もうひとつの境界線の先

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仕事以外の時間は全て、彼女の様子を側で見れていられた期間があった事が、余計に離れた寂しさを膨らませていた。 実家の部屋で電気を消す瞬間。こんな風に、ふっと自分の人生の全てを諦めたりしていないだろうかと心配になる。 訪ねる時間がバラバラだと落ち着かないだろうから、眠る前の時間帯に会いに行くと伝えていた。家に着きリビングにいる悠一郎さんに挨拶をした後、寝室に会いに行く。 初日には『エロい事するんだったらちっせぇ声で頼むな』と言われ、思わず『するか馬鹿!』と返しそうになった。本当、あの人普通じゃない。 白が基調のシンプルな部屋。角のベッドに座って待っていてくれる事が多かった。俺の服を着て眠る姿しか知らなかったから、初めて見るパジャマ姿。 これはこれで、なかなか。 上下揃いの物にモコモコとした上着。一緒に暮らし始めたらどっちを着てもらおうか、日替わりか、なんて想像するくらいには可愛かった。 「『露利先生、お疲れさま』。体大丈夫?」 上着を脱いで一声かけてから、距離を開けて同じくベッドに腰かけると心配げに眉根が寄った。 「大丈夫。毎日の楽しみがあるから」 部屋の隅には荷物を詰める為の段ボール。まだ畳まれたままだけれどじんわりと、本当に同棲できる実感が沸く。 「来年から料理教えて。上達したい」 「分かった。じゃあまず…『ハンバーグ』」 「焼きも煮込もお願いします」 「『でもまだエプロンが決まってないから』」 「『そうだ、大事な事忘れてた』」 同棲を申し込んでから、表情が伴わないものの会話が出来る事は増えたけれど…視線も合わず、彼女の中身だけ時間を巻き戻してしまったのかと思うように、過去の台詞を会話の端々に見つける。きっと一瞬、ひとりだけ、あんな事が起こる前に帰ってしまっている。 「お揃いのにしようか。俺の、買っておくよ」 「一緒に、買いに行ってみても…いい?」 聞き間違いかと思った。自分から仕事以外で外に出たいなんて、ずっと言わなかったのに。 あくまで当然の事のように話を続ける。 「もちろん。じゃあ年が明けて初めてのデートはエプロンを買いに行く事にしよう。マグカップも。揃えた方がいい物が他にないかも考えておいて」 「うん」 また楽しみが増えた。
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