落としもの運

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「で、中三の時もなんかあったの?」 「中三も高一も、まだまだいろいろあるんだけど、とにかく私は落し物運が悪いわけですよ」  力強くそう言い切ると、紬ちゃんはなだめるように私の肩を叩いた。 「分かった分かった。で、その物理の参考書の話になるわけね」 「そうなんですよ紬ちゃん! 実はさっき校門のところでこれを拾ったのです」 「でっかい物を落とすなあ。バカじゃないの、そいつ」 「ななな、なんてこと言うんですか! この人はバカじゃありません。きっと何か深い理由があったんだと思います」  テーブルの水滴をティッシュで拭いてから、その参考書を紬ちゃんに裏返して見せた。そこにはマジックで大きくハッキリと名前が書いてある。 「三年C組、小瀬木(おぜき)悠馬(ゆうま)か。高三の小瀬木って……」 「そう。高三の小瀬木先輩」 「紗季の王子様じゃん!」 「ぎゃあー、大きい声で言わないでぇ」  小瀬木先輩は、学校の帰りにやたらよく出会う先輩だ。いつもにこやかですごく優しそう。うちの高校は全校生徒のほとんどが部活に入ってるけど、私も小瀬木先輩も帰宅部なので、自然と帰り道でよく見かけることになる。  そんなわけで顔だけは一年の時から知っていた。  名前を知ったのは二年の春、テスト前に図書室で勉強してた時だ。数学がどうしても分かんなくてうんうん唸りながら解いてたら、たまたま目の前にいた小瀬木先輩が声を掛けてくれた。よかったら教えてあげようかって。先輩も下校時によく見る私のことを覚えてたらしい。結局その日は二時間近く勉強を教えてもらった。  その教え方がすごくわかりやすくて、一瞬だけ数学が好きになりかけた。  結局数学は好きになれなかったけれど、代わりに小瀬木先輩のことを好きになってしまった。というか、すごく憧れている。 「小瀬木先輩のことは紬ちゃんにしか言ってないんだよう」 「わかったわかった。でもラッキーじゃん?これを持っていったら少しはお話できるでしょ」 「だからさっき話したように、私は落し物運が悪いので」 「いや、普通に『これ落ちてました』って渡せばいいだけだよね」 「今までに教科書やノートを拾って届けたことは何度もあるんだけど、反応はだいたい二パターンあります」 「ほう」 「ひとつ目は私が勝手に借りていったと勘違いされるパターン」 「拾ったのよって言えば?」 「『言い訳は聞きたくない!』って」  怒ってる人はあまり話を聞いてくれないんだよ。後で落ち着いて謝ってくる人もいたけど、そのまま何となく疎遠になった友達もいる。 「ふたつ目のパターンは、折れてるとか汚れてるとかで文句を言われる」 「紗季のせいじゃないよね」 「理屈の通じない人はわりと多いのですよ、紬ちゃん」  落し物を拾って理不尽な理由で文句を言われるのは慣れているし、自分にとってはもはや当たり前なことでもある。  どうして私ばかりそんなややこしい物を拾ってしまうのか。いっそ私が拾うことで何か悪いことが起こってるんじゃないかと思うことすらある。 「でも、王子様なら大丈夫なんじゃない?」  それはもちろん……私だってそう思いたい。小瀬木先輩は優しいし、いい人だ。  でも……。 「不安なのよう。小瀬木先輩に嫌われたくないです」 「しかたないなあ」  やれやれと肩をすくめて、紬ちゃんが参考書に手を伸ばした。 「紬ちゃん! やってくれる?」 「うん、いいよ。しかしこの名前、デカいし汚い字だなあ」 「急いで書いたんじゃないかな?」 「落ち着いてるように見えるのに。落し物するし字は汚いし、意外よね」 「数学を教えてくれた時は、とっても丁寧に書いてくれましたよ!」 「あー、ハイハイ。ごちそうさまです。ところで私が三年の教室にこれを持っていったら、多分言っちゃうよ?」 「何を?」  私が聞き返すと、紬ちゃんはにやりと笑ってこう言った。 「これ、二年A組の佐藤紗季が拾いました。彼女、小瀬木先輩のことが好きなんです」  ひえええ。それはだめです。  小瀬木先輩に知られたら、恥ずかしくて倒れてしまうと思う。 「私って思ったことがすぐに口に出ちゃうから」  紬ちゃんはまんざら嘘でもなさそうな口ぶりでそう言って、自分でうんうんと頷いてる。私は慌てて紬ちゃんの手から参考書を取り返した。 「紬ちゃんだけが頼りだったのに」 「まあまあ。そんなに落ち込まずに他の方法を考えようよ」 「……うん」 「何か追加注文しようか。長くなりそうだし」 「うん!」  そういえば一生懸命話してたら何だかお腹空いてきたよ。  お店には時々持ち帰りの注文をするお客さんが入ってくるけど、店内で食べてる人はまだ私達だけだった。混みだすのは高校生が部活帰りに寄る頃だから、あと三十分はある。