいつはって、どういうことだ。乙とどうにかなりたいと思っているのか。伊吉は混乱しながら、乙と顔を合わせないようにと俯いた。 「さ、続き。見せてみろよ」 「えっ……?」 「続き、しろよ。それとも何か、できねぇなら俺がやってやろうか?」  乙が横に転がっていた張り型を手に取ると、そのまま伊吉の締まった秘孔に押し当てた。 「ひっ、ぅ、やめろよ……!」 「なんで? さっきまで弄ってたろ?」 「ダメだって、ダメだったらぁあっ、んぅう!」  グッと乙が力を加えると、そのまま伊吉の内側へ張り型が飲み込まれていく。 「うわ……すげぇ」  ミチミチと、腸壁が張り型を包み込んで蠢く。体の中に、何か生き物を飼っているかのようだ。 「んっ、ぅ……」 「痛くねぇか?」 「ふわふわする……慣れれば、大丈夫」  伊吉の口ぶりに、かなりの頻度で一人慰めていたことを乙は察した。 「次は?」 「え……っ」 「おら、やって見せろ」  その言葉に、伊吉はゴクッと生唾を飲んだ。  それからしばらく、自慰をする光景をただひたすらに乙に見られるという時間が続いた。 「ん、ぅう、うっ……」  とにかく恥ずかしいのと、早く気持ちよくなりたい欲望が溢れて止まない。雄尻を猫が伸びをするように高々と上げて、体を紅潮させながら張り型を動かす。 「あっ、ん……う!」  良いところに張り型が当たって、尻たぶをビクッと震わせた。伊吉の反応がいちいち大きく気になるので、乙が伊吉の顔を覗いてくる。 「ど、どうしたっ」 「ぅ、きもち、ぃい……っ」  ゴクッと乙が生唾を飲み込んだ音がした。あぁ、ひょっとして乙は俺の姿を見て、生唾を飲み込んでしまうくらいに欲情したのか? だとしたら、嬉しいな。伊吉は目を閉じながら己の体を慰めて続けた。 「おい」 「えっ……」  少しすると、乙が息を荒く吐きながら、伊吉の持っていた張り型を代わりに握った。 「えっ、何だよっ」  伊吉は戸惑う。体からまた汗が噴き出した。何をするつもりだ。思わず体に力が入った。 「気にすんな……貸せ」 「えっ、ぅ、んっ?!」  グッと握られた張り型が、乱暴に雄膣の内をくじる。 「ぁ、あっ、ぐ、き、のとっ……!」 「で、どこがいいんだよ? もっと、可愛く鳴く姿を見せろよ?」  そう乙が声をかけたと同時に、伊吉の内側の良いところを擦り上げた。 「あっ!」  響いた高い音の蕩けた声。伊吉自身でも、聞いたことのない嬌声だ。女でも、こんなに可愛く鳴きはしないだろうに。  この伊吉の反応に、すっかり乙は魅了されたようだった。 「へえ、いい声で鳴くじゃねえか」 「ひ、ぅ、やらぁ、きもちぃ、ん、あぁっ……!」  気づけば乙が夢中になって、伊吉の雄膣に収まる張り型を暴れさせるようにして動かしてきた。手つきは荒くて激しい。 「おぃっ、きのとっ……ひっ、ぐ、どぉしたんだよ、んぅ、ぐ、あっ」 「余裕ぶっこいてんじゃねえよ……」  乙の手つきが荒々しくなって、内側を強く責め立ててくる。 「はっ、んぅ、ダメっ、もぅ……もぅ、気を遣っちまうぅっ、あ、イクって……!」 「イけよ」  唸るような乙の声に、伊吉は背を震わせた。すると、乙がグッと距離を詰めて耳元で囁く。 「ほら……」 「ひっ……?!」  伊吉の耳元で動く乙の唇が、唾液で濡れて湿っぽい音を奏でた。ひたひたと、唇が重なった音が、低く唸るような声に合わさってかかる。 「ほら、気持ちいいんだろ?」  その耳元で溢れる卑猥に、伊吉の気分も高まっていく。 「あっ、ぅ、ほんとに、ほんとにイクって……!」 「イけば……?」  ぐちゅぐちゅと下が激しく鳴ってきて、淫薬を塗り上げた菊座を気持ちよく擦り上げていく。伊吉の聴覚を満たし溢れる淫らな音が、快楽をさらに高め、欲を満たしていく。 