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13
夏の終わりに内定前懇親会が行われた。
社長のありがたいお言葉や社内部署の説明、別会場に移動して先輩社員を交えた談話タイムが開かれる。
とはいえ立食方式だったので酒が回らないよう注意したが、どうにも自己紹介を済ませたらすぐによく知りもしない『未来の先輩』に酒を注がれる。
愛想いいふりの内心うんざり気味で対応していたところ、ぽんと後ろから肩を叩かれた。
会ったのは夏前だったので記憶はもう既におぼろげだけれど、確か最終選考の時居合わせた審査官の一人だっはずだ。
「やあ」
「あ、こんにちは」
「君、採用だったんだ。相当面白かったもんね、面接」
「え、そうでしたか」
「うん、覚えてない? うちの会社に入ったら、何したいかって目標聞かれたとき」
「ああ…」
記憶が蘇る。
「みんなうちの業界内での特性を生かしてとかなんやかんや言ってる中で、君一人だけ自分の好きな人が生きやすい社会にしたいですって。地球の全員は救えないけどみんながそういう思いになったら良い社会になるはずです!って導入、あれウケたなあ。俺、やばいのいるじゃんって思ったもんね」
ニヤニヤ顔で再現されて、早くも拷問ですかと思う。
ちょうど仁藤への思いを自覚した時だったので、気持ちが高ぶっていたのは事実だが、改めて人の口から聞くと私情に溢れていて顔から火が出るくらい恥ずかしい。
「すみません、いやほんとあの時は、鼻息荒いただのアホでした…」
「いやいや、今どきない威勢の良さでよかったよ」
男は意外な感想を述べる。
「はあ」
「うちも君を取ったってことは、まだまだ捨てたもんじゃないねえ。なんてね、もちろん採用されたのはそれが理由ではないと思うけど。でもあのスピーチ、俺は好きだったなあ」
「あ、ありがとうございます」
「まあ来年からは頑張ってよ。あ、俺の名刺渡しとく。困ったことあったら相談して」
男が去った後で渡された名刺に目を落とすと役職欄にエリア長とある。
選考にいるからにはそこそこであることは確かなのだろうが、いまいちどの立ち位置の人かはピンとこなかった。
しかし、真新しい名刺入れに小さい紙をしまった後、恵は無性に嬉しくなった。
仁藤への気持ちを他人に肯定されたことで、あやふやだった自身のこころざしが違う角度からはっきり見えた気がした。
何より、自分が決めた道、つまり仁藤を世界の中心に置くという選択は正しかったんだと、心から思うことが出来た。
これからは、迷ったらいつだって仁藤という道標を探せば良い。
恵はグラスに残ったビールをぐっと飲み干す。
早く好きな人に会いたかった。
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