もうひとつの境界線の先

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「悠一郎さん。眠ったのでそろそろ帰ります」 「おー、気ぃつけてな…って、お前その格好で戻るのか?冬場のバイクは地獄だろうが」 ソファにまた横柄に座りテレビを見ていた彼は信じられない顔で、薄着のまま帰ろうとしている俺を上から下まで見てきた。車より少しでも早いバイクで通っている。 「俺が彼女にしてあげられる事は…少し触れてあげる事と、短い言葉をかけてあげる事。あと…上着を貸してあげる事。それぐらいです」 付き合う前から、そうだった。 恋人ならもっといろいろしてやれるのにと思っていた、バイクに初めて乗せたあの日。付き合えても…あの時としてあげられる事は、変わらなかった。 もしも。 付き合っていなかったら? あの時言いかけた彼女の言葉を、最後まで聞いてあげていたら? クソ餓鬼と関係が良好だったら? 彼女はあんな事にはならなかったんじゃないか、なんて飽きるほど、飽きても尚考える。 それでも未来を見るべきだ。『そんなくだらない理由で落ち込んでる』場合じゃない。 「それでいい。茅香もお前が来るのを楽しみに頑張ってるよ」 乱暴に、だけど優しい表情で自分の上着を貸してくれた悠一郎さん。 やっぱり任せて良かった。 彼女はもちろん、俺にとっても。 たまに木田さんも家にいた。 嫌悪感は相変わらず隠していないものの、悠一郎さんに止められている事と執事の皮を被り直す事で、なんとか耐えている様だった。 「去年も同じように会い来てあげれば良かったのではないですか?」 夜中、彼女の部屋の電気が消える事はない。そっと扉を開け、俺の上着に顔を埋めるように眠る姿を優しく伺いながら声色は荒い。 「本当にそうですね。そうしてあげればよかったです。彼女に甘えていました。でも、これからは違います」 毎日、着てきた物と交換する上着ひとつ、残して行くんじゃなくて。もっとたくさんの物をこれからは捧げていきたいから。だから今は。 「ふたりの将来を見据えての、判断ですから」 家を出る時、本当にこの選択で良かったのか自問自答し…俺がぶれてどうする、と叱咤激励するのもまた自分。弱っているのを、悟られるわけにはいかないのだ。
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