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会いたい
実家暮らしも無事に終え、慌ただしさもようやく落ち着いてきた。
段ボールに詰めていた彼女の荷物といえば、並べられていた大切な物と服くらいで、荷造りは簡単に終わっていた。
住んでいたのは悠一郎さんが持ってるマンションだったらしく『出戻りしてもいいように部屋はそのまま置いとくからな、持ってくのはひとまずこれだけだそうだ』と、まだ眠っていた彼女と迎えにきた俺を残してすぐに帰っていった。
荷ほどきするも、元々物が少ない家だから簡単に終わってしまう。
改めて一緒に住める事になりなんとも言えない照れ臭さがあったけれど、離れるまでに過ごしていたような生活がすぐに繰り返され始める。
一緒に買い物にも行けたけれど、腕に必死にしがみつかれ視線はほとんど床。最初は近場のスーパーに買い物をする時もそうだった。すれ違ったり、後ろから追い抜かしていく男性を…何かをされたわけでもないのに怖がる。
日にちを重ねれば、どういう時に怖がるか傾向が分かってくる。分かればそれを重点的に避けていけばいい。腕にしがみついていた手が段々俺の手の中に納まるようになり、視線は普段と変わらない高さになった。
それでも。
まだまだ…時計の進みはゆっくりだった。
決して明るいとは言い切れない新生活の中、悠一郎さんとの週2回以上の会話は想像以上に自分の支えになった。くだらない内容の時もあれば、世間話やお互いの事…本当に友人と話しているような錯覚を起こさせる時間だった。
印象的だったのはやはり、茅香子さんのことを話している時の様子だろうか。
「茅香に会いてぇ」
社長室に入るとソファに座る明るい髪のてっぺんが見えた。訪ねる時、わざとそうしてくれているのか木田さんはいつも室内にはいなかった。
話がややこしくなる時以外は、茅香子さんも多香子もどっちも『茅香』と呼んでいる。今の『茅香』は茅香子さんの事だろう。
「話がしたい」
ため息。
「笑顔が見たい」
またため息。
「抱きしめたい」
本当にすごく、愛していたんだろうな。
「そうだ!茅香、今度風呂一緒に入ってくんねぇかな?」
もちろん今の『茅香』は多香子だろう。
…何が『そうだ!』だ。しんみり聞いていた俺の気持ちを返して欲しい。それを彼氏に聞いちゃ駄目だろ、ご遠慮願う。
この人本当に娘に手、出せる気がしてきた。
「しばらくは難しいと思いますけど」
「だよなぁ」
再び項垂れてしまった。
しばらくしても入ってくれるとは思いませんけどね、俺も一緒に入れたのは1度だけですから。
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