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1度目の裏切り。
たくさんの花と共に燃える運命が目前に迫った彼女の姿を、ひとりで眺めている時だった。
「簡単に死ぬ女性じゃないと思ってましたよ」
家にどれだけ入り浸っても嫌な顔ひとつせず、家族のように接してくれた茅香子さん。自分の気持ちに気づきながらも静かに見守っていてくれた。
箱の中、見るからに冷えた青白い顔を覗き込む。
もう開くことのない瞼。
その奥に確かにある、丸っこい目を見つめながら唇の端にキスをした。
『3倍も長く存在を感じられるのよ?』
そんな言葉を思い出しながら心の中で数えた3秒間。やはりずっと、冷たかった。
そうして茅香子さんは空気に返っていった。
彼女が亡くなった事故。簡単に言ってしまえばひとりでこけて勝手に頭を打って打ち所が悪くて他界したものだった。
ただ、昔痛めつけられた事で突然動きづらくなる足。良くないタイミングで動かなくなり…転んだのでは?という考えがよぎって離れない。彼女の気まぐれだったのか、普段は通らない慣れない道で見つかったこともそれを加速させた。
もちろん悠一郎さんも思い当たっていたはずだ。やり場のない思いと、彼女がいなくなった現実をおそらく抱えきれず…簡単な葬儀の後姿を消した。傷心の娘を家に残して。
家族の幸せが詰まっていた家は『部屋に隠した米1粒を探しだせ』と命令を受け捜索したかのように、上から下、右から左に、でたらめに荒らされていた。その中にぽつんと座っていた小さな背中。
遅い時間だった。もう増えることがなくなった思い出を巡り、家中母の姿を探し続け、泣き疲れた生気の無い幼女を介助しながらなんとかベッドに入らせる。
「ひろむがいないと生きていけない…」
まだまだ保護者が必要な年齢の彼女、母親が消え、父親も不在。そんな時かまってくれた家族に近い大人に…捨てられないように言った言葉だと思う。かけられた布団を跳ねのけ、必死に首に抱きつきながら。
悠一郎さんに『いないと生きていけない』と言わせた茅香子さん。
その彼女からそっくりすぎる外見で産まれて来た多香子さん。
すがりつかれながら、とんでもなく満たされた欲を自分の中にみつけてしまう。茅香子さんに…そう言ってもらえたような気分だった。
尊敬する人が惚れた相手に自分も惹かれ、そして多香子さんに茅香子さんを重ねて見るようになった頃、自分の離婚届は程なく受理された。これで自分もバツイチ。若さ故の罰を受け、お揃いのアクセサリーを持てた気分だった。
茅香子さんが1度目の結婚をした年齢に彼女がなったとき、そこにいるのは中身まで茅香子さんに近づいた多香子さんだろうと勝手に決めつけた。それまで待とう。まだまだ成長途中の彼女が、茅香子さんになるまで。
運命と捉えるべきか、意識せず自分がそうした年齢ともぴたりと重なっていた。要するに多香子さんの中身は、その時何も見ていなかった。
憔悴した幼女が呟いた一言。まさにその一言を…できれば大人の彼女の方から聞きたかった。
悠一郎さんの見た目の老いが止まり、両親を名前で呼んでいた多香子さんが『お父さん』『お母さん』を使うようになるのもまた、茅香子さんがいなくなってすぐだったように思う。
そして自分は、彼より更に年上の彼女に追いつこうとするかのように…実年齢より老けて見られるようになる。
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