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今も住む、彼の自宅のソファに座っていた女性を初めて見た時の映像が忘れられない。まるで最初から部屋にいたのにこちらが気づけていなかっただけのような…空気に突然色がついたような人だった。
「こいつと結婚する。今日からここに住むから」
「はあ、そうですか」
生意気な話し方は直っていたけれどまだ中学生。ただ学校にいるよりは悠一郎さんと一緒にいる時間の方が遥かに長く、家にもよくお邪魔していた。暴走をしなくなっても、彼についていきたかったのだ。
いつの間に女性とそういう関係になっていたのだろう。既にチームから離れていたが、あの中にいた人ではなかった。
「たまに足が動きづらくなる。気をつけてやって。茅香子、この餓鬼は木田陽紫。俺の後ろに乗ってた奴」
「ああ、あなたがそうなの」
落ち着いた様子の、彼よりさらに年上の女性。半袖から覗く病的程白い肌は、長期間居座った色の痣が多い。ロングスカートからちらりと覗いていた足首も同じく。生意気にも、悠一郎さんの好みとしては意外だなと感じた丸っこい口元と目の周りには、比較的新しい色の痣。
どの痣も本人に隠そうという気が感じられない。もしかしたら生まれつきそういう皮膚なのかもしれないと錯覚を起こしそうな程、それらがある方が自然に見えたのだ。
普通もっと見えないように半袖なんか着ないだろうし、顔は化粧で誤魔化すはずだ。
化粧っ気もなく、多数の痣をものともせず勲章のように見せつける姿勢が…見た目の可愛らしさと反して格好良く、彼女はただ守られるだけの女性ではないように映る。
それまで見てきた彼を慕う数多い女性は、もっと気が強そうな人ばかりだった。悠一郎さんの好みは勝手にそういう女なのだろうと決めつけていたけれど…実際は違ったのか。
「…痣、どうしたんですか」
若さ故、というやつだ。明らかに異常で、初対面では静かに見過ごすべきその様子に触れてしまうとは。
「旦那に。ごめん、違った。元旦那に」
「バツイチですか」
「なりたてほやほや。20代前半の結婚の罰」
普通なら触れられたくない質問にでも、自己紹介のような気軽さで答えてくれた茅香子さん。声まで落ち着いたその人は、既に母親のように全てを受け入れてくれそうな雰囲気を身に付けていた。誰も何も拒まない『空気』なのだから、それも当然か。
教えてくれた最初の結婚年齢と同じ歳に、自分も1度目の短い婚姻をする事になるとはその時は考えもしなかった。
腹が立った、憧れの細身のバイク。あんなに輝いていたのは、チームの奴らが偶像崇拝するように勝手に磨いていただけだった。
目の前には、暴走の現役を退き、あの時より使用感の出たバイク。もちろんメットだってあるし、走れば交通遵守。
「足。いけるか?」
「乗せてもらえれば大丈夫よ」
荷物を一切持っていなかった彼女の服と必要な物を買ってくると言い、いとも簡単に抱えあげて彼女を座らせる。メットまで被せてあげる彼の動作は見た目に反して頗る優しい。自分と初対面の時にもそれぐらいの配慮を見せてもらいたかったものだ。
長袖の上着も羽織らせてあげていた。彼のサイズでは大きいが、痣に対する視線避けだろう。顔のは隠しようがない。
「また抱きついていてもいい?」
「自由になったんだ。抱きつくのも…抱き締め返すのも、したいようにしていい」
車体を揺らさぬようそっと座った彼の手が、腰に腕を回させる。
間に空気すら無いかのような体勢から、目を閉じ、更に擦り寄った彼女はとても幸せそうだった。運転手も見たことのない穏やかな顔だった。
「それじゃな」
柔らかい風で膨らむ茅香子さんが羽織る彼の上着。あの日見た推し上げられるものとは違う、優しい膨らみだった。
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