「あ、ぁ、もぅ、もうダメっ……!」  刹那にギュッと乙が伊吉を抱き寄せてきた。 「あぁ、イけ」  それが伊吉の、快楽の絶頂への引き金を引いた。 「ひ、ぅ、ぐぅうう!!」  ビクビクと魚が陸に上がったように伊吉は体を激しく震わせてから、強く弓なりに反らせた。すごく、すごく気持ちいい。勃起した肉棒から、僅かに白濁が溢れる。 「す、すげえな……」  伊吉は、絶頂の後の荒い呼吸を整えようと肩を上下させて、大きく息を吸っては吐いてを繰り返していた。こんなに自慰で感じ入ったことはなかった。 「おい、尻貸せ」 「へっ?」  乙が、気の抜けた声を出した伊吉の尻から張り型を抜き取って、早速勃起して反り返る肉棒の先を雄の菊座に当てがう。 「えっ……」  乙のが、勃起してる。いつから。本当に、俺で感じていたのか。伊吉は乙が欲情している様に驚いたし、何よりもどこか嬉しかった。 「俺も、溜まってんだよ。付き合え」 「え、でもっ……ダメだろっ」 「何が?」 「ダメだ、お前には大切な女房がいるんだろっ……?!」  その言葉に、乙が笑った。 「何を今更。そんなの、お前だって一緒だろうが」  グッと乙が力を入れた刹那、伊吉の菊座が緩んで雁首の先端の丸みを受け入れていく。 「ひっ、んぁっ……!」  伊吉は戸惑っていた。どうして、乙に突っ込まれようとしているのか。でも、それ以上に男の肉棒の気持ちよさを知りたい。どれだけいいのか。どんな世界を見せてくれるのか。 「ダメっ、ダメだってぇ……!」  口ではそうは言いながらも、内心は期待に胸をかなり膨らませていた。雄膣の口が拡がっていく。張り型よりも大きくて、太い先端。挿れられながら、魔羅ってこんなに硬いんだと冷静に伊吉は思った。硬くて、長さがあって、温かくて。もっと、良くして。そう思ったけれど、背徳感も相まってなかなか素直になれない。 「ダメじゃねぇよっ、ほらぁっ……!」  次の瞬間、秘孔が肉棒の先を飲み込んで、やがて幹の根元までを咥え込んだ。 「ああぁあっ!!」  強い痛み。けれど薬を塗っていたからか、菊座の痛みを和らげてまた快感を生み出してくれる。 「ん、ぅ、く……っ」 「大丈夫かっ?」 「ぅん……」  そのまま、果てるまであっという間だった。腰を打ち付けられる度に、心地のいいところに当たって体の芯から悦びに震えた。気持ちよくて、もっとしてほしいと体が疼く。その夜は、何度も乙に抱きしめられながらイき続けた。  それからというもの、何だか二人で顔を合わせればそういうことをするようになった。 その日は、乙の家に招かれてした。 「ん、ぁっ、ん……ぅ」 「随分と、下が緩くなってきたんじゃねえの?」  ある時からお互いに、向かい合ってするようになった。最初の頃は、顔を見合わせるのも嫌だろうと伊吉は思っていた。だが、乙は感じてるお前の顔を見せろと言って、伊吉をひっくり返した。それからは、ずっとこうだ。 「気持ちいいか?」 「うんっ……いいよぉ」  好意というものがあるか、と言われたら分からない。肌が触れ合うのが心地よくて、もっと欲しくなってを繰り返しているうちに愛なんてものを確かめなくても、お互いにのめり込み、はまっていくのが分かった。口吸いも、夢中になってした。  妻の小松は、相変わらず帰って来る日が少ない。乙の方も、らしい。お互い、妻から愛想尽かされてるなと内心、伊吉は嘲た。 「あ、んぅ、ぃ、イクっ……きのとっ、きのとぉ、イクッ……!」 「ははっ、いいぜ、イけよっ」 「んぅう!」  ギュッと伊吉は乙の背を抱き寄せ、秘孔を締め上げて果てると、乙も少ししないうちに白濁を雄膣の中で吐いて果てた。 「お前っ……締め付けが強えんだよ……」 「わ、悪い……っ、気持ちよくて」  伊吉は息を切らしながら、乙に言った。