お店が混み始める前には話を終えたい。 「じゃあ私ハッピーチーズバーガーにする」 「私もそれにしよう」  カウンターで注文してお金を払う。ハッピーチーズバーガーは高校生向けのシンプルなハンバーガーで、ボリュームはあるけれど安い。この店の看板メニューだ。  注文するとすぐに奥のキッチンで肉を焼く良い匂いがし始めた。 「ありがとうございます。出来上がったら席にお持ちしますので、座って話の続きをどうぞ」 「聞かれてる」 「そりゃ、聞こえますな」  美人店長はにこにこと笑って、カウンターの中から小さく手を振った。  恥ずかしいけど、まあいいか。店内で食べるお客さんがいない今がチャンスだから。  席に戻ると早速紬ちゃんが聞いてきた。 「ところで、そんなに落し物運が悪いのに何で拾ったの?」 「落ちてたら何でもつい拾っちゃうのが癖になってまして」  だって気になるじゃん?  道の真ん中に分厚い参考書が落ちてたら! 「そもそも、なんでこんな大きいものを落とすかな」 「案外落ちてるよ。青チャートも何回か拾ったことある」 「えっ」 「落ちたら音がするだろうに、謎ですな」 「……まるで紗季ちゃんに拾ってと言わんばかり」 「そして結果、私が怒られたり恨まれたり……」  結果は分かっているのに、どうしても拾ってしまう。だって失くして困る人がいるだろうし、放っといたら踏まれたり雨に当たったりして使えなくなっちゃう。  拾って逆に怒られることは多いけど、だからって拾わなければよかったと思ったことはない。 「ま、まあまあ。どうやって返すか考えよう」 「うん」 「あ、そうだ!」 「なになに、紬ちゃん」 「いっそこのまま貰っちゃえば? 紗季ちゃんの受験のお守りに」  紗季ちゃんの言葉に、一瞬、本気で悩んだ。  小瀬木先輩の使ってた参考書。言われてみれば最強のお守りだ。小瀬木先輩はどこを受験するのかな。これを机の前に飾って勉強したら、私ももっと頑張れるかなって。  でも。 「そういうの駄目だと思う。それに参考書を失くしたら小瀬木先輩が困っちゃうよ」 「そりゃまあ。ちょっともう一回その参考書見せて」 「いいけど、絶対に私が小瀬木先輩をす、す、好きぃーとか言っちゃあ駄目ですよぅ」 「はいはい。今すぐ返すから」  あきれ顔で手を出す紬ちゃんに、嫌々ながら参考書を差し出す。  紬ちゃんはそれを受け取るとパラパラとめくって中を見た。 「へええ。これ分かりやすいね。私も物理選択だし本屋で探して買おう」 「解説してくれてるキャラも可愛いですぞ」 「それはどうでもいいけど」 「むー」  何か妙案を考えてくれるのかと思ったら、自分の勉強に使うためのチェックだった。けど小瀬木先輩も使ってるんだし、きっといい参考書に違いない。私には物理は必要ないけど。  紬ちゃんがスマホで参考書の表紙を撮っていると、美人店長さんが席までハンバーガーを持ってきてくれた。 「はい。ハッピーチーズバーガーを二つ。コーヒーを一つ、おまけしておきますね」  私の前にコーヒーを置いてくれる。 「いいんですか? ありがとうございます」 「いえいえ。お代わりもどうぞ」 「ありがとうございます」 「ところでこの参考書ですが、職員室に届けてはどうですか? 先生にお願いして渡して貰うのはどうでしょう?」 「それ、いいですよね。そうしたら?」 「あの、せっかく考えて貰ったのですが、それはかなり危険度が高くてですね」  先生経由で返すと、持ち主さんが先生に怒られる可能性が高いのだ。ただしこれも私の落し物運の仕業に違いない。  私のせいで先輩が先生に怒られるのはちょっと辛い。 「なるほど。こんな大きな物を落とすおバカちゃんは、たしかに先生に怒られちゃうかもしれません」  店長さんが残念そうに首を振る。 「いえ、先輩は決しておバカちゃんではないんですけど」 「それにしても本当に大変ですね、落し物運」 「そうなんです」 「他にいい案を思いついたらまた声をお掛けしていいですか?」 「もちろんです。ありがとうございます!」  軽く会釈して、店長さんはカウンターの内側に戻っていった。  店長さんから紬ちゃんに目を向けると、コソコソと参考書を鞄に入れようとしてるので、慌てて取り上げた。 「あ」 「紬ちゃん、勝手に持って帰っちゃだめでしょう」 「でもこれ、やっぱ私が届けて、二年A組の佐藤紗季がーって言った方がいいような気がする」 「だ、駄目ですよぅ」 「大丈夫だって。下校の時に会っても嫌そうじゃないんでしょ?」 「うん。普通に元気に挨拶してくれます」 「だったら大丈夫だって。ちゃんと好きって言おう!」  へにゃりと眉尻が下がってしまう。紬ちゃんは大丈夫って言うけど、そんな自信はないよ……。
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