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境界線の先
『近々お話、よろしいですね?』
近々ではなく当日だった。
仕事が終わってすぐ、彼女の職場の出入り口付近で待っていると間もなく出てきたのは…怒りが遠くからでも見て分かる執事。
「着いて来い」
また何度も脳内で俺を殺しながら、こっちの返事も動きも待たず社内へと踵を返しどんどん進んでいく。置いていかれないようにすぐ続いた。
建物の奥の奥へ。
綺麗なオフィスのイメージが強いモデル事務所だった。働いている人の動きが歩きながら簡単に確認できる。いくつか通りすぎた会議室はガラスばり。見目整った人達が打ち合わせをするテーブルや事務机が並び、広いわけではないが会社特有の静かな喧騒がやまない。木田さんに続き進んでいると、見知らぬ俺に寄越される視線はもちろん多かった。
喧騒が遠くなり周りには人のいない空気が漂い始めてすぐ、正面。壁に合わせられた白い扉の前で止まると3度ノック。ここまで会話は一切ない。
会社のこんなに奥にある部屋って…まさか
「社長」
「はいよー」
肩書きに釣り合っていない返事の仕方を待って、木田さんに入室を促された。
小さい部屋だ。
低いテーブルを挟んでソファふたつ。
社長室に相応しい大きめのデスクが奥、後は壁沿いに本棚や収納棚が並ぶ。
声の主は自分と同い年くらいの男性だった。皮貼りのソファに両手を広げ足を組み、横柄にも見える態度で座っている。
どうしてだか目の前の存在がぼんやり光っているような気がして、惹き付けられてしょうがない。動物が生まれて間もなく群れのリーダーを認識できるように、この人も絶対的な先導者だと見ただけで分かった。血がそう感じる。
自分に視線を寄越す人の気持ちが初めて分かった。惹き付けられて、離れない。おそらくこの人も普通にしていても目立つ人だ。
一般的な髪色とはズレた明るさの半分掻き上げられた髪。ブリーチ系の数色で染まる全体は、ほんの少し角度が変わるだけで表情が変わる。
ホストだ。でかい店のナンバーワンホスト。
そんな肩書きがしっくりくる人だ。
服装もそれに近く、会社員とは違う種類の濃い色のスーツ。衿が高めのシャツに合わせたベスト。
木田さんや俺からすると、逞しい筋肉が服に覆われていても分かりやすい。がたいがいい、とまではいかないのに絶対に喧嘩を売りたくない一切隙の無い体つき。オーラ。視線。
捲られた袖から伸びる腕も逞しく…男が、ついていきたくなる男の雰囲気。
同い年ぐらいなのに一体どういう人生を歩めばここまでになれるのか、知りたくなる。
「片深悠一郎」
響く、年齢にしては低めの声。入室したそのままで、存在に釘付けになっていた意識が戻ってくる。
タイミング的に家族が出てくる予感はあった。お兄さんが社長か。
「露利紅大です」
「露利…って、ちょっと離れた所にあるデカい家もそんな苗字じゃなかったか?」
「実家です。次男です」
家の事を知っている人から次に来る質問は大体『長男かどうか』なので先に伝えておいたら、少し目が細まった。
「またすごい男捕まえやがったなぁ、茅香は」
「茅香?」
「まあ座れ。色男」
顎で向かいに座るよう指示がくる。
前の自分なら『色男』と呼ばれた時点で何も聞き入れたくなくなっていただろう。今はもう、そんな風になることはない。
「一応の確認だ。モデルの仕事に興味は?」
「ありません」
あと何回このやりとりを経験するんだろう。
「露利さん。私の方から少し説明よろしいでしょうか」
座る悠一郎さんの後ろに控えていた木田さんは姿勢正しく…嫌悪感は隠れていない。
「お願いします」
「こちらは社長の片深悠一郎さんです。多香子さんの父親で、こう見えて41歳です。昔暴走族の総長でした。『茅香』さんとは片深茅香子さん。多香子さんの母親です、他界されていますが。悠一郎さんは多香子さんのことを普段から『茅香』と呼ぶ痛い父親です。ご容赦ください」
「痛かろうがなんだろうが父子の挨拶みたいなもんだ。外野にどう言われようと関係ねぇよ」
お兄さんじゃなくて、元ヤンのお父さんだった。総長という昔の肩書きはぴったりすぎて納得できる。
…は?父親?
父親?!!
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