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51.佑一郎
「準備はいい?そろそろだよ」
「あ、はいっ」
新しく出来たコンサートホール。
佑一郎は着慣れないドレスタキシードに身を包んでいた。襟と袖に薔薇の織柄の入ったベルベット地のジャケットは、いささか気恥ずかしかった。
化粧前で開いていたタブレットの画面を、先輩の杜若瞬がちらりとのぞき込む。
「またそれ、見てるの?」
「・・・いいじゃないすか、何度見たって」
「はいはい、いいけどさ、ちゃんと準備してよ」
「わかってます、大丈夫です」
瞬はにんまり笑って、控え室を出ていった。
日彦が貝瀬綴と再会し、本当の意味で二人が心から繋がった夜。
佑一郎の弾くピアノを聞いた日彦は、独り言のようにこう言った。
(もう一度、書こうかな)
そもそものはじまり。
ここまで二人を運んでくれた「メロウ」。それを最後に作家をやめた日彦。
筆を捨てた彼がもう一度、書きたいと感じている。生きる力を取り戻したように、日彦の表情は輝いていた。佑一郎はその姿を眩しく感じた。
翌朝、日彦は一日延ばしにした便で、台湾へ戻っていった。
佑一郎は同じ日、会社に辞職届けを提出した。
久しぶりに顔を出したバーで演奏を終えた佑一郎は、瞬に会社を辞めたことを告げた。すると彼は嬉々としてこう言った。
(そうなの?じゃあ、俺と一緒に面白いこと、やらないか?)
そのころ瞬はバー経営だけでなく、いろいろな企画を考えていたところだった。それは以前のコラボイベントを大きくしたようなもので、仕事を辞めた佑一郎はそれらに精力的に参加するようになった。
「Yuu」としての動画投稿サイトも、毎日のように撮影をしては頻繁にアップするようになった。
台湾にいる日彦とは、電話だけで繋がっていた。
本当は会いたいと思った。
しかしある約束を交わした佑一郎と日彦は、決して会おうとはしなかった。
約束が果たされる時、必ず一緒になれると互いに信じていた。
タブレットの画面を操作して、佑一郎は何度も見返した映像を再生する。
それは、つい3日前のある報道番組の一場面だった。
10年以上新刊を出していなかった作家「立水ハル」が、本名の「立水日彦」の名前で本を出した、というニュース。
いち作家の新刊が、なぜこのように大々的に取り上げられたのか。
それは「立水日彦」が、若い頃に受けた性的虐待をもとにした自叙伝的小説の出版だったからであった。
新刊には、名前こそ伏せられているが、仁井田岳のゴーストライター疑惑の真相、「メロウ」出版に携わった元編集者、貝瀬綴への思い、その兄で唯一の理解者である貝瀬庵への感謝まで、日彦の空白の10年が事細かに描かれていた。
その報道番組には、10年以上メディアに姿を現さなかった作家「立水日彦」本人が映っていた。
空港で別れた日彦は青白く頼りなげであったが、画面に映る姿は別人のように自信に溢れ、何よりも美しかった。
インタビュアーの下品な質問にも顔色を変えることなく、淡々と答える。
印象的なのは仁井田のことを聞かれた時だった。
(亡くなられた仁井田岳さんについては、どう思われますか。恨んでいるとか、そういったお気持ちは?)
カメラに大写しになった日彦の表情は穏やかだった。明らかに、恨み辛みを吐き出させようとするテレビ側の質問に、日彦はこう答えた。
(仁井田先生は師匠であり、私の人生においてとても大切な存在です。世間の皆様にどう思われようとも、書くということを教えてくださったのは仁井田先生です。ただ)
日彦は言葉を切った。向かい合うインタビュアーが息を呑む。
(私が仁井田先生に教わったのは「書く」ことのみです。今ここ私があるのは、大切なものを命がけで守ることや、理不尽なことに立ち向かうことを教えてくれた、大事な人々のおかげです。その感謝を伝えたくて、この本を書きました)
日彦は強くなっていた。
約束したとおり、いやそれ以上かもしれない。
空港で別れる直前の日彦は、佑一郎に笑顔で言ったのだ。
(これまでのことを全部、書こうと思う)
(え・・・っ)
(僕のここまでの人生を書き起こすことが出来たら、本当の意味で乗り越えられると思うから)
(でも・・・それは辛いことを思い出す作業になるんじゃ・・・)
(大丈夫・・・僕には、佑がいるから)
日彦は、執筆する場所に台湾を選んだ。
必ず出版までこぎつける、と日彦は佑一郎に約束した。
佑一郎はそれまで待つと決めたのだ。
待ちながら、佑一郎自身も大きな夢のための行動を起こした。
2年間、がむしゃらに努力した。
佑一郎はタブレットを閉じた。
壁に掛かっている丸い時計は、18:20を指している。
ピアニスト「Yuu」の初となるホールコンサートが、あと10分で開演する。
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