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俺はリストラされた。会社は上場で俺は大きなへまなんて今までで一度だってしたことなかったのに。昨日会社が慌ただしかった気がするが、俺には全く理由がわからない。家族が、妻と娘がいるのにどう話したらいいんだ。ははっ、朝に娘からもらった赤い花を胸ポケットに飾ってみたが、卒業生みたいだな。スーツも皴一つない。そりゃそうだ、仕事ができなかったんだから。ああ、帰れない。こんな昼間から家に帰ったら仕事を失ったとばれてしまう。心配させてしまう。どうしたらいいんだ。結婚指輪を眺めたり、胸の花に触れたり、公園のブランコで何時間も打ちひしがれて、なにしてんだよ、ほんとに……。
その時、会社の同僚の声がした。いや、元、か。確か社長の息子とその親友だったか。昼時だ。飯でも食いに行っているのだろう。
「それにしても、あれは傑作だったなー。本人気づいてないよな?」
「当たり前だろ。細心の注意を払ったんだからな」
なんのことだ。何を言っているんだ。
「自分がミスをしたことになっているだなんて、ほんと惨めだわ」
「親父にも、上層部にも手をまわしたからな。ま、もともとあいつには手の届かないところだったわけだ。これで俺らの出世が決まったも同然」
「一石二鳥とはまさにこのことですな」
なんだ、俺ははめられたのか。それは出世じゃなくて繰り上がりだろ。穴埋めだろ。給料上がらないだろ。俺の分があんな奴らに入るとでもいうのか。ああ、なんだよ。会社が丸ごと俺の敵だったのかよ。なんかどうでもよくなってきた。楽になりたい。無職の俺が家に帰っても居場所なんてないだろう。みんな敵だ。もうだめだ。もう何もかもどうでもいい。
「すみません、死にそうな顔してますけど、どうしましたか?」
晴天の、雲一つかかっていない青空のような透き通った声の女性が話しかける。
しかし今の俺にとってはサイレンのように否応にも耳に入ってきて煩わしかった。だから俺は顔を上げず返事もしなかった。
「あらーこれは重症ですね。ちゃんと拾わないと取り返しがつかなくなってしまいます」
変なことを言い出した。せっかくの美声が台無しだ。今気持ちが曇っている。もうすぐ嵐になりそうだ。一人にしてほしい。
「娘さんいらっしゃいますか?」
下を向いたまま、黙った。
「んー」
唸り始めた。
「えいっ」
そういうと胸ポケットの花がなくなっていた。
「おい、なにするんだ。返せよ」
「あ、やっと返事してくれましたー。でもこっちは見ないんですね」
「いいから」と右手を差し出す。
「えいっ」
また同じ掛け声だ。右手に置くだけでそんなのいらないだろ。と、視線の右端に花が落ちるのが見えた。態勢は下を向いたまま、地面に話しかけるように彼女に聞く。だから彼女のしぐさや表情は全く分からない。
「お前投げたのか。人のものを奪って投げて捨てたのか」
「はい、そうです」
「どういう了見だ」
「わかりません」
「どうしたらそんな行動に移れるんだ」
「さあー?でも気分は悪いです」
「だったらそんなことするなよ。早く拾ってきてくれ」
「嫌です。あなたが拾わなきゃ」
「意味が分からない」
「あなたにはあの花が何に見えますか?」
「何の話だ」
「大事な話です」
話が通じないようだ。仕方ないから答えるか。
「はあ……赤い花だよ」
「他には?」
「……植物」
「つまらない回答ですね」
「何が聞きたかったんだよ」
「あの花なんという花か知ってますか?」
「百合」
「違います。アジサイです」
「いやさすがにアジサイだったらわかるわ嘘をつくな」
「すみません、ほんとは何の花なのか知りません」
「じゃあ聞くなよ」
「もしかしたら知ってるかなと思って」
「他力本願だなおい」
「でもアジサイの花言葉なら知ってます」
「すっごい無理やりだな……なんなんだ?」
「家族団らんです」
俺は唇をかみしめた。何が言いたいんだこいつは。
「あなたにとってはあの赤い花はゴミですか?」
「そんなわけないだろ。ひどい言い方だな」
「ではその辺に咲いている花はゴミですか?」
「ゴミ以外の表現ないの?ゴミとまではいかないけど、どうでもいいかな」
「ではその辺の花は踏めますか?」
「踏んでしまっても、まあ少し悪いと思うくらいだな。自分から踏みに行ったりはしない」
「あの赤い花はでどうですか?」
「......」
無言で答えてしまった。
「それではなぜ拾いに行かないのですか?」
「気力がない」
「それは会社でリストラされたからですか?」
いきなり話が変わるな。
「なんでリストラされたと思うんだよ」
「この真昼間から公園で悲壮感にあふれる中年男性がいたら他にありませんからね」
「偏見だな。昼飯を食いに来たかもしれないじゃないか。因みに娘だとわかったのは?」
「胸に花ついてたじゃないですか」
「息子の可能性もあるだろ」
「花をくれるのは女の子です」
「偏見だな」
質問をする前に少女から言い出した。
「ちなみに婚約者だとわかったのは……」
「指輪だろ」
「偏見ですね」
「じゃあなんなんだよ」
「仕返しです」
しばしの沈黙、といっても1分もなかった。
「幸せって何だと思いますか?」
「さっきから急だな」
「いいから答えてください」
「普通に会社にいけることなんじゃないか」
「いまのあなたにはそうかもしれませんね」
「さっきから回りくどいな。何が言いたいんだ」
「いまのあなたの特技はゴミ拾いです」
「ひでえ。職を失ったから他にやることないとかいうのか」
「違いますよ。あなたはゴミばかり拾っています。拾うべきは落とし物です」
「落とし物?」
「はい。落とし物です」
「なんだそれは?消しゴムか?」
「自分で考えてください」
ゴミってなんだよ。落とし物ってなんだよ。学生時代に職員室の前にあった落とし物ボックスの中身か?ほとんど変えの利くゴミだと思うが。んー、だめだ。
「わからん」
「あなたは家族に愛されています」
「また急だな。どうだかな。仕事を失って稼ぎのない俺にはもう愛なんてないだろう」
「ほらまたゴミを拾ってます」
「だからなんなんだよ」
「マイナス方面ばかりに思考が偏っています。それはゴミです。拾わないでください。拾っても捨ててください」
「あーもうなんなんだよ。俺が家族に愛されているかどうかなんて今日初めて会ったお前がわかるわけないだろ」
「わかりますよ。あなたのスーツは皴一つありませんね。」
「それは今日仕事をしてないからで」
「違います。奥さんが仕事を頑張っているあなたを支えようと頑張っている証拠です。そんなにきれいにスーツの手入れをするのは容易ではありません」
「まあ……」
「それにあの赤い花。ゼラニウムという花です。きっと奥さんと娘さんで選んだんでしょう」
「いや名前知ってたのかよ」
「はい。そしてその花言葉は『君ありて幸福』です」
なんだか目のあたりがむずむずしてきた。
「急に名探偵だな」
どうにかいつも通りの声が出たか。
「はい。名探偵美声少女と呼んでくださって結構ですよ」
「そんなに若かったのか。それでも名乗らないのな」
「少女です」
年齢を気にしたのか名を言いたくなかったのか。
「理由はなんであれ会社をクビになったことはお辛いでしょう。さらにその背景に悪意が含まれていたら、断腸の思いになって当然。しかし、それは生きることを放棄していい理由にはなりません。愛する家族がいるなら尚更」
「俺は家族を愛してるのかな」と霞んだ声で。
「愛していますよ。あんなに大事そうに指輪と花を見つめて。会社をクビになっても心配したことは、家族を心配させないようにすることだったんじゃないですか?」
今日は荒れそうだ。
「そんなあなたは今、会社を辞めさせられ、同僚の悪逆非道ぶりを知り、自暴自棄になった末に、ゴミばかり拾って、そこで落とし物には目が行っていない」
「その落とし物があの花なんだな」
嵐が来たからか、顔が大洪水だよ
「それもそうですが、ちょっと違います。あれは私が奪い、投げ捨てたので」
「そうだったな」
そう言って自称少女は赤い花を拾ってきた。
「落とし物とは誰かがうっかり、気が付かずに大切な物や想いを見失ってしまったものです。だから今のあなたにとっては、きっとこの赤い花も落とし物です」
「そう……だな」
聞き取れないくらい掠れていた。
「あなたに対する、あなたが家族に対する落とし物をしっかりと見つけ出して、拾ってあげてくださいね」
その声色と同様に、俺の気持ちは雲一つない晴天となる。
赤い花を俺の胸ポケットに戻して、女性はどこかへと消え、残ったのはもう一度聞きたいと思えるような彼女の美声だけだった。
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