乙もまた果てて息を荒げながら、伊吉の上に覆いかぶさってきた。男らしい、締まった体だった。ほんと、憎らしいくらいに、いい体つきだ。 「ん、ちょっと重い……」 「いいだろ?」 「ぅん……」  女役も悪くない。むしろ、すごくいい。乙が、自分だけを見て腰を振って、果ててこうして一緒にいる。恋愛を抜いても、それが何だか嬉しかった。 「……ずっと、こうしてたい」  ぽつり、と伊吉の口から自然とそんな言葉が漏れた。 「まぐわり続けてたいってか? ……お前の欲は底なしだな」 「ち……違ぇよ」  まぁ、分かってくれなくたっていい。お前と、ずっと一緒にいたいなんて。照れくさくて、言えたもんじゃない。それに、お前からしたら俺とのこれは遊びかもしれないだろう。伊吉はそっと覆いかぶさっていた乙をどかした。その後でそれぞれ、菊座から溢れる白濁をちり紙ですくい取ったり、肉棒の鈴口についた白濁を取ったりした。 「あ、そうだ。どうせ、また夜もするんだろ?」 「え?」  すると、乙が竈の方に歩いて行ったかと思うと、水に浸けていた男根の形をした肥後芋茎(ずいき)を取り出した。 「柔らかい」  大丈夫だな、と芋茎を持ってきて、乙が伊吉の前に腰を下ろした。 「え、待って……それ挿れるのっ」  乙は何も言うことなく、伊吉のまだ柔らかい秘孔に押し込めた。 「んあぁっ!」 「これ、挿れたままにして、また後でな」 「へっ?! うそ、ちょっと……!」  乙はそのまま尻を向けて寝転がった。挿れる側は良いよな。挿れるだけで、自分の肉棒を綺麗にするだけで良くて。今までそんなことは考えなかったけれど、挿れられる側になってからよく分かった。受け入れる側は大変だと。  伊吉は乙の腰に蹴りでも入れてやろうかと思ったが、秘孔に収まったソレが良いところに当たって下手に動けない。キュン、と伊吉の秘孔が無自覚に締まる。  その時、伊吉の家の戸がカタンと音を立てた。小松が帰って来ただろうかと、慌てて伊吉は乙の家を飛び出した。 「あ、小松」  久々に見る妻の表情。どこか綺麗になったような気がする。やはり、女を輝かせるのは良い男ってか。それが自分じゃなかったということを突きつけられたようで腹立たしい。けど、もう今はどこか諦観な心地になっている。 「あぁ、伊吉さん。ちょっと、忘れ物を思い出して」 「そ、そうだったんだ」  適当に笑みを浮かべて返すと、伊吉の変化に気づいた小松がそっと伊吉に尋ねた。 「伊吉さん、何だか顔が真っ赤だけど……大丈夫?」 「ええっ……?」 「何だか、色っぽいですね」  キュン、とまた後ろの穴が締まった。 「えぇ? そう?」  良いところを掠める。あぁ、ダメ。さっきいろいろとしたばっかりだろう。溢れそうになる色のある声を伊吉は必死に殺した。 「ええ。それとも私の気のせいかしら……」  自制をするけれど、背徳感が湧いてきて、秘孔の締まりが良くなってくる。キュンキュン、と芋茎を飲み込んでいきながら、またヒクヒクと菊座が蠢く。  ダメ。勝手に気持ちよくなって、果てるなんてダメだ。  家の連子窓のところに絡まっていた夕顔が、白い花を一つだけ咲かせていた。それはそれは美しくて、下の方にも、たくさんの蕾がついている。これからもまだ、たくさん咲きそうだ。 「気のせいだよ。きっと」  そう、気のせいでしょう。そっちだって、俺みたいにいろいろなことを勝手コソコソしてるんだろう。それと同じだ。言えたもんじゃない。  これからも、乙との秘め事を続け、たくさんの罪を重ねることになりそうだ。小松、ごめん。でも、やめたくないから。乙と、好き勝手してたいから。伊吉は微笑して、妻の方を見ていた。
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