カタバミの愛し方(※)

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少し声が戻ってきた。 今は追求するタイミングじゃないと思ったのか、木田さんからも深くは聞かれず、出来るだけ今までと変わらないようにしたいと伝えると渋々納得してくれた。 周りには風邪を引いて声も酷いのだと、少し戻った声と身ぶりで説明できた。 突然取り乱すような事はなく、なんとか終業時間が見えてきた時だった。 「片深さーん、ちょっと確認して欲しいものがあるだけどー」 手をあげて呼ばれた会議室に入り、まずは風邪の説明。 「辛そうだ。お大事にね。ところでこれ見てよ!最高だから風邪も吹き飛んでいくかも!」 テーブルを、丸められていた固めの紙が2枚、くるくる滑って広がる。 心臓が煩い。 そこにいたのはあの日の3人。 去年撮影した商店街のポスター。 1枚は、スーパーの前の坂道。『戦隊ものっぽい』と言って縦に並びポーズを決めた写真。 2枚目。 いつ撮られてたんだろう?場所は同じ。でも。 『両手に那古』状態で、颯も葵も体を真ん中の私の方に傾け…楽しくて愛しげで幸せそうに笑いかけていて。 そんな2人の視線を受けて、私も楽しそうで。こんな顔してたんだ。 いいなぁ。 そこに、戻りたいなぁ。 「こっちのはさ、3人があまりにも楽しそうだったからってカメラマンが勝手に撮ってたんだけど、いい写真だから採用になりそうだよ。大丈夫かな?」 3人じゃなかったら出来なかった、雰囲気。 3人だからこそ出来た、笑顔。 「大丈夫、です。ほんと…いい写真ですね…」 残酷だ。 もう、こんな3人には決して戻れないのに。 こんな最高な写真が、残るなんて。 なんとか堪え、会議室を後にする。 いけない。息が… 『今まで通り』の生活がしたい。こんな今まで通りじゃない体で滅茶苦茶な希望だとは分かっている。 でもそうじゃないと『今まで通りではない事』が起こってしまったのをもっと痛感してしまう。私が、変わってしまったことを認めるようで。 体は壁づたいに自然と人気の無い方へ向かう。いくらか進めた所で、しゃがみこむ…というよりは崩れ落ちた。 「はっ…う…」 喉から音がする。震えが止まらない。吸い方。匂い。教えてくれた人はもちろんここにはいない。今日だって必死に止めてくれていたのに、最後には我が儘を許してくれた人。 息を吐けているのか吸えているのかわけがわからず、どんどん酸素が足りなくなってまた呼吸の回数が増えていく…! 「茅香(ちか)」 突然、抱き上げられた。 前触れに気付けなかったそれに、異常に反応して暴れた。 「おーおー、暴れんな。落ちるぞ。落とさねぇけど」 いつものように『茅香じゃない』と返したかったけど、苦しい呼吸音が続いただけだった。 「苦しいな。とりあえず俺の所に運ぶから安心しとけ」 私の様子に一切慌てることもなく、彼だけが普段通りだった。 この人はいつもそうだ。何もかも分かって、受け入れてくれるような逞しさ。そこに甘えたくなる自分の弱さが辛いけど、今は従うしかなかった。 「ゆ、いち、ろ…」 呼吸が苦しいからなのか震えが止まらないからなのか、私の意識はそこで落ちる。 「こんな時に名前で呼ぶのかよ」 拷問だ、と舌打ちの後の強い声は苛立っていた。
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