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【シスター・オブ・ザ・リング(2/4)】
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29.遼太郎、桜子にお礼をする
「指輪か」
手の中に、貝殻とウッドのラインが入ったリングが転がり出た。
「アクセなんか着けたことはないけど、カッコイイな、これ」
「桜子が選んだんだよ。あのね、タングステン製なんだって」
「タングステン……」
切削などに用いる超硬度の金属である、という知識は遼太郎にもある。
「へえ、タングステンのアクセサリーとかあるんだな」
「めちゃくちゃ硬くて傷つかないらしいから、普段からでも気にせず使ってもらえるやつだよ」
桜子が自慢げに胸を張り、遼太郎は摘まみ上げた指輪をまじまじと見た。
「ゲームでよくある、装備すると防御力上がる指輪みたいだ」
そう言うと、遼太郎は右手の人差し指を指輪に通したが、
「あれ? ちょっとキツいかな」
「薬指にしてみて」
「ああ、入った。そうか、お前、それで俺の手を測っていたのか」
遼太郎は得心顔で呟き、指輪を嵌めた手をすっと頭上へ掲げた。
「“遼太郎はタングステンの指輪を装備した”“守備力が5上がった”」
「“カッコ良さが10上がった”!」
遼太郎が笑うと、桜子も二ッと笑みを返してきた。
実際、指輪は遼太郎に長い指によく似合っていた。武骨にも思える幅広のリングに、ハワイアン風デザインがチャラ過ぎず、手の印象をよく引き締め、指を動かすと地金のシルバーがキラリと輝きを放つ。
「お兄ちゃん、本当に似合ってるよ」
子どもの頃に母さんのを着けてみたことを除けば、初めての指輪を矯めつ眇めつしていると、桜子がおずおずと言う。
「あの、お兄ちゃんって、普段アクセとかする人じゃないよね? やっぱり、いらなかった、指輪なんて……?」
心配そうな桜子に、
「いや……まあ、アクセなんて正直考えたこともなかったけど、これなら俺が着けてても変じゃない。いいよ、気に入った」
遼太郎がそう言って微笑むと、妹は心底ホッとした様子で、顔をリングよりも輝かせた。もらった奴よりくれた方が嬉しそうでどうする、と遼太郎は思う。
桜子は安堵と嬉しさで顔をほころばせていたが、ふと、
「お兄ちゃん、学校行く時以外はずっと着けててね……くらいの気持ちなんだけど、一回外してみて?」
「うん?」
遼太郎がリングを外すと、桜子は少しホッとした顔をした。
「タングステンって、丈夫な分、外れなくなったら大変らしいんだ。1号大きめのを買ったんだけど、普段は外してて、着ける時もキツかったら無理しないで」
「マジか。ちょっと怖えな、タングステン」
遼太郎は顔をしかめる。
指輪は第二関節で止まるものの、ちょっと緩めかと思ったが、なるほど、そういう理由があったのか。
遼太郎はリングを手のひらに乗せ、ぎゅっと握って桜子を見た。
「改めてありがとう、桜子。お兄ちゃん、大事にするよ」
「えへへ……気に入ってくらたら、桜子も嬉しいよ」
照れて笑う桜子を、遼太郎はやっぱり可愛いと思う。
「しかし、お礼にお礼をもらうとお兄ちゃんも困るな。これはお礼のお礼のお礼に何かしなくちゃ……」
そう言うと、桜子がブンブンと首を繰る。
「いいよ、そんなの。あたしがお兄ちゃんに何かしたかっただけだから……」
と……そこで桜子が浮かべたのは、遼太郎もそろそろ見慣れた表情だ。
桜子は両方の指を組んで、
「まあ? お兄ちゃんがどーしてもお礼がしたいって言うのなら……」
小悪魔スマイルで、すっと遼太郎に横顔を向けた。
「頬っぺにチューでいいですよー?」
「ふざけんな」
遼太郎がいつものように言って、桜子がいつものように笑う。が……
遼太郎は不意に椅子を立ち、桜子の髪をかき上げると、その頬にキスをした。
目をぱちくりした桜子に、遼太郎は少し勝ち誇って言う。
「フッ……甘く見るな、妹よ。兄がいつまでも昨日の兄だと思うなよ」
“頬っぺにチュー”は母さんの前でやらされ済みだし、映画の日に散々振り回されて鍛えられ、いい加減遼太郎にだってこれくらいはできる。
(さあ、桜子は、いつもみたいにキャーキャー騒ぐか、それとも意外と反撃に弱いから真っ赤になるか……)
そう思って反応を待つが……
桜子はしばらく目を見開いて固まっていたかと思うと、不意にくるっと振り返って、遼太郎の部屋から逃げ出し、バタンとドアを閉めた。
足音と、隣の部屋のドアが開いて閉まるのが聞こえ、遼太郎は、
(しまった、やらかしたか……)
結構ガチ目な妹の反応に、結構ガチ目に凹んだ。力が抜けて開いた手の上で、タングステンのリングが、ウインクするようにキラリ、光った。
**********
閉じたドアに背中を預けて、手を上げたものの自分の頬に触れることができず、桜子はいまだ見開いたままの目を宙にさまよわせていた。
それから桜子は、ずるずると背でドアを擦るようにしゃがみ込んだ。
(もおお……“女の子”モードの時に、不用意なことするなよお……)
桜子の感情が比較的フラットな普段の状態か、“妹”が強く出ている時であれば、おそらく“頬っぺにチュー”は遼太郎の予想通りの反応を引き出しただろう。
しかし、この数日遼太郎へのプレゼントに掛かりきりだった桜子は、自分でも気づかない内に、好きな人へのプレゼントを選ぶ“女の子”に大きくシフトが傾いていた。
結果、お兄ちゃんの悪戯なキスは、“大好きな男の子”から“中学生の女の子”の無防備な頬っぺたへの、不意打ちになった。
(嬉しい……けど、恥ずかしい……それにちょっと、怖かった……)
桜子をドキンとさせたそのキスは、お兄ちゃんから妹への悪戯なキス……
(嬉しい……けど、悔しい……なのにやっぱり、嬉しかった……)
何なんだよう、お兄ちゃんは。何なんだよう、“妹”は。
それでも桜子は、遼太郎から逃げ出してしまったことを思い、立てない膝で床を進んだ。
(ダメ……このままだと、お兄ちゃんが悲しい思いをする……)
初めてお兄ちゃんが、自分から桜子にキスをしてくれたのに。必死になって、ベッドに上がり、壁を叩く。ノックノック……ノックノック……
「桜子?」
壁越しに、幾らかくぐもって遠い、遼太郎の声がした。
「悪い、今のは調子に乗り過ぎた」
「ううん、違うの、お兄ちゃん。ビックリしただけで、あたし、全然イヤじゃなかったよ? でも、ちょっと恥ずかしくて……」
「本当? 桜子にイヤな思いさせたんなら……」
「そんなことないよ! そんなことないし、ちょっと嬉しかったし……」
桜子は壁に、手を当てた。遼太郎が反対側から同じことをしていて、壁越しにぴたりと手のひらを重ねていることを、二人は知らない。
お互いの姿が見えずに交わしていた言葉がやがて途絶えて、桜子はベッドの上で三角座りで壁にもたれている。隣の部屋では床に座った遼太郎が少し違う高さで、壁を透して桜子に背中合わせになっている。
**********
そんなこととは知らない桜子は、ちょっと落ち着くと、さっきの嬉しい気持ちが戻って来る。桜子は、ポケットに手を突っ込んだ。
(お兄ちゃん、喜んでくれてたな……)
自分の顔が緩んできていることも、桜子は知らない。
男の子だし、ついこの間まで服ひとつ気に掛けなかったお兄ちゃんだ。
「指輪なんか着けねえよ」
とは優しいから絶対言わないけど、本心ではそうだという可能性はあった。でも桜子はお兄ちゃんが指輪を気に入ってくれたのがわかったし、お兄ちゃんの手に思った通りすごく似合っていた。
(良かった。お兄ちゃんは、きっとあの指輪を着けてくれる……)
桜子がポケットから手を出すと、その指には、遼太郎に渡したのと同じデザインで、サイズの違う銀色の指輪が握られていた。
それは桜子の左の薬指に合うはずの、タングステンの指輪だった。
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