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「なんで、ここに…」
「お前、俺のメールも電話も繋がらないようにしてただろ。連絡を取りたいって先輩に言ったら、今日ここに来る予定だからって教えて貰って、廊下の角で待ってたんだよ。で? 告白がどうしたって?」
「だから…さっき言った通りです。本当に、申し訳ありませんでした。土下座、…します」
そんなことくらいで罪が軽くなるわけはないのだが、それでも床に右手をつくと「ほんとだな」と上から返ってくる。
「お前の早とちりに」
正座しながら仁藤を見上げる。
「早…とちり…?」
短いため息を一つついて仁藤は口を開いた。
「あれは、俺が自ら公表したんだよ」
「そ、そんなはずない…」
「何でだ」
正座を続ける恵の前に、仁藤はしゃがみ込んだ。
「何でって…そんなこと…。だって、一番嫌ってたじゃないか。同情で仕事が評価されるの」
「ああ、嫌ってた。同情なんて欲しくない。とはいえやっぱりどうあがいても病気も含めて俺なんだよ。発症して十年も患ってて、今更俺の生活や考え方から切り離せるわけないってどこかでわかっていながらも、ずっと否定してた。意地になってた。でも、それでも良いって言ってくれたやつがいる。そのままの俺でいいんだって。そんな風に言われたら、かえって世間に公表しといてもいいかって思えたんだ。お前さえ理解してくれれば、他からどう思われようが関係ないなって」
「本当に…信じていいの?」
「ああ。お前は俺の事は正しく理解するくせに何で自分の事は過小評価なんだ。お前が、そばにいてくれるって言ってくれた。俺が何をやっても、受け止めてやるって言ってくれたからできたことだ。…お前の言葉が俺を変えたんだ」
ぽん、と頭の上に手を置かれた。
子供をなだめるような仕草で。いつも自分がお世話をしていると思っていたのに。
涙が溢れた。
「大体な、出来上がったポスターや広告のゲラを本人が確認しないわけがないだろう。あのドキュメンタリーだって最後になんで公表に至ったかってインタビューがちゃんと撮ってあったのに、見てないのか?」
「見れるわけないよ、つらすぎるもん!」
「馬鹿だな。個展が落ち着いたらちゃんと説明しようと思ってた。…それなのにお前は」
それまで優しげだった瞳が一気につり上がり、睨み付けられる。
「いきなりいなくなるし、連絡はつかないし意味不明な手紙と鍵は送られてくるわで、俺はてっきり、…セックスして満足したのかとか、逆に俺の裸を見て嫌いになったのかとか、色々悩んで…」
「そ、そんなわけない…」
「だったら! せめて会って話をしろ!」
「はい、その通りです…」
「…もううちにお前が来ないのかと思うと仕事も手につかなくて…あの夜も、好きだって言葉も…何もかも嘘だったんだって…っ!」
仁藤の目尻に涙が溜まっていた。二人で泣いているのがなんだか可笑しかった。
「ごめん。ごめんなさい」
ぎゅっと、肩を寄せて抱きしめた。
何ヶ月ぶりに抱きしめる仁藤は、いつか型を取ってあったみたいにぴったりと恵の身体に馴染んでおさまった。
「もう離さない。何があっても、絶対離さない」
「それを早く言え馬鹿っ」
強く腕に力がこもった。仁藤こそが、恵を離さないとするようだった。
「仁藤さん」
「なんだ」
恵と同じく、くぐもった声が返ってくる。
「シャツのボタン、掛け違えてるよ」
二人で、笑った。
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