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そういう事なら会議室使えと、悠一郎さんが提案してくれたのでありがたく使わせてもらった。
多香子と、颯と…周りから見れば部外者の目立つ男が入ったガラス張りの会議室は明らかに好奇の視線を寄越されるから、ブラインドを降ろしてもらった。
「久しぶりだね、元気だった?」
さすが。メッセージでは多少不安そうにしていたのに、至って普通を装えていた。
会えてなかった間に伸びた髪を小動物のしっぽ程にまとめているから、飄々がさらに飄々として似合っている。一応、誉めているつもりだ。
「うん。颯は?」
彼女も少し笑えている。
椅子もテーブルも端に寄せられていたから、部屋の真ん中辺りで話し始めるサイズが同じぐらいのふたり。それを壁にもたれながら見守る俺。既に妬けている。
「僕も変わらないよ。一緒に住み始めたんでしょ?いいなぁ僕も紅大んち住んじゃおうかな」
「ベランダか玄関の前だな。駐車場でもいい」
「歓迎はしてくれないみたいだ」
こんな直接のやりとりも、半年ぶり。
俺もほっとした。
彼女は不思議そうな顔をしていたけど、すぐに使命を思い出したように颯の両肩を掴んで揺さぶった。普段ならそんな事で体がぶれない颯も、予想外すぎたのか体と開かれた目が揺れる。
「酔わなくても積極的になっちゃったの?!」
「颯!葵は今どうしてるの?!」
男2人、固まった。
まさかその名前が出てくるとはどちらも思っていなかった。すぐに『この話題大丈夫?』という確認のタレた視線。大丈夫なんじゃないか、と視線を返す。
正直大丈夫かどうかなんて分からなかったし、奴の名前も、関係する話も、耳に入れて欲しくないけれどしょうがない。
「実家に帰ってるんだ。毎日顔を合わせに行ってるよ」
「どんな様子?」
「ずっとぼんやり。引きこもりに近いかな、家族と交流はあるけどね。両親はその…知らないけど静かに見守ってくれてるよ。仕事は休業中。悠一郎さんに呼び出された時は殺されるかと思ったけど、何も言わなくてもそうしてくれててさ。惚れちゃいそうだよ」
「あの人はお母さん一筋だけど、頑張ってね」
「いや惚れちゃいそうって、そうなんだけどそうじゃないよ?」
「颯は大丈夫?」
飄々が見るからに翳る。
「僕が兄じゃなかったら良かったんじゃないかとか…せめて『那古』なんて珍しい苗字じゃなかったら、ぐらいは悩んじゃったかな」
「颯!」
「え?!わーっ!」
ぱちん。
軽い音がすると、彼女が颯の両頬を挟み上げるように触れていた。
「葵は颯がお兄ちゃんな事、きっと感謝してるよ。あと那古は捨てたら駄目、那古でなくちゃ駄目。そう生まれてきたからこそ…」
それは『露利を捨てようかと思った』と言葉にした時、自分ももらった大切な言葉。ひとり占めではなくなってしまうけれど、颯も関わる内容だからまあいいか。
「紅大と、前後の席になれたんだから。別の苗字じゃ離れちゃって仲良くなれなかったかもしれない」
50音順だった席。露利と那古の間に、別な苗字が入ってこなかった事は本当に…幸運だった。
弱い力で真ん中に寄らされていた颯の唇が震えを我慢してか蠢いている。しばらくして聞こえたのは泣きそうな声だったが、なんとか持ち直したようだ。
「やっぱりキミはいいね」
「ありがとう」
「こちらこそ………弟も気にかけてくれて、ありがとう」
あんな事をしたのに、という言葉を飲み込んだと思う。今までにはまだ遠いけど、彼女の小さい笑顔を見れて颯も安心したようだった。
彼女の口が小さく動いたのが見えただけで何と言ったのか聞こえなかったけど、颯が『それは無理でしょ。諦めなさい』と諭していた。
「すごく残念だけどさ、そろそろこの手を離してくれた方がいいと思うんだ。さっきから痛いんだよね」
「あ、ごめんね?」
「痛いのは小さな手の力じゃなくて、中身がちっちゃい男の視線の方」
許せ。久々に会っておいてこんなにすぐ普通にやりとり出来るなんて、妬くだろ。
「これからは避けないでね」
「もちろん。今まで会ってなかった分を取り戻すくらい絡みに行くよ」
図らずも『3人の秘密』の幸せを手にし更に調子が戻ったタレ目が、僕ベランダなら余裕で住めるよと意地悪げに笑ってきた。
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