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「あの人は本当に…」
予想出来ていたのかため息と共に離れていった体は、ひとつも慌てる様子を見せていなかった。
再び大きな音が響く。
台風が室内に入ってきたかように荒らされていく喧しさに加え、殴打音が何度も続いた。
一体何が起こっているのか。取り残されしばらく伏せたまま様子を伺ってみるも、明らかに痛ましい音は止まない。
ベッドから降り、足音を忍ばせリビングに続く廊下を恐る恐る進んで聞こえてきたのは普段通りの低さの、普段とは違う迫力のある声。
「クソ餓鬼。あ゛?何とか言えこら」
喧しさ通り、元の配置を思い出せないほど荒れた部屋には、髪を掴まれ何度も床に叩きつけられ弱っている木田さんと、吊った目をさらに吊りあげながらやんちゃ時代を憑依させた父だった。
玄関の扉は申し訳なさそうに腰を曲げ、ノブは破壊されている。…最初のは蹴破った音か。
与えられる力も傷も流れる血もされるがままに受け入れている彼を、扉のプライドをズタズタに蹴り倒した張本人が容赦なくひたすらに痛めつける。
「お、お父さん?!やりすぎ!止まって!!」
「あ゛?!…おお、なんだ茅香。誘ってんのか」
慌てて側に駆けると一気に元に戻った目。この人何言ってるのと思ってすぐ、自分の体を覆う布地の少なさを思い出し絶叫をお供にしゃがみこんだ。
「さ、誘うわけないでしょ!」
「なんだ、色男にもねぇのか?」
「色男?!紅大の事?!そんな事するわけ…」
ない、と言いかけたけど。
待てよ。誘った事…あったな。
いろいろ思い出して一気に顔が赤くなる。
「いいなぁー。色男いいなぁー」
「娘の恋人を羨ましがるな!早く服探して!時計も!あと茅香じゃない!それと木田さんにそれ以上はやめて!」
「なんか知らねぇが調子戻ってんなぁ」
早く!と再度せかし、寝室に慌てて戻った。
「おい、服が欲しいってよ。脱がして軟禁とかお前ほんと気持ち悪ぃなぁ」
「茅香子さんの、真似です」
「台所のか」
「そうです」
「前回は茅香子がした事だからよしとする。今回は結果戻れたからいいけどな、父親としてそのやり方は…賛同しかねる」
痛い音は更に数度響いた後、ようやく止む。
「ここでいいのか?」
車で送ってもらったのは、すぐに行きたかった場所が正面に見える…駅前。
「うん、ここからまっすぐ…ひとりで、行ってみる!」
「着くまで見といてやるよ。色男によろしく」
「その呼び方やめてくれない?」
一歩。ひとりで降り立つ煉瓦の道。何度も何度も通ってきた図書館へ、彼に続く道。
「お父さん、ありがと!彼がいてくれたらもう大丈夫だから!」
晴れた気持ちに背中を押される様に駆け出した。
すれ違う人。追い越していく人。もちろん男性も背の高い人もいた。少し動悸はしたけれどもう大丈夫だ。
いつかの、名前を初めて呼ばれた場所を過ぎる。
『ずっと私に、集中していてほしい』
至近距離で描いた願いは、奇しくもぼんやりと過ごした期間ずっと叶ってしまった。けれどこれからはちゃんとそう感じた時の、いや、その時よりも彼への愛しさが増した自分で集中させたい。ずっと!
すごく幸せな事も、それまで感じた事ない悲しい事も起こるけど。その手に触れる彼が、ずっとずっと側に居てくれるからね!頑張って!
無事に図書館の目の前まで辿り着き振り返ると、遠くなった車に向かって大きく手を振った。
何の宣言もなくていいから抱き締めてもらおう。
『嫌じゃないなら…俺の仕事が終わる頃、車の前で待ってて』
嫌なわけないじゃない。
そうして、車と車の間。
前は恥ずかしくて伏せていた顔。
今は近づいてくる足音を聞き逃すまいと耳を澄ませながら、わくわくした気持ちで彼を待つ。
薄暗かった空が真っ黒に変わり、澄ませていたはずの耳を塞ぐ事になるまで…あと少し。
ただいま!
ずっと待っていてくれて、ありがとう